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第二章 第二十四話 かわいいものに囲まれて

かわいいものに囲まれて  それとは、会社の帰り道に出会った。 「ただいま無料配布キャンペーン中です! ミニサイズのぱん太郎をお配りしていますー!」  ファンシーなグッズを売っている店の前で何かのキャンペーンをしているらしく、店員が声を張り上げていた。 「……何だ?」  見ると、小さな子どもや女性が手のひらに収まるサイズのパンダのぬいぐるみを受け取っている。朝陽もテレビなどで見たことがある、有名なキャラクターのものだ。 「あっ、そこのお兄さん! よければぱん太郎どうぞ!」  店員が様子を見ていた朝陽に気づき、近寄ってきた。 「えっ、いや俺は」 「かわいいですよ、ぱん太郎! 是非一緒に生活してあげてください! 大きいサイズもかわいいですが、このサイズもかわいさがぎゅ~っとつまってて最高なんです! もし気に入りましたらぱん太郎グッズを是非ぱん太郎ショップでお買い求めください!」  店員は早口にそう言うと、朝陽の手に小さなぬいぐるみを押し付けて戻っていってしまった。 「……ええ…………」  生まれてこの方ぬいぐるみを手にしたことのない朝陽は、どうしたものかと立ち尽くしてしまった。 「…………」  家に帰って、自室でぱん太郎のぬいぐるみと向き合う。手のひらに乗るサイズの、デフォルメされたかわいらしいパンダのぬいぐるみ。どう考えても二十六歳成人男性が持つものではない。かと言って譲る宛もないし、捨てるのはあまりにも忍びなかった。 「……どうしたもんかな」  それにしてもよくできている。きゅるんとした黒い目は吸い寄せられてしまう愛らしさがあった。 「……ぬいぐるみに、罪はないし。とりあえず部屋に置いておくか」  そう言ってベッドの端にぱん太郎を置く。一郎から夕食ができたと呼ばれ、朝陽は部屋を後にした。  そして、次の日の朝。 「ん……」  アラーム音に起こされて目を開く。むくりと身体を起こしてあくびをして、ふと枕の方に目をやると。  そこには、なんとも愛らしいぱん太郎がいた。一瞬驚いたが、昨日自分がそこに置いたまま就寝したのを思い出す。 「ぱん太郎……」  ぱん太郎は何も答えない。だが、寝起きにひどく愛らしいものを見ただけで朝陽の心は明るくなっていた。まるで、寝起きに一郎の寝顔を見たときのような朗らかな気持ち。 「……かわいい…………」  思わず手のひらに乗せて抱き締める。数秒して朝の支度をしなくてはいけないことを思い出して、朝陽はぱん太郎を元の位置に戻した。    そして、その日の帰り道。朝陽の足はぱん太郎ショップに向いていた。昨日の店員が大きいぬいぐるみがあると言っていたのが気になってしまったのだ。  ──買わない。買わないけど、どんなのか見るだけ、なら。  店内はファンシーなもので溢れている。だが、案外男性の客の姿も見えた。ほっとしてぬいぐるみが置いてある棚に向かい、そして。 「~~~~~~っ!」  朝陽が両腕で抱き締められるくらいの大きなぱん太郎のぬいぐるみに、声にならない悲鳴が漏れた。  ──可愛い、可愛い! なんだこれ!?  小さいぱん太郎もかわいかったが、大きいぱん太郎はまた違う愛らしさがある。人目がないのなら今すぐにでも抱き締めたかった。  値段を見る。充分に手が届く価格帯。朝陽は迷わずぱん太郎のぬいぐるみを手に取った。急いでレジに向かおうとした時、もう一種類のぬいぐるみに気づいた。 「『わに次郎』……?」  それはワニがデフォルメされた愛らしいぬいぐるみ。ポップには『ぱん太郎とわに次郎はとっても仲良し! いつもふたりで遊んでいるよ!』と書いてある。  設定が書いてある紙には、ぱん太郎とわに次郎が友達であることが書かれてあった。 「…………」  わに次郎のぬいぐるみをじいっと見つめていると、ぱん太郎とはまた違った愛らしさが見えてくる。頭に乗っている黄色の帽子がチャームポイントらしい。 「………………」  きゅるんとした、つぶらな瞳。買ってくれないの、と訴えているようだった。  ──いや、ぬいぐるみふたつも買うのは流石に…………!  朝陽はぱん太郎を見に来ただけなのだ。わに次郎を迎え入れる気はない。  なのに。 「…………っ」  わに次郎の棚の前から動けない。このふたり──二匹だが──を引き離すのは残酷に思えてくる。  ──ふたつも買ってどうする、でもふたつ買ったら絶対にかわいい、使い道ないのに、でもぱん太郎をひとりにするのは……!  頭の中で思考がぐるぐる巡る。悩んで、悩んで、悩んで。朝陽は、ひとつの結論を出した。  数日後、朝陽は部屋でベッドに座り小説を読んでいた。 「朝陽、ちょっといい?」  ドアの向こうから一郎の声がする。 「あ、うん、大丈夫だ」  ガチャリ、とドアが開く。そこには朝陽を誰よりも甘やかす唯一のパートナーがいた。 「あのさ、今日の夕ご飯なんだけど、鶏肉と豚肉どっち食べたい?」 「ん……じゃあ豚肉がいい」 「うん、了解…………あれ?」  ふと、一郎の視線がベッドの方に向く。朝陽は振り返って、ひゅっと息を飲んだ。  ベッドの隅に、ぱん太郎とわに次郎が並んでいる。結局朝陽は彼らを引き離すことができず、二匹ともを購入してしまったのだ。 「朝陽、ぬいぐるみなんて持ってたんだ。かわいいね」 「~~~~~~っ! ちが、違……! 違わないけど、その、えっと……!」 「ぱん太郎とわに次郎だよね、俺も知ってる。触ってもいい?」  一郎は朝陽を笑うことなく、ベッドに近づいてぱん太郎とわに次郎を見つめる。 「っ……別にいい、けど……」 「ありがと。ふふ、触り心地いいね。かわいい」  一郎は可愛らしいぬいぐるみを抱き締めて朗らかに微笑む。可愛いものが可愛いものを愛でている姿はたまらなく愛らしかった。 「朝陽、ぱん太郎たち抱っこして寝てたの?」 「寝て……な……くはない」  実はぱん太郎たちの抱き心地がよくて毎日代わりばんこで抱き締めて眠っている。だがそれを言うのは少し恥ずかしくて、言葉を濁した。 「そっかあ。じゃあ嫉妬しちゃうな。俺だって朝陽に抱っこされて寝たいのに」  ぬいぐるみを置いてぷう、と一郎が頬を膨らます。朝陽も本当は一郎と毎日一緒に眠りたいが、それをすると社会人生活が破綻してしまう。 「それは……仕方ないだろ」  可愛らしく拗ねている一郎を見ていると、ひとつの案を思いついた。 「一郎」 「ん?」 「抱き締めて寝たいなら、わに次郎貸すから」  そう言って、朝陽はわに次郎を一郎に押しつけた。ぱん太郎とわに次郎、どちらを抱き締めるか毎日悩んでいたのだ。一郎に貸し出すだけならぱん太郎とわに次郎はいつでも会えるし、一郎は朝陽の代わりにわに次郎を抱き締めて寝ればいい。 「わに次郎をオレだと思ってくれれば、いい」 「……うん、ありがとう。じゃあありがたくお借りします」  一郎はわに次郎を受け取って、ぎゅうと優しく抱き締めた。が、彼はそれを数秒してベッドの脇に置いて、朝陽の身体を抱き寄せる。 「でも今は朝陽がいるから、朝陽を抱き締めていいよね?」  彼の体温が朝陽を包み込む。顔に小さな口づけが何度も落ちてきてくすぐったさに身をよじらせた。 「わ、いちろう」 「ぬいぐるみもかわいいけど、朝陽が一番かわいいよ」  愛おしげに髪を撫でる大きな手。それが頬に下りてきて唇に触れた時、朝陽ははっと気づいた。 「っ、待っ、ぱん太郎とわに次郎が見てるから……!」  ぬいぐるみのつぶらな瞳がふたりをじいっと見つめている。この状況でキスをするのは背徳感が過ぎた。 「ん? じゃあこうすればいい?」  一郎がぱん太郎とわに次郎を壁の方に向かせて、朝陽を押し倒す。 「これで恥ずかしくないよ、ね、朝陽? いっぱいキスさせて」  鳶色の瞳が細められて、顔が近づく。柔らかなキスが与えらえて、朝陽は自然とそれを受け入れてしまった。  二匹のぬいぐるみは、それから数時間壁から目を離すことができなかった。

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