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告白
「やだ。何その格好、紗葉良 ちゃん!」
朝から甲高い声がする。
声の正体である夏奈 は、体のラインのわかる黒の大きく首が開いたニットを着ていた。良くも悪くも女の子らしい人だと紗葉良は常々思っていた。
「夏奈ちゃん、おはよう」
「ねえ、男子の制服とか着ちゃって、どうしたの?すっごい似合ってないよ?」
嫌味でも何でもなく夏奈はケロリと言ってのけた。
自分たちの通う学校は、行事以外での制服着用は特に義務付けられておらず、殆どの生徒が私服姿で登校している。紗葉良のようなジャケットは羽織ってないにせよ、学校指定のニットに学生スボンという生徒は少数だ。
反応の鈍い紗葉良に夏奈の興味は長続きしなかったようで、腕を掴んで甘えたように笑みを作り、話題を変えた。
「ね!新しいヘアアイロン買ったの。練習させて?」
夏奈に腕を引かれ、教室に連れて行かれる。抗うこともせず、紗葉良は促されるまま、1番後ろの席に腰掛けた。
周りを夏奈の女友達たちが輪を作って囲む。紗葉良にとってそれは珍しい光景でもなかった。
「斎藤マジかわいいよねー、もう女になればいいのにー」
一人の女子が隣で半ば恨めしそうにぼやく。
「紗葉良ちゃんは別に女の子になりたいわけじゃないんだよねー」と、夏奈はヘアアイロンをコンセントに差し、紗葉良の髪を撫でている。
「えー?何ソレ?」
「紗葉良ちゃんは一途なだけ」
周りの女子たちはその言葉の真意を測りきれずに各々首を傾げる。
紗葉良は黙って目を閉じた。
「あれ?夏奈ちゃん、斎藤は?」
「早退しちゃったー、珍しいよねぇ」
昼休み、ひとりで龍弥の教室に現れた夏奈に伊藤 は声をかける。龍弥 は目だけ動かした。
「あいつ今日制服着てたよなあ、ビックリだわ。久しぶりに見た」
「そうそう、てゆうかあれじゃない?飽きちゃったんじゃない?あまりにも龍弥が冷たくするからさー」
嫌味っぽく夏奈はケラケラと笑う。龍弥はもう黙れ、とその会話に釘を刺した。
平日の、まだ人通りの少ない帰り道、視界に入った美容室の前でふと紗葉良は止まる。
もう髪を切ってしまおうかと、ガラスに映る自分の滑稽なヘアスタイルを眺めた。後ろに結んで隠した巻き髪からは、慣れない甘い整髪料の香りがした。
虚ろな笑いを浮かべながら指で毛先を遊ばせる。ふと、いつかの龍弥の声が蘇る。
まだ一年生だったあの頃……、暖かい西日が射す図書室で龍弥は髪に触れてきた。
伸びかけた後ろ髪を優しく持ち上げられ、満足そうに微笑み囁いた。
「伸びたな。――もっと伸ばせよ」
馬鹿な自分は真に受けた。
素直に伸ばし続けてもうすぐ鎖骨につく。男のファッションとしてはそろそろ理解されにくい長さになりつつあったし、それは否応無しにも目立つ。夏奈や伊藤たちにからかわれる事にいい加減慣れはしたが、最近ではその周囲の人間たちも自分を同じように扱い出した。
そんな環境を我慢出来るほど自分は飴を貰えていないし、貰える予定もない。
――本当に馬鹿の独りよがりだ。
「なに、やってんだろう……、ほんと……」
紗葉良はくくっと喉の奥で笑う。
カバンの中の振動に気付き携帯を取り出すと画面には知らない番号が出ていた。
なんとなくの予想がつき、そのまま応答をフリックする。
「も、もしもし?」
想像通り、電話口からは斗貴央 の声。
病院でもし何かあれば連絡して、と電話番号を書いたメモを残したのだ。
「斗貴央くん?怪我はもう大丈夫?」
「うん、俺、頑丈だし!本当にありがとな。あと、ごめんな、迷惑掛けて……驚かせたよな」
「ううん、全然大丈夫」
「あ、あのさ!あの、また、会いたいんだけど……、いや、ていうか、と、友達?友達になって欲しいんだけど」
電話の向こうで斗貴央がどんな顔で話しているのか紗葉良には大抵検討がついていた。声が緊張で揺れているのがその証拠だ。
静かに紗葉良は息を吸って告げる。
「あのね――、電話、最後にして?ごめん……」
「――やっぱ……。迷惑、だった?俺、馬鹿だし、不良だし、当然か……、俺なんかと関わったら、損しかないよな……」
斗貴央の声は震えていて、必死に笑おうと努めているのがわかった。
違う、そうじゃないと紗葉良は唇をきつく結ぶが声にはしない。
「――斗貴央くんは、優しい良い人だよ」
「嘘なんかいらねぇんだよ!」
その昂りはビリビリと鼓膜を響かせる。すぐに慌てながら、ごめん!と何度も斗貴央は繰り返していた。
自分は斗貴央を傷付けている。わかっているけれどうまく言葉が見つからない。
「ごめん。でも、斗貴央くんは本当に何も悪くないから」
「紗葉良ちゃん……」
「ごめん――、さよなら」
携帯画面に指を伸ばし、それを終わらせようとするが、縋るように必死に自分を呼ぶ声が聞こえた。そして――
「好きだ!お、俺、紗葉良ちゃんのこと……、初めて会った時から、俺……」
斗貴央がいたずらでないことも真剣な事もわかっている。わかっているからこそ、紗葉良は決心とともに、ぎゅっと目を瞑る。
「ごめんなさい――」
静かにそう告げられ切れた携帯からは、一定のリズムで鳴る電子音だけが虚しく響いた――。
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