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第二章 第十二話 手作りと愛
手作りと愛
「……どうしたら、いいんだ……」
二月十三日。朝陽はスマホを見ながら絶望していた。何気なく日付を見て、明日がバレンタインであることに気がついたのだ。
せっかく初めてのバレンタインなのだからなにかするべきだろう。だが今から何が用意できるだろうか?
「チョコ買いに行って……今からでも間に合うか……!?」
何せ朝陽はバレンタインというものに縁がなかった。女子からチョコをもらったこともないし誰かにあげたこともない。今までくだらない行事だと冷たい目線でチョコレート売り場を通り過ぎていた。
だが、パートナーができたとなれば話は別だ。きっと一郎はこの手の行事を楽しむ部類だし、何かしてやりたいと思う。
バレンタインのギフトで一番いいものを選ぼうと検索をかけていると、手作りチョコレートの作り方を載せているサイトがあるのに気がついた。
「…………手作り……」
思えば朝陽は一郎に料理を作ったことがない。包丁すら握ったことがないのだ。いつも彼に甘えてばかりで申し訳ない気持ちがないわけではない。
もし、手作りの菓子を作って、一郎に渡したら。彼は喜んでくれるのではないだろうか。
「……やって、みるか。初心者でも失敗しないやつ……」
朝陽は、初心者向けのバレンタインの菓子のレシピを探す旅に出た。
「今から料理するから、キッチン入らないでくれ!」
「え? 料理? どうしたの、珍しいね」
近所のスーパーで材料を買ってきて、中身を一郎に見られないようにしながらキッチンへ向かう。
「朝陽ー、なんか手伝わなくて大丈夫?」
「大丈夫だ! ひとりで頑張ってみる!」
これだけは朝陽ひとりが頑張らなければ意味がない。リビングから聞こえてくる声に答えながら、朝陽は手を洗った。
選んだレシピはとても単純なもの。この時期に売られているタルトの型に溶かしたチョコレートを流し込んだチョコタルトだ。失敗をして渡せないのが一番嫌だったので、とにかく工程が少なく、簡単そうなものを選んだ。
「えっと……チョコ刻んで、湯煎……湯煎ってなんだ……? あ、書いてある」
サイトに載っている説明文と画像を見ながら、その真似をする。写真の通りにやらなければひどいものが出来上がってしまうかもしれないという緊張感が朝陽を襲った。慎重に、正確に手を動かしていく。
チョコを細かく刻んで──何度が指を切りそうになったが──ボウルに入れて別のボウルに湯を張り、ふたつを重ねる。動画があったのでそれを見ながら、人生で初めての湯煎をした。
「お湯は絶対入れない……冷えたらお湯を足す……っ、熱!」
ボウルの熱が手に伝わってきて思わず悲鳴をあげる。菓子作りとはこんなにも難しいものなのか。
どうにか湯煎が終わり、チョコレートが液状になった。ひどく疲労しているが、まだ完成には程遠い。
「次は……牛乳入れて……? 混ぜる……?」
レシピに書かれている通りの分量の牛乳を入れて、チョコレートと混ぜ合わせていく。茶色に少しずつ乳白色が混ざって、辺りに甘い香りが広がった。このふたつが混ざったものを生チョコレート、と呼ぶらしい。
「お、おお……」
充分にふたつが混ざったのを確認してから、スプーンを使ってタルト生地に生チョコレートを入れていく。六つのハート型のタルト生地にチョコレートが全て収まり、完成品通りの見た目のものができあがった。
「で……できた……!」
できた、のだが。
「…………なんか、子どもっぽくないか……?」
生チョコレートをタルト生地に入れただけのものなのだから当然だ。レシピには『小学生でも作れる!』とうたい文句があった。それくらい簡単なものなのだろう。
二十八歳の一郎に贈るには、あまりにも拙すぎる。あんなにも必死になって作ったものなのに、途端に恥ずかしさが湧き上がってきた。
「朝陽ー、料理どう? うまくいってる?」
一郎の声が聞こえてきて、びくんっ! と肩が跳ねる。彼にこのタルトを見られるわけにはいかない。だが食べ物を捨てるのも心苦しく、朝陽はタルトにアルミホイルを被せた。
「っ、大丈夫だ!」
とにかく代替のものを準備しなければ。朝陽は使ったキッチン器具を洗い、タルトを作っていた痕跡を全て消した。
そして、自分の部屋に走ってコートとマフラーをひったくる。玄関に向かうと、一郎がひょこっと顔を出した。
「あれ? 料理もういいの?」
「あ、いや……ちょっと、買い物行ってくる!」
あんなもの一郎に渡せるわけがない。今ならまだデパートなどにチョコレートが売っているはずだ。朝陽は一縷の望みをかけて走り出した。
「……よ、し」
女性の群れをかきわけて手に入れた高級チョコレートを手にしながら、家に着く。疲労困憊になりつつドアを開けてリビングに行くと、一郎がスマホをいじっていた。
「あ、おかえり~」
「……ただいま」
「急いでたみたいだけど買い物って……あれ? それ……」
「っ、」
一郎が高級チョコレートの袋に気がつく。バレンタインは明日だが、見られたのならわざわざ隠すのもおかしいと思った。
「あー……これ、買いに行ってた。その、明日バレンタインだから……一日早いけど、いるか?」
一郎にチョコを差し出す。彼も市販の、有名パティシエが作ったもののほうがいいだろう。あの朝陽が作った拙いタルトは自分で食べてしまえばいい。
だが、一郎はきょとんと目を丸くした。
「……チョコ、作ってくれてたんじゃないの?」
「……!?」
何故。作っているところは見られていないし、キッチンも完璧に片づけたはずだ。
「な、な、なんで」
「いや、だってチョコの匂いするし、この時期にキッチンにこもるって、たいていそういうことかなって……」
完全にバレている。匂いは盲点だった。あんなにも必死に隠したのが馬鹿みたいだった。
「でも、これはこれでもらうね。朝陽から二個もチョコ貰えるなんて嬉しい。……手作りの方も、みせてくれない?」
一郎がチョコレートを受け取る。黒を基調とした四角い箱の中には、宝石のようなチョコレートが美しく収まっていて。
朝陽が作った、手作り感満載のタルトが、よりいっそう、ひどくちっぽけに見えた。
「……う…………」
悔しい。そう思った時には、ぼろぼろと涙が零れていた。
「う……うう~っ……!」
「えっ!? 朝陽!?」
いきなり泣き出した朝陽に、一郎が慌てふためく。
あの綺麗なチョコレートを渡した後で、タルトを見せられるわけがない。もう少しでもこの世に形を留めておきたくなかった。
「駄目、だ……手作りの、方は、オレが食べるからっ……!」
「なんで? 失敗したの? それでもいいから欲しいよ、俺」
「違う、できた、けどっ……!」
えぐえぐと嗚咽を漏らす。こんな気持ちになるのなら、手作りなんてするんじゃなかった。
「子どもっぽいのしか、できなくてっ……! お、お前に、あんなの渡せないっ……!」
「…………」
一郎が立ち上がって、キッチンへ向かう。朝陽がそれに気づいた時にはもう遅かった。
「っ、一郎、駄目だっ、見るなっ!」
一郎がアルミホイルを外す。そこには、不格好なタルトたちが並んでいた。
「……ふ、っ、うっ……、見るなって……!」
やはり売り物とは比べ物にならない。素人感丸出しの手作り菓子だ。こんなもの成人男性が渡されたって困るに決まっている。
「──いただきます」
だが一郎は、タルトをひとつ手に取って口に含んだ。ゆっくりと慈しむようにそれを咀嚼する。
「……うん、甘くておいしい。朝陽、お菓子作り上手だね」
ふにゃりとした、いつもの笑み。それを見て、また涙が止まらなくなった。
「っ、うぅ~~っ……!」
「ほんとうにおいしいよ。ほら、手が止まんない」
一郎はどんどんとタルトを食べてくれる。けれど。
「っ、もっと普段から、料理とか、菓子とか、作っておけば……お前にもっとちゃんとしたの、あげられたのにっ……!」
悔しい。一郎はきっと朝陽が作ったものならなんでも喜んでくれる。だからこそ、彼が本当の意味で喜ぶものを渡したかった。
「じゃあそれは来年のお楽しみにしておくよ。今は朝陽の初めてのお菓子堪能したいなあ。ほら、こっち来て?」
一郎の元へ行くと、包み込むように抱き締められる。それだけで不安定だった心が穏やかなものに変わっていく。
「ね、朝陽。食べさせて? あーんって」
「……それしたら、一郎は嬉しいか……?」
「うん、すっごく」
タルトをひとつ手に取って、一郎の口元に持っていく。
「あ、あーん……」
「あーん」
タルトが口の中に消えていく。一郎の朗らかな顔が更に緩んで、周りに花が散った。
「んふふ、おいしい。こんなにおいしいお菓子食べたことないよ」
「……それは、言い過ぎだろ……」
「だって朝陽の愛情がいっぱい詰まってるから。それとも俺の勘違い?」
一郎が優しく首をかしげる。愛情がなければ、菓子を作ろうだなんて思わない。
「……勘違いじゃ、ない……目一杯、入れた……」
「やっぱり。世界で一番甘くて、俺が大好きな味だよ」
涙の痕にキスが落とされる。この男はチョコレート以上に、朝陽に甘いのだ。
甘い匂いが残るキッチンの真ん中、ハート型の愛はまだ三つ残っていた。
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