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第二章 第十七話 狭い心の君が

狭い心の君が  一度『誰か』からの好意に晒されれば、またそれに触れた時には見分けがつくようになった。  簡単にいうと、女性にストーカーもどきをされた結果、朝陽は自分がモテていることに気づいた。  自惚れと言われたら恥ずかしいが、営業部でも他の部署でも廊下でも不特定多数の女性からの視線を感じて、なんなら『新谷さんと目合っちゃった、ラッキー』なんて声まで聞こえてくる。おそらく間違いではない。この前の飲み会では腕にしだれかかってくる女性もいた。  今までは、朝陽には一郎以外好かれる相手がいないと思っていたので全くそれらのことに気づいていなかったのだ。 「……もしかして、なんだけど」 「うん?」  鍋をシンク下の棚に片付けながらポツリと呟く。 「……オレって、お前ほどじゃなくてもモテるのかなって思うようになってきた」  口に出すととんでもなく自意識過剰だ。途端に顔が羞恥でいっぱいになる。 「え、今さら?」  食器をひとつ片付けた一郎が驚いた声を上げる。 「前から言ってるじゃん。朝陽、デザイン部で人気だって」 「それはその、お前の贔屓目だと思ってて。けど一回誰かからそういう目で見られるって経験したら、もしかしたらあれもこれもって思う機会が増えて……」 「……ちなみにそれ、どこでモテてるって思ったの?」 「えーと……営業部の後輩三人組に何かにつけて上目遣いで話しかけられた、デザイン部行った時にひそひそ遠くで話し声がして『新谷さんくらいイケメンなら既婚者でもワンチャンいきたい』って言ってるのが聞こえた、休憩スペースで知らない社員が『新谷さんのスーツ姿ってエロい。脱がしたい』って言ってた、知らない女子社員にお昼一緒にどうですか誘われた、くらい……」 「…………うん、明らかモテモテだね」  一郎が食器を拭く手を止め、朝陽の手を引っ張ってソファに座る。そして自身の膝の上に朝陽を乗せた。 「い、一郎、まだ片付け終わってないぞ」 「いいから。今は俺に構って」  ぎゅう、と甘えたい子どものように強く抱き締められる。『菩薩』の一郎がこんなにも独占欲をあらわにしているのが朝陽の心をくすぐった。申し訳ないが、こういう状態の一郎がひどく可愛らしく思えてしまうのだ。 「女の子ってすごいなあ……朝陽が魅力的なのはわかるけどさあ……」 「うん……飲み会で胸押し付けられた時は流石にびっくりした」 「待って、何それ。俺聞いてない」  一郎ががばりと顔を上げて真剣な瞳で朝陽を捉える。 「この前の総務との合同の飲みで、えーと……確か総務の柏さん? にくっつかれて。多分あれは故意に押し当ててたんだと思う」  柏という女性は、とても胸の大きな女性だった。接触してしまった時に肉の柔らかさに思わず驚いてしまったのを覚えている。『ふたりで飲み直しませんか』と身体が密着したまま誘われたので、結婚指輪を見せて断ったが。  それも一郎に説明すると、彼はぐりぐりと朝陽の肩に頭を押し付け始めた。 「うう……ずるい……身体使うなんてずるいよ……俺胸なんてないもん……巨乳にはなれない……ハニートラップはなしだよ……」 「っ、そんな落ち込むな! オレは胸押し当てられてもちっとも興奮してないからな!」 「少しも?」 「少しも!」 「……じゃあ、朝陽は俺にしか興奮しないってことでいいの?」 「っ……言い方……!」  だが実際、朝陽は女体に興奮しなかった。それにどんな可愛らしい女性社員がアピールをしても見つめてきても、驚くくらいに心が動かない。  それはつまり、性愛も含めた恋愛対象がもう一郎のみになってしまっているということで。 「……そうだよ、お前以外好きにならないし、興奮もしない。この前言っただろ、一郎だけが好きだって」  一郎のふわふわの髪の毛を梳きながら答える。けれど彼は満足しなかった。 「……朝陽がなにがあってもなびかないってわかってても、他の人が朝陽に色目使うのやだ…………」  鳶色の瞳がふるふるとハムスターのように震えている。 「……お前、付き合い始めた頃も似たような感じで嫉妬してたよな……」  あの時は朝陽の優しい一面が他の人に知られるのが寂しいと言っていた。この男は朝陽のことになるととことん心が狭くなるらしい。 「俺の朝陽なのに……結婚してるのに……」  駄々をこねる一郎は愛らしいが、このままでは会社に行かせるのが不安などと言いかねない。朝陽は脳味噌を回転させて、ひとつの案を考えた。 「……じゃあ、会社で惚気ていいか?」 「え?」 「俺がお前一筋ってわかったら……多少牽制にはなるかなって思う。食堂とか廊下とかで、他の社員にも聞こえるように話せば……周りの人間にも、お前しか好きじゃないってわかるだろ。もちろん相手がお前だってバレないように話す」  とてつもなく恥ずかしいし公私混同かもしれないが、今思い付く手立てはそれくらいしかなかった。ほんの少しでもいいから、自分を世界で一番愛してくれる男を安心させてやりたい。 「……うん。じゃあ、たくさんのろけて。俺のこと大好きって会社で言いふらして。他の人が朝陽を狙おうなんて思わないくらい、いーっぱい。俺が照れちゃうくらいにね? そしたら嬉しい」  ようやくそれで納得したのか、一郎は朝陽の目尻や頬にキスを捧げて微笑む。 「…………努力する」  噂を広めてくれそうなのは日浦と村尾か。彼らに話す内容を考えながら、朝陽はすっかり朝陽に関しては狭量になってしまったパートナーの前髪に口づけを落とした。    

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