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喧嘩(※)

一限目の授業が終わると、友人たちは怪訝な顔をしながら声をかけてきた。 「何なの。斗貴央、朝からずーっとぼんやりしてさぁ」 「たまに思い出し笑いとかして、まじ、キモいから」 昨日は恋愛で潤えと上から言ってた輩は一体誰だったのかと斗貴央(ときお)はややカチンときたが、客観的に見て気持ちが悪いことをしていたのは確かなようなのでそこは素直に反省した。 「実はぁ……」と勿体深く話し始めた矢先、勢いよく教室のドアが開き、邪魔される。 「原田ァ!!ツラかせ!!」 見たことも無い上級生らしき男が激昂し、こちらを睨み仁王立ちしていた。見るからに粗野で乱暴そうな顔をしている。男の背後には顔に痣を作った男が隠れるように立っており、見ると斗貴央が3日前喧嘩したばかりの相手だった。 「オイ!お前!よくも俺の後輩ボコってくれたなあ!」 怒号をあげながら男は静まり返った教室に割り入り、斗貴央の目の前まで勢いよく足を進めた。まわりの生徒が迫力に押され息を凝らし見守る中、斗貴央自身、全く気後れせずに怒鳴り返す。 「はあ?!そっちが先に喧嘩売って来たんだろうが!!お兄ちゃんに縋ってんじゃねえよ!ガキかてめえは!!」 目の前の男を全く意に介さず、片手で退け、斗貴央はドアの外で隠れるように立っていた男の元まで向かい、胸ぐらを掴むが相手の男はすっかり怯えていたのか抵抗すらしなかった。 「触んじゃねえよ!!」と上級生の男はすぐさま斗貴央に駆け寄り、横から腕を乱暴に掴んで阻む。 「うるせぇ!!部外者は引っ込んでろよ!!」 「ガキ!!生意気言ってんじゃねぇぞ!!」 怒りが治らない男はとうとう拳を振るいあげる。 「斗貴央!!」 友人の叫び声と同時に嫌な音が教室に響いた。遠くで教師が怒鳴りながら走って来るのが見えた。 「原田さぁ……、この間謹慎解けたばっかりじゃなかったかなぁ?」 担任の男性教諭は頭を抱えながら盛大に重いため息をついた。職員室の片隅で斗貴央はバツの悪そうな顔をしている。その頰は腫れ、口の端は切れていて見ていて痛々しい。 「あっちが3年に仕返し頼んで来たんだけど……」 「まあ……、お前、自分からは喧嘩したり殴ったりしないもんな。そういうところは良い子だなって俺も思ってるよ」 「良い子とかやめろ!キモい!!」と斗貴央は噛み付く。 「とりあえず、今日は帰りなさい。ちゃんと真っ直ぐな?きちんと反省して、明日登校するんだぞ?あ、反省文も書けよ?この間のとは文章もちゃんと変えとけよ?」 ポンと頭に手を添えられ斗貴央はおとなしく「ハイ」とだけ答えた。 帰ったら、母親になんて言い訳しようかと、斗貴央は唸りながら思案に余っていた。どう足掻いても悪い結果しか想像出来なくて、ひたすらにため息だけが出た。 ふと目に入った、どこか会社勤めらしき女性の後ろ姿。会社の制服を見に纏い、セミロングな後ろ姿はどことなく彼女を思い出させた。少し明るめの、綺麗な髪だった。 「あれって、どこの制服だったんだろう――」 もう二度と会えないのかなと、斗貴央はうな垂れた。 ――今日はおとなしく帰ろうと思っていた。 担任にも言われたし、これ以上母親の雷だって受けたくなかった。思っていた。 ――少なくとも俺は! そう心の中で叫びながら斗貴央は相手の男の顔に肘鉄を食らわせた。後ろからまた別の男が斗貴央を襲う。 ――本当にツイてない。斗貴央は辟易とした。 公園沿いの歩道を歩きながら伊藤が、喧嘩か?と声のする方を見た。前を歩く龍弥も振り返る。公園の裏側で学生服を着た男たちが乱闘しているように見えた。 「あれって、稲葉工業の制服じゃねえ?」 伊藤の声に紗葉良は思わず眼を凝らし、ハッとする。龍弥はそれを見逃さなかった。 「知ってんのか?」 「え、あ。うん、少し」 「なんてやつ?」 「斗貴央……、苗字は知らない……」 龍弥に腕を絡ませていた夏奈は何を思い付いたのか、面白そうに笑う。 「なに?紗葉良ちゃんの彼氏とか?」 「いやいや、何言ってんの夏奈ちゃん、斎藤は龍弥一筋だって」と揶揄するように伊藤は笑う。 「やめろ、気持ち悪いんだよ」 龍弥は機嫌を損ねたのか、体の向きを戻し、少し早足で進んだ。夏奈と伊藤もそれに続く。紗葉良は少し逡巡し、それに続こうと足を踏み出すが背後から大きな音がして振り返った。 後頭部を抑え呻き、膝をつく斗貴央が見えた。空の一斗缶で殴ったのか、男たちはそれを派手に投げ捨てると慌てて逃げ出した。その場には蹲った斗貴央だけが取り残される。 「紗葉良ちゃーん」 夏奈が少し先から呼ぶが紗葉良はそちらには振り返らず公園へ駆け出していた。龍弥は小さく舌打ちした。 「大丈夫?」 声をかけられズキズキと痛む頭を抑えながら斗貴央はうっすら涙がにじむ眼を開け、次の瞬間、驚きで固まる。 声の主が、会いたいと願っていた、あの彼女だったからだ。 「あっ!」名前を呼ぼうとするが、あまりの痛みに声が出なかった。水で濡らしたハンカチをそっと紗葉良は痛々しい頭のたんこぶに添えた。 「病院、行かなくて平気?」 その質問に斗貴央は「大丈夫」とだけ答えた。そして恐る恐る紗葉良の目も見ないまま「怖くねえの?」と問う。 「どうして?」 「どうしてって……」 怖いくらいに真っ直ぐと紗葉良はこちらを見据えていた。一瞬目が合い、斗貴央は逃げるように「もういい」と添えられたハンカチを外そうと手を伸ばす。偶然、紗葉良の指に触れてしまい思わず飛び退く。 「ごめん、痛かった?」 紗葉良は不安げな面持ちだったが、斗貴央はただただ俯き、赤面しながらドクドクと跳ね回る心音を聞かれないようと、必死だった。 「斗貴央くん?」 「ごめん!ハンカチ洗って返す!」 緊張の限界を感じて斗貴央はハンカチを握りしめて立ち上がるが、急に動いたせいでまた紗葉良の指に手が触れる、思わず体がビクリと反応した。 「?…斗貴……」 「ア、アンタ、どこの学校通ってんの?」 「え?あ……麗澤(れいたく)」 「何年生?」 「2年」 「そ、か……俺たちタメだな。家は?このへん?今日は私服なんだな?」 少し間を開けて、クスリと紗葉良は笑った。 「え?!なに??」と斗貴央は慌てる。 「ううん、なんだか……、怪我だらけの顔で普通に喋ってるから、面白いね、斗貴央くんて」 ――かわいい。 それしか斗貴央の頭にはなかった。 かわいさで目が眩む。くらくらと、ぐるぐると、目が、回る……。 「斗貴央くん!!」 薄れていく意識の中でそう呼ばれた気がした。 インターフォンを押すと中からタバコを咥えた龍弥が玄関のドアを開けて出てきた。 顔を見ただけでどうやら今、機嫌が悪いのだと紗葉良は察する。龍弥は口角の片方だけをあげ、笑ってみせる。 「優しいねぇ、お前。病院まで連れて行ってやるなんてさ」 わざとらしく吐いた煙がこちらに伸び、玄関先に立っていた紗葉良は手で鼻と口を軽く覆った。 「目の前で倒れた人、放っておけないから……」 「やっさしー。本当、誰にでも優しいよな、お前。魔性?でもさ、あの不良は知ってんの?お前の正体」 何のことを指しているのか、紗葉良にはわかっているようで、何も答えようとしない。 「バレてリンチにあっても俺は知らねーからな」 最後には熱のない低い声で龍弥はそう告げると、紗葉良が肩から掛けていたカバンの紐を乱暴に引いた。バランスを崩して紗葉良は玄関の上がり口に両手をつく。 「今日……夏奈ちゃんは――?」 「何?」と吐き捨てるように一瞥される。 「なんでも――ない」 紗葉良はそう告げると、龍弥のベルトに手を伸ばし緩め、ファスナーをおろし、前を寛げる。 両膝をついて躊躇うことなく、龍弥のモノを口に含む。 慣れた動きでそれを口だけで扱いたり、吸ったりと、大胆に愛撫する。口の中でそれは熱を持ち、次第に硬くなり、口の中を苦い味が伝う。頭を掴まれ喉の奥までを熱の塊いっぱいにされる。苦しさで紗葉良は顔を歪めた。 タバコをふかしながら龍弥は笑いながら囁く。 「本当――、上手くなったよなあ……お前。残念だよなぁ……」 嗚呼、またお決まりのあの言葉かと、紗葉良は目を閉じる。 「お前、女だったら良かったのにな――」 それは紗葉良にとっての呪いの言葉――。 喉に注がれたものを無理矢理に飲み込んで、紗葉良は咳き込みながら涙を堪えた。 無機質に、ファスナーの上がる音が聞こえる。 「じゃあな、帰っていいよ。お前」 顔を上げるとそこにはもう遠ざかって行く背中しかなかった。 紗葉良は一言も発さずに、落ちたカバンを拾い上げドアを開けた。 もう何度も聞いたあの言葉――。 なのに、どうして――。 いつまでも傷付ける自分がいるのだろう――。 無表情のまま、歩く紗葉良の頰を一筋の涙が伝う。

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