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第二章 第三十二話 いい子の基準

「朝陽、いい子だね」  長い口づけが終わって、一郎がそう言いながら頭を撫でる。朝陽を甘やかす時に当然のように言うその言葉。 「……なあ、ちょっと疑問なんだけど」 「ん? なあに?」 「いつもいい子って褒めるけど……逆になにしたらいい子じゃないんだ?」  そう言うと、一郎がきょとんとした顔をする。 「…………考えたことなかった」 「オレのこと全肯定しすぎだろ……」 「だって朝陽は何してもいい子だから……うーん……」  一郎はかなり悩ましげな表情だ。本当にいい子じゃない朝陽が想像できないらしい。 「一個くらい思いつけよ……なんかこう、倫理的に反した行動した、とか」 「倫理的って?」 「…………ええと、殺人?」 「朝陽が理由なくすると思わないからなあ……」 「信頼されすぎてるな……いっそ怖いぞ」  一郎はむむむ、とずっと悩んでいる。本当に朝陽が何をしても許してくれるのだろうか。 「…………あ、一個思いついた」 「何だよ」 「朝陽が、自分のこと大事にしなかったら悪い子って言うかも」  自分を大事にしない。それはかつて、朝陽が自分に課していた呪いだった。  努力をしない自分に価値はないと呪って、呪って、呪い続けて。 「なんでだよ、昔はできなくても悪いって言わなかったのに」 「前は朝陽、自己肯定感低かったでしょ。だからそもそも自分を大事にするって考えがなかったじゃん」 「……それは、そうだな」 「でも今は違うでしょ? 愛されたいって思えて、俺にちゃんと甘えられてる。自分のこと大事にしていいんだってちゃんと理解できるようになった」 「……うん」 「せっかくそんな風になったのに、また朝陽が自分を大事にしなくなったら悲しい。例えば、病み上がりなのに仕事詰め込もうとしてる時」 「うっ……」  図星だった。休んでいたブランクを取り戻そうと、ここ最近ずっと仕事に励んでいる。 「だ、だってオレの仕事だろ。俺がやらなきゃ」 「日浦くんがやってる仕事も引き受けてるって聞いたよ?」 「誰から!?」 「村尾さん」 「……っ! あの人は……!」 「朝陽」  一郎が朝陽の手を強く強く握る。 「お願い。自分のこと大事にするって、約束して」 「…………大事にしてる、つもりだ」 「まだ全然足んないよ。もっと自分の好きなことたくさん見つけて、好きなように生きていいんだ。俺の宇宙で一番大切な人を、絶対ないがしろにしないって誓って」  真剣な表情。朝陽は随分自分勝手になったと自覚していたが、この男はもっとわがままになれと言う。 「……好きな生き方は、してる」  ぽす、と一郎の胸に身体を預けた。 「お前に愛されて、甘やかされて……それが、一番幸せで、好きな生き方だから」 「朝陽」 「オレはちゃんと幸せになりたいって思ってる。だから大丈夫だ」 「……そっか、なら、よかった。朝陽はいい子だね」  大きな手が慈しみながら朝陽の頭を撫でる。 「……うん。オレは、いい子だから、もっと甘やかしてほしい」  ぐりぐり、と彼の胸に頭を押しつけた。一郎はふふっと笑って朝陽の後頭部に口づける。 「じゃあキスしていい?」 「駄目なわけ、ないだろ」  目を閉じれば、この世の何よりも優しい口づけが降ってくる。自分のことを許せない哀しい男は、もうどこにもいなかった。      

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