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第二章 第十八話 長く共にいるために

長く共にいるために 「ねえ朝陽、俺、ジムに通おうか悩んでるんだ」  日曜日の昼間、何をするでもなくふたりでペッドに横になってごろごろしていると、一郎がそんなことを呟いた。 「……ジム?」 「うん」 「体重とか気になるのか?」 「んー、そういうわけじゃなくて……腹筋割ってみようかな、って。ほら、今割れてないでしょ」  一郎がシャツを巻くって腹を見せる。腹筋など割らずとも、朝陽には充分魅力的に映る身体だ。 「……急だな。お前、あんまり運動得意じゃないって言ってなかったか?」  付き合い始めた頃、雑談の中で学生時代は運動ができずマラソンで周回遅れだったと言っていたと思う。そんな彼が、自発的に運動をしようと思うなんて。 「うん……。身体動かすって思うと億劫だけど……でも腹筋は割りたくて……」  こつん、と額と額がくっつく。どうやら彼の中で葛藤があるらしい。 「なんで腹筋割りたいんだ? 憧れてるとか?」 「モテたくて」 「……は?」  思わず低い声が出てしまった。一郎は社内でも噂になるほどのイケメンで、当然モテる。どの部署にも必ずひとり彼を狙っている女性社員がいると言われるくらいだ。その男がモテたいだなどと抜かした。一体どういうつもりだろうか。というか、朝陽というパートナーがいるにも関わらず他の人間に見目で好かれたいと言うのか。この前自分は『俺以外見ないで』と言っておきながら。ふたつの不満が溢れて、朝陽はじっとりとした視線で一郎を睨む。 「ま、待って違う、誤解! 女の子にモテたいって意味じゃないよ」  だから怒らないで、と一郎が朝陽の頬を撫でる。 「……じゃあ何だよ」 「俺ね、朝陽にモテたいの」  鳶色の瞳は真剣に、わけのわからないことを言ってきた。 「朝陽は俺だけ見てくれるってわかったから……もっと自分のこと磨いて、朝陽にモテたいなって思ったんだ。だからまずは身体からって……」 「……お前……」 「朝陽、俺にしか興奮しないって言ってたし、俺は女の子になれないなら男っぽいかっこよさにシフトすればいいのかなって。それなら腹筋割るとかかなあって考えたんだけど」  まったく、迷走しすぎている。朝陽ははあ、と大きくため息をついた。  ──こいつ、焦ると変な方向に暴走するんだな。俺が悪いけど、この前のことで女の子の身体にコンプレックスできちゃったのかもしれない。  朝陽はシーツから左手を出して、ふわふわの一郎の頭にズビシとチョップを食らわせた。手加減はしたのでそこまで痛くないはずだ。 「あてっ」 「馬鹿。お前ちょっと落ち着け」 「朝陽……?」 「お前が自分の意志で身体鍛えたいってんなら止めない。身体動かすこと自体は健康でいいと思うし。でも、嫌とか苦手って思ってることをオレにモテるためにわざわざするのは違うと思う」 「でも……」 「オレはこれからもずっとお前と一緒にいたい。お前もそう思ってくれてるって思ってる。けどお前がオレに好きになってもらうために無理したら、絶対いつか関係が破綻するだろ」  好かれるために努力をするのは大事かもしれない。だが、それが過ぎてしまえば、関係自体が重荷になることだってありうる。  世界で一番好きな金の髪に触れて、毛先を遊ばせる。朝陽は彼の髪をいじることのできる特権が嬉しくてたまらない。 「だから無理しないでくれ、一郎。お願いだ」 「……うん……」  一郎は迷走を終えたのか、こくんと頷いて朝陽を優しく抱き締めた。とく、とく、と穏やかな心音が耳に届く。 「……あと、ひとつ言い忘れてた」  一郎への想いをなるべく意識的に言葉にしようとしたばかりなのだ。これを伝えておくべきだと思った。 「ん?」 「腹筋割ったりしなくても、オレはいつもお前に惚れ直してる……から、モテたいって希望は叶ってると思うぞ」  自分で口にしておいてひどく恥ずかしい。朝陽は一郎の胸に真っ赤になった顔を押しつけた。 「いつも? じゃあ、今も?」 「そうだよ……一緒にいるだけで、どんどん好きになる……喋ったり触ったりしたら、もっと」  顔を見る度、言葉を交わす度、触れ合う度、肌を重ねる度、一郎への想いは大きくなっていく。ここが上限だと思っても、それを容易く超えて、また愛が生まれる。  ただ好きだと伝えるのとは違う告白に、顔が熱くて仕方ない。朝陽はこの先、何百回も何千回も一郎に恋をするのだ。 「……そっか、ふふ、そっかあ。嬉しい」  一郎の声が幸せに満ち溢れている。彼の手が朝陽の手を導いて、割れていない腹筋にそっと触れさせた。 「じゃあ、もっと好きになって。俺の心も身体も、全部朝陽のものだから。好きなだけ触って惚れ直して?」  顔を上げると、一郎は嬉しそうに鳶色の瞳を細めていた。それが朝陽に好かれることが、どうしようもない幸福だと語っている。 「……うん」  彼の胸に全てを預けて、自分を愛してくれる男の皮膚の感触を確かめる。朝陽が世界で一番大好きな、朝陽だけの身体。その甘美な事実に、脳が甘さで満たされる。 「ねえ、キスしたらもっと惚れ直してくれる?」 「……すごく、惚れ直す」 「うん、じゃあいっぱいするね」  一郎が朝陽の頭を撫でて、唇を寄せる。優しく唇を食まれて、口を開くとそれはいっそう深くなって朝陽を蕩かしていく。 「んっ……」 「っ、ん……」  朝陽の思慕を求めてくれる口づけ。想いに溢れたそれが愛おしくて、朝陽はまた一郎に恋をする音を、確かに聞いた。

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