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正体
秒針のに音だけが響く静かな部屋で紗葉良 は何をするわけでもなくぼんやりとベッドに凭れ、一点を見つめていた。
何度も斗貴央 の声が耳鳴りのように蘇る。
自分を呼ぶ苦しそうなあの声がまだ耳から離れない――。
沈黙を破るかのようにインターフォンが鳴り、紗葉良は肩をビクリとさせた。
ドアを開けると意外な人物が立っていた。
「龍弥 ……」
そう呼んだ相手は少し驚いた顔をしてからこちらに手を伸ばし、紗葉良の巻かれた弄り「なんだ?この頭」と怪訝な顔だ。
一言の断りもなく、龍弥はタバコの煙を大きく吐いた。壁にヤニが着いたら面倒だなと内心紗葉良は苦い顔だ。
「急に家に来るなんて、どうかしたの?」
ペットボトルのお茶を龍弥に渡すと煙から遠のくように紗葉良はベッドに腰掛けた。
「携帯。話し中だったから」
「ああ、うん、ちょっと」
「相手は新しい彼氏か?あの不良だろ?」
龍弥は携帯灰皿に吸いかけのタバコを押し付けると、なんの許可も取らないまま紗葉良のカバンを探り出し、簡単に携帯を取り出した。
「やめてよ!」
慌てて紗葉良はベッドから降りる。必死に取り返そうと龍弥の手にある携帯を掴むが「邪魔」とあっさり突き飛ばされた。ベッドに背中を打ちながらよろよろと起き上がる。
「やめてよ……、どうして?本当は興味なんかないくせに!」
「まあな、でもあの不良は面白そうじゃん?」と、ニヤニヤしながら知ったパスワードを入力し着信記録から辿って発信をフリックする。
「龍弥!やめてよ!」
携帯画面に紗葉良からの着信と出た。
目を疑うがそれよりも喜びの方が勝り、嬉々として迷いなく、斗貴央は応答する。明るい声で呼び掛けると想像しなかった低い男の声が聞こえた。
「あー、もしもし?」
一気に熱が引き、この男は一体誰なのかと困惑する。背後から紗葉良らしき声が聞こえた。しきりにやめてと懇願しているようだ。
「うるせーよ」と男の冷たい声とともに鈍い音が響く。聞き覚えのある、人を殴る時に出る音だ。
斗貴央の頭は瞬時に沸騰した。
「てめえ!!何してんだ!!」
あまりの大声にスピーカーの音は割れて響いた。龍弥は鬱陶しそうに眉間に皺を寄せ携帯を耳から一旦離し、短くため息をついてもう一度話し始めた。
「うるせぇな……。稲葉工業の、ええっと、ダレ君?まあ、いいや、コンニチハ」
男は斗貴央の怒りなど御構い無しに半笑いのような乾いた声色を出す。
「切って!斗貴央くん!電話切って!」
「紗葉良ちゃん?!大丈夫?ねえ!」
ガタガタと争うような音だけがそこからは聞こえ、ますます斗貴央の不安を深くした。
「そうそう、斗貴央くんとか言ってたな。ねえ、斗貴央くんはさあ、こいつのこと好きなの?」
そう男にいきなり確信をつかれ、ひゅっと息が止まる。
「あー、図星?」
「か、彼氏がいるなんて……知らなかったんだ――悪い……」
斗貴央は沸騰していた頭が少し冷めたのか、気の抜けたような弱々しい声を出す。
「は?彼氏?ナニ、俺のこと?やめろよ気色悪い」
男は吐き捨てるようにそう告げた。
「えっ?」
「斗貴央くんさあ、何も知らないまま人のこと好きになるって危ないよ?」
電話の向こうの男が何のことを言っているのかわからない。じゃあなぜ彼氏でもない男が、紗葉良の何が駄目だとわざわざ自分に言ってくるのか全く理解も想像もできなかった。
「龍弥!やめてよ、もう」
紗葉良の制止の声は届かなかった――。
「こいつ――男だから」
「は……?」
「ちゃーんとついてるよ?俺たちと同じやつ」
耳の近くで男の低い笑い声がやたらに響いて聞こえる。斗貴央はただ声を失い呆然とした。
自分が好きだと思いを寄せた女は……はじめから存在しなかったと、この男は笑ってそう告るのだ。
「でもね、こいつ、俺のこと好きなの。引くでしょ?俺が髪伸ばせって言ったから伸ばしてんの。この間も女の制服着させてみたりね、ああ、その時の姿見ちゃったのかな?斗貴央くんは」
男だけが容赦なく、淀みなく言葉を紡いでいる。
「親にもバレて、海外赴任に妹だけ連れて、こいつ一人日本に残されてんの。もう捨てられるのが怖いだけなんだよ、こいつ。だから誰にでも優しいし、いい顔すんの。今以上嫌われたくない、傷付きたくない一心でな」
斗貴央の中で何かが音を立てて弾けた。
自分の感情よりもそのことが優先され思わず口から漏れる。
「――それわかってて、なんで傷付けれんの、お前、クソかよ」
斗貴央が唸るように低い声でそう告げると、男は電話口の向こうで気分を害したようだ。斗貴央は反論を辞めない。
「嫌われたくねーとか、傷付きたくねーとか、当たり前の感情だし。別に変じゃない」
「へぇ……じゃあさ、斗貴央くんは見た目だけで惚れたこいつの裸見ても興奮しちゃえるわけ?こいつのナニとか触ったり、咥えたり出来ちゃうわけ?」
いきなりリアリティな話をされて斗貴央は一瞬声を無くし、固まる。
「ほら見ろ、口先ばっか。出来ねえんだろう?お前はこいつが女だと思ったから惚れただけ。現実なんてこんなもんだろ?」
男の話すこと全てが間違っているわけではなかった。だけど完全に正しいとも思えなかった。
「男、だってわかったからって……いきなり嫌いになんてなれないし……それに、友達にはなれる」
「はあ?友達になる?何ソレ」
その言葉に反応したのさ、さっきまで沈んでいた紗葉良の顔が一気に明るくなる。龍弥の携帯を持つ手を引き寄せて興奮したように話し出す。
「友達になりたい!なってくれる?本当に?」
目を真っ赤にしながらも紗葉良の頬は綻んでいた。気に入らないのか龍弥は乱暴に携帯を剥ぎ取る。
「無理してるだけ!こいつは意地はって嘘ついてるだけだ!分かれよ!馬鹿!」
紗葉良を馬鹿呼ばわりされることにただ耐えられず斗貴央は叫ぶ。
「嘘じゃねえ!!友達になるよ!! 」
「ありがとう……斗貴央くん、今だけでも嬉しい……」
安堵のため息のような切ない声が聞こえる。それを聞くと胸がたまらなく苦しくなった。
「今だけじゃねぇから!これからなるんだよ!」
電話口から無機質な音が響いた。携帯が床に投げつけられたようだ。
「バカみてぇ、ホモ同士仲良くやってろよ」
龍弥は嫌悪感を一切隠さず、露骨な顔でそう吐き捨てると、乱暴に後ろ手でドアを閉めた。
床に落ちた携帯からは「紗葉良ちゃん?大丈夫?」と不安げな斗貴央の声がした。それを縋るように拾い上げる。
「あんまり、大丈夫じゃ……ないけど。大丈夫になるように頑張る。斗貴央くんが、頑張ってくれたから――ありがとう……」
その声に斗貴央の携帯を持つ手に力が入る。
「お、俺のこと、斗貴央って呼べよ、友達なんだから、俺も紗葉良って呼ぶから!」
自分の声が妙に上擦っていて恥ずかしかったけれどそれよりも紗葉良を早く安心させてやりたかった。涙声で紗葉良は「うん」と嬉しそうに何度も返した。
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