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第二章 第三十六話 これからの話
これからの話
「馬鹿。一郎の馬鹿」
「…………うん…………」
朝陽はベッドに横になっている一郎の左手に包帯を巻きながら、彼を罵倒する。
「なんで手つくんだよ。ていうか傷開いた時点で痛みで気づくだろ」
「興奮して気づかなかった……」
「馬鹿」
「だって……自分が血見るのダメなんて知らなかったもん……朝陽の時は必死でそれどころじゃなかったけど……」
一郎は目を右手で覆い長い息をつく。朝陽は包帯をきつくし、包帯止めで固定した。自分の怪我もあったので、包帯の扱いに慣れてしまったのが少し悲しい。
「ほら、できたぞ。しばらくは安静にしてろ」
「うん……」
救急箱を片付けて、一郎の隣に寝転ぶ。
「朝陽……」
一郎がぎゅうと朝陽を抱き締めて、肩に顔を埋める。
「一郎の馬鹿、大馬鹿。倒れられた時のオレの気持ち考えろ。心配しただろ」
「……そんなに馬鹿って言わないで。自覚はしてる。俺もへこんでるんだから……」
「お前もここまで言われたら落ち込むか?」
一郎を馬鹿となじれるのはきっと朝陽だけだ。そんなことにすら優越感を感じてしまう。
「うん……。あと三回はしたかった……傷が開いたばっかりに……」
「そっちかよ!」
どれだけ朝陽を愛するつもりだったのだろう。この男の愛の重さは計り知れない。
「うう……俺の馬鹿……めい……めいなんとか神経に負けるなんて……」
「迷走反射神経な。それに勝てる人間いないと思うぞ」
さらりと一郎の髪をなぞる。ふわふわの、愛しさに溢れた金。
「……お前がどんなに馬鹿でも、好きな気持ちは無くならないんだよな」
ちゅ、と頭に口づけをひとつ落とす。一郎が一郎である限り、朝陽は一郎を愛するのを止められないのだ。
「……朝陽は馬鹿な男がタイプなの?」
「そうだな、オレを甘やかしてオレのことばっかり考える、金髪に茶色い目の優しすぎる馬鹿なやつがタイプだな」
「俺以外にその条件に当てはまる人いたら好きになっちゃう……?」
不安に揺れる声。そんな男、この世にひとりしかいないというのに。
「それ聞くから、馬鹿って言われるんだぞ」
わしゃわしゃと金の髪をいじる。全く、この男は。
「オレが一郎以外好きになるわけないって、わかりきってることだろ」
「……うん。俺も、朝陽以外好きにならない。絶対に、なれない」
腕の中の体温が温かい。この男を愛でる行為が、どうしようもない幸福を連れてくる。
「……ねえ、馬鹿ついでに、馬鹿って言われるかもしれないこと、言ってもいい?」
「……なんだよ」
「家が欲しい」
「……は? 家?」
急な要求に、変な声が出てしまった。今住んでいる部屋に不満でもあるのだろうか。
「朝陽と一緒に生きていくなら、ふたりだけの住処が欲しいって思ったんだ。一から作った、俺達だけの家が」
「…………」
「おはようも、おやすみもそこで重ねて、だんだん年取って、よぼよぼのおじいちゃんになって……庭でも見ながら、朝陽を看取るか、看取られるかしたい」
「…………」
「それで生まれ変わったら、その家で待ち合わせるんだ。そしたら付き合って、結婚して、また一緒に生きていきたい」
一郎は顔を上げない。まるで子どもの夢物語だ。
「それが、俺の夢。……馬鹿みたいって思われるかもしれないけど、本気なんだ」
「…………そうか。なら俺は、来世は手のひらに傷跡がある男と待ち合わせればいいんだな」
朝陽は、本当にあるかもわからない来世を夢想する。
「……!」
一郎ががばりと顔を上げたので、急に動くなと言って頬をつねる。
「でも来世の前に、今の人生で家建てるのが先だな。外壁はクリーム色がいい」
「っ、屋根はオレンジがいい! で、庭付きがいい! ガーデニングしてみたい!」
「寝室広くして、キングサイズのベッド置きたいな。大きいベッドでごろごろしてみたい」
「リビングのテレビもおっきいのにしよう! それで映画観たい! あ、オール電化とかにする?」
「いや、ライフラインは分けておいた方がいい。電気とガスは別々にしよう」
ふたりは好きなだけ自分の要望を詰め込んだ家を考える。
「考えるだけならタダだけど……家作るには金がかかるからな。仕事頑張って、偉くならないと。課長……いや、部長を目指すか」
「朝陽なら社長にだってなれるけど……でも頑張りすぎないで」
一郎の言葉は本気でそう言っている風だった。朝陽は経営の経験なんてないのに。
「頑張ったら、お前がその分甘やかしてくれるだろ?」
一郎の胸に顔を埋める。柔らかで優しい香りがして、すんと鼻をすすった。一郎が朝陽を大事にしてくれるなら、なんだってできる。
「頑張らなくても、甘やかすよ。知ってるでしょ」
「そうだな、頑張らなくていいって、教えてくれたもんな」
朝陽が顔を上げると、一郎がこつんと額を合わせてくる。
「……これからも甘やかしてくれ、一郎」
「うん。来世も、ずっと」
口づけが欲しくて目を閉じると、一郎に想いが伝わって唇が触れる。
命の果ての先にも約束された愛に溺れて、朝陽は心の底から幸福な笑みを浮かべた。
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