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第八話

 縄の教育はおよそ一ヶ月ほど続いた。その間、恭弥は度々呼び出され、見合い相手との逢瀬を重ねていた。彼自身は見合い相手には感心がなく全く気乗りしないようだが、剋神会を存続させるために大神斎が用意したものとなれば拒否権などあるはずがない。おそらく、見合いは形だけのものであり、実際のところ結婚は確定しているのだろう。  また、大神光輝の除籍が決定し、組長不在となった『輝神組』は事実上解体され、新城区は本家直轄となった。光輝は複数いる女の一人の家に篭って表に姿を現さなくなった。ブラック・ダリアからの接触もなく、光輝派と呼ばれた者たちも特段怪しい様子はない。だがそれは表面的なものでしかない可能性もあることから、恭弥は光輝の身辺や彼に近かった者への監視を怠らなかった。  望まぬ相手との交際、光輝とその周囲に対する警戒、跡目相続の準備などにより恭弥の精神的疲労は高まってゆき、時が経つにつれて表情は乏しく口数は少なくなっていった。  そんな中、猛は教育期間終了を迎え、Sとして独り立ちする日がついに訪れる。 「やっと来たな」  指定された時間に『ソドム』を訪ねると、猛を待ちわびていたかのように英二が破顔する。約束の時間より五分ほど早い時間だったが、英二はかなり前から待機していたらしい。 「受け取れ、記念だ」  英二は黒い革張りのトランクを猛に渡す。中にはビキニパンツ、手袋、ベストなどの衣装一式と、一本鞭、縄、ローションなどの道具が入っていた。 「衣装は体に合わせて誂えてある。体型維持頑張れよ。でないと俺みたいに衣装代でヒイヒイ言うことになるぞ」  そういうと英二は腹を叩いて笑う。それは、出会った頃より明らかに大きくなっていた。 「ま、佐竹のじいさんはこの腹が好きだって言ってくれるんだがな。これ以上太ると健康にも良くないから食い物には気をつけてるんだ。おっと、そんなことはどうでもいい。着て見せてくれ」  猛は礼を言うと更衣室で衣装に着替える。衣装は全て黒のレザー製で、ベストは背面が編み上げになっておりコルセットのように美しいラインを作ることができた。ビキニパンツは恥骨の上にかかる程度のローライズで、局部を包み込むような形になっている。身につけるとレザーが肌に張り付き、筋肉質な体はより逞しく淫靡に見えた。 「おお! 似合うじゃないか!」  手袋以外の衣装を身に着けた猛を見て英二が歓声を上げる。威厳に満ちた獣の王。そんな表現がまさにぴったりだった。 「よし、行こう」  猛と英二はプレイルームに向かう。途中、何人かとすれ違ったが、彼らは皆一様に猛に見惚れ、嫉妬とも感嘆ともつかぬため息をついた。猛はその気配を感じながら、不思議な恍惚と奇妙な高揚感、そして、これから恭弥に相対するという緊張感に身震いする。ようやく猛は、恭弥を自分だけのものにする事ができるのだ。 「俺は隣の部屋にいる。恭弥を頼むぞ」  プレイルームの前で英二はそう言うと、猛が頷くのを確認してから隣の部屋へと入っていく。これまで、英二と恭弥のプレイを聞かされ続けてきた部屋だ。  猛は大きく深呼吸してからプレイルームのドアを開く——部屋の中央に、首輪とアイマスクだけを身に着けた恭弥が背を向けて座っていた。  猛は静かにゆっくりと恭弥に近づく。床が立てる微かな靴音に反応し、龍の刺青が入った背中がピクリと動いた。肩から腰に向かうように彫られた龍の意匠は、大神斎の背に彫られた龍虎と同じポーズで、兄の光輝にはその半分の虎が彫られているらしい。 「恭弥」  猛が呼びかけると恭弥は座ったまま向き直り、背筋を正してから深々と一礼する。 「ご主人様、恭弥はご主人様の従順な奴隷です。身も心も全てご主人様に捧げます。どうかご調教をお願いいたします」  しっとりと濡れたような熱を帯びた声に猛の胸は歓喜に打ち震える。この時が来るのをどれほど待ちわびたことか! 「顔を上げてマスクを取れ」  猛が命じると、恭弥はゆっくりと顔を上げてアイマスクを外す。視界を遮るものが無くなり、猛の姿が——。 「!!」 「どうした」  大きく目を見開き呆然とする恭弥。猛が問いかけると、その涼やかで美しい目からはらはらと涙を零し始める。 「ご主人様、恭弥は今、感動しています。これほど美しく、威厳に満ちた方の奴隷であることに喜びを感じています。ご主人様、恭弥はこの日を待ち続けていました」 「そうか」  猛は大股で恭弥に歩み寄り、首輪を掴んで膝立ちさせると強引に唇を重ねた。乱暴に舌を挿し込み、舌を絡め、口内を激しく蹂躙する。唾液の交わる湿った音の隙間から喘ぎのような吐息が漏れ、体の芯が甘美な蜜となって溶け出していくような気がした。 「ご褒美だ」  たっぷりと時間をかけて口内を征服し、唇を存分に貪った後、恭弥の耳元で低く囁く。恭弥は恍惚の表情を浮かべたまま、小さな声で「ありがとうございます」と呟いた。 「いい子だ……と、褒めてやりたいが」  猛は恭弥のペニスを強く握る。それは今にも精を放ちそうなほど硬く勃起し、先端からはおびただしい先走りが溢れていた。 「ひっ!」 「誰が勃起していいと言った?」 「いぃぃ……申し訳ございません」  恭弥の表情が恍惚から苦悶に変わる。激痛から逃れようと身をよじらせているが、首輪を掴まれているため逃れることは叶わなかった。 「ご主人様のご褒美に感激してチンポを立ててしまいました。どうかお許しください」 「そうか、そんなに嬉しかったか」 「はい。ご主人様がお与えになるものは……あいっ……痛みも苦しみも、全て……うぐっ」 「ほう? そういう割に、体は逃げようとしているようだが?」 「そ、それはぁああぁぁっ」  ペニスを握った手にさらなる力を込める。 「体がっ……勝手に……いぎっ」  本能的に反応してしまう体を制御しようと身を固くするも、全てを抑えきることはできない。本能と意思が衝突する度に体が大きく跳ね、新たな苦痛が生まれる。逃れることのできない苦痛が繰り返され、体は痙攣するかのようにビクビクとわなないた。 「あっあっあっ……痛いっ……いだいっ……! お許しを! お許しを!」 「ダメだ」  さらに力を込めると恭弥の叫びが大きくなる。痙攣はさらに大きくなり、もはや制御不能な状態となっていたが、それでもなお恭弥は痛みから逃れようとする体を抑えようともがいていた。美しい顔は苦痛に歪み、涙と汗が溢れだしている。 「んんっ!!」  猛は恭弥のペニスを強く握ったまま再度強引に唇を重ねた。歯が当たり口の中に微かな血の味が広がる。痛みに呼吸困難が加わり恭弥の体がガクガクと震えた。猛はそのまま恭弥のペニスをしごく。 「んんんッ!! んんふッ!! んぐッ!!」  苦痛に耐える事で精一杯になっていた恭弥の意思は、突然与えられた快楽に耐えることができなかった。熱い精液がほとばしり猛の手を濡らす。 「勝手に勃起したうえ、許可もなくイクとはずいぶん行儀が悪くなったな、恭弥」 「あぁぁぁ……申し訳ございません、ご主人様ぁぁ」 「舌で綺麗にしろ」  猛は精液にまみれた手を恭弥の口に乱暴に差し込む——喉奥に指先が当たり嘔吐反射が起こるが、恭弥はそれを何とか我慢すると、目に涙を浮かべながら自身の精液を丁寧に舐めとり始める。完全に舐めとるまでに何度も嗚咽が漏れたが、恭弥は無事に全てを舐めとることができた。 「床もだ」  恭哉は四つ這いになって床に零れた精液を舐め始める。頭を低くしたことで白い尻が無防備になり、アナルと玉の裏がさらけ出された。 「さて、行儀の悪い奴隷には躾が必要だな」  猛は恭弥に見せつけるように手袋をつけ始める。ギチギチと小さな音を立てながら黒いレザーが膨らみ、はち切れんばかりに硬くピンと張る様子を恭弥は食い入るように見つめていた。手袋を馴染ませるように指を何度も動かし、手を大きく開いたり閉じたりする。レザーが軋むような音を立てるたび、恭弥の呼吸は荒く熱を帯び、ペニスは次第に大きくなっていった。 「誰が休んでいいといった!」  手袋に気を取られ動きが止まっていた恭弥の尻を平手で打つ。高く乾いた音が響き短い悲鳴が上がった。 「申し訳ございません! 申し訳ございません!」 「さっさと床をなめろ! おい、なんだ? またチンポが立ってるぞ?」 「申し訳ございません! 申し訳ございません!」 「お前は俺の言いつけを一つも守れないのか!? いや、守る気がないんだな? そうだろう?」 「違います! どうかお許しください! どうか恭弥を見捨てないでください!」  猛は再び平手で恭弥の尻を打つ。先ほどよりもさらに強い力で打たれ、恭弥はひときわ高い悲鳴をあげた。 「見捨てるなだと? それは俺が決めることだ、お前が決めることじゃない」 「あぁぁっ……いぃぃっ……お許しください、ご主人様」 「では、俺の言いつけを守ってもらおうか。さっさと続きをやれ」  恭弥は再び床に舌を這わせ始める。猛は恭弥が床をなめる様子を見守りながら、トランクの中から木製のハンブラーを取り出す。 「暴れるなよ。玉がちぎれるからな」  猛は恭弥の陰嚢をわずかに引っ張ると、太ももの裏にあてがったハンブラーに挟んだ。ネジをキリキリと絞めて拘束を強めると、皮膚が絞めあげられ玉の形があらわになっていく。 「あぁぁ……うぅぅぅ」  玉を強制的に後方に引っ張られ四つ這い以外の姿勢を取ることができなくなっただけではなく、少し腰を動かしただけで玉が引きちぎられるかのような痛みが走る。 「痛いか?」 「いだぃです、ご主人様」 「もっと痛くしてやろう。どうだ? 嬉しいか?」 「はいっ……ご主人様がくださるものなら……恭弥は……」 「いい子だ」  猛はそう言うと恭弥のアナルにバイブを挿入し、スイッチを入れた。 「あぐっ!」  モーターの振動とバイブのウネウネとした動きが作り出す快感に恭弥の体がピクリと跳ねる。瞬間、ハンブラーに挟まれた玉に強い痛みが走り喘ぎとも苦鳴ともとれぬ声が漏れた。快感は絶え間なく続き、そのたびに苦痛が引き起こされる。恭弥は四つ這いの姿勢のままその状況に耐えることしかできなくなった。 「休むな!」 「ひぁあっ!」  恭弥の尻に鞭が容赦なく振り下ろされる。細い革を編んで束ねたバラ鞭の打撃は、穂の一本一本の痛みこそ少ないが束になると重い衝撃となって圧し掛かった。わずかに腰が沈んでハンブラーによる責めが容赦なく加わる。 「あいっ……いだぃ……ひぐっ……」  恭弥は情けない声をあげて涙を流しながらゆっくり慎重に動くと、頭を下げて再び床を舐め始めた。しかし、この状況においても萎えることのないペニスから次々と先走りが垂れ、床をどんどん汚していく。 「おいおい、綺麗にしろと言っているのに余計に汚してどうするんだ? お前は掃除の一つもできないのか」  猛は再び鞭を振るう。硬い革が柔らかい尻肉を激しく揺らし、ほのかに赤い筋を残していく。二度三度と鞭が振り下ろされると打たれた場所は仄かなピンクから赤へと変わり、その鮮やかさは回数を重ねるごとに増していった。 「さぁ、さっさと綺麗にしろ! できなければ次はこっちで打つぞ!」  猛は一本鞭を取り出して床を強く打つ。空を切る音と床を叩く激しい音が響き、恭弥は思わず身をすくめた。一本鞭の痛みと衝撃はバラ鞭のそれよりも大きい。そんなもので打たれれば体がどうかなってしまうかもしれない。 「ご主人様、それだけは……どうかご容赦を」 「では早くやるんだな」  猛はそういうと椅子にどかりと腰を降ろし、ビキニパンツの下でそそり立ったペニスを誇示するかのように大股を開く。浮かんだ血管まで見えそうなほどぴったりと張り付いたレザーが妖しい光沢を放ち、呼吸に合わせてゆっくりと上下していた。 「何を見ている! 鞭を食らいたいか!」 「申し訳ございません!」  鋭い怒号と床を叩く鞭の音に身をすくめながらも、魅了されたように視線を逸らすことができない恭弥。繰り返される快楽と痛みの中で性的興奮は高まり、ペニスはさらに硬さを増していく。脳の奥が痺れ陶酔するような感覚に陥りながら、恭弥はそろそろと這って床を丁寧に舐め続けた。それはまるで愛撫のように優しく、情熱的に。 「ご主人様、できました」  恭弥がそう報告するまでたっぷり十分ほどかかった。猛はゆっくり立ち上がると、床の汚れを丹念にチェックする——微かに唾液の筋が残ってはいるが、精液や零れた先走りは落ちていない。 「合格だ」 「!!」 「尻をあげろ」  猛に命じられ恭弥は頭を低く下げた姿勢のまま尻を突き上げる。ハンブラーに挟まれた玉は痛々しいほどに赤みを帯び、まるで熟れた果実のようだった。ネジを緩め、ハンブラーを外してやる。 「太ももが汚れているじゃないか」  ハンブラーで隠れていた太ももの内側がぐっしょりと濡れていた。尿や汗ではない。 「はい。床を汚してはならないと思い、挟んでいました」  膝を閉じた四つ這いの姿勢で移動していることに気づいてはいたが、先走りが床に滴るのを防ぐため竿を間に挟んでいたとは気づかなかった。 「そうか。恭弥、お前は賢いな」 「ありがとうございま……あぁっ」  ハンブラーによる責めから解放されて安堵した瞬間、バイブの刺激が急激に強く感じられる。絞めあげられていた玉から精液がせりあがるような感覚が押し寄せ、ペニスの根元と陰嚢が大きく脈動した。だが、射精の許可は出ていない。恭弥は下半身に力を込めて射精をこらえる。 「ご主人様っ……恭弥は、ご主人様の言いつけを守ります、うぅっ……よい奴隷になりますっ……だからどうか、ご主人様にお仕えさせてください……んんっ!!」 「本気か?」 「本気……です。恭弥の心も体も……すっ、全てご主人様のものです。生涯を、ごっご主人様に捧げます」  波のように押し寄せる快楽に悶えながら猛を見つめるその目は熱っぽく潤み、肌は上気してじっとりと汗ばんでいた。喘ぎ混じりの吐息は甘く扇情的で、赤く塗れた舌は欲望を激しくかきたてる。 「ならば……」  猛はビキニパンツに手をかけ、一気に引きずりおろす——大きいという言葉では言い足りないほどの巨大なペニスが姿を現した。 「奉仕しろ」 「あぁ、あぁぁ……」  想像していたよりもずっと大きなそれを食い入るように見つめながら恭弥は小さく呻く。猛は静かに恭弥を見下ろしながら、その口から自身の名が出ないことを祈った。拒絶の意を示すセーフワード。SとMの関係を打ち消すその言葉が——。 「……っ!」  だが、恭弥の口からは何の言葉も出なかった。彼は無言で膝立ちになると熱い体液にまみれた猛のペニスを舐め始める。舌の広い部分を使って竿を、舌先を使ってカリ首を、唇を使って亀頭の先を、絡みつくように丁寧に。 「上手いぞ」  体の奥から興奮と快感、そして幸福感が沸き上がる。恭弥の柔らかい舌と唇がペニスにまとわりつき、蠢くたびに体の奥がゾクゾクと震え、熱い体液が先からあふれ出た。恭弥はそれを一滴もこぼすまいとするように猛のペニスにむしゃぶりつく。 「んっ……はあっ……んっ……うんっ……」  猛のペニスを舐めながら恭弥は体を小さくわななかせる。破裂しそうなまでに硬くなったペニスは、もはや我慢の限界を迎えているようだった。 「口を開けろ」  恭弥が口を開くや否や、猛は容赦なくペニスをねじ込む。恭弥は苦しげな声をあげたが、拒絶することはなく根元近くまでくわえ込んだ。 「いいぞ、恭弥」  腰をゆっくりと動かし熱い口内を犯す。猛の動きに合わせて恭弥の舌が蠢き、裏筋や亀頭からゾクゾクと快感が駆け上がってきた。ゆっくりと時間をかけながら口内の深いところに進んでいくと、喉奥の筋肉がペニスを締め付ける。 「苦しいか?」  猛が問うと恭弥は上目遣いで猛を見返し、潤んだ目をわずかに細めて微笑む。苦しくないわけがない。だが、恭弥は猛に奉仕することを心から喜び、痛みも苦しみも快楽も全てを受け入れていた。痛々しいほどに自身を求める恭弥に、切ないまでの愛しさを感じる。 「恭弥、イクぞ。お前もイけ」  猛はそういうと、恭弥の頭をつかんで激しく腰を振った。裏筋に舌がねっとりと吸いつき、喉奥が亀頭を柔らかく締め付ける。ペニスが溶けてしまうかのような快感が突くたびに湧き上がり、熱い塊が体の底からせりあがってくる。粘液をかき回すような湿った音と荒々しい吐息、くぐもった恭弥の喘ぎ声。ペニスの根元が大きく脈動する。 「恭弥っ! 出すぞ! おおっ……!」  ひときわ大きな脈動。おびただしい量の精液が放たれる。体の痙攣と共に二度三度と溢れた精液は恭弥の熱い口内を満たし、そのたびに恭弥も体をビクビクと振るわせた——猛が果てると同時に大量の精を放った彼の表情は喜びと幸福に満たされ、歓喜の涙が頬を熱く濡らしていた。 「まさか、人のプレイを見てシコることになるとはなぁ」  猛と二人きりの休憩室で英二は静かにため息をつく。その表情は穏やかで、何か諦めがついたかのようにサッパリとしていた。 「俺とのプレイじゃ見たことない顔しやがって……。しかも、あんなふうに喜んでチンポ咥えてさぁ……」 「正直、拒否されるかもと思いました」 「そうか? 俺はそうは思わなかったが……で、どんな気分だった?」  猛はシャワールームに目を向け、恭弥がまだ出てくる様子がないことを確認してから答える。 「……嬉しかったです」 「ほう? どんなふうに?」 「受け入れてもらえた。何の見返りも求めず、打算もなく、ただあるがままに俺の存在も欲も全部受け入れてもらえた。そんな気分でした。こんなこと、生まれて初めてです」  これまで、何人かの女を抱いたことがある。商品として性を売る女たち。男を悦ばせる知識と技術を身に着けたプロの女たちだ。性的魅力にあふれた彼女たちにかしずかれ、手や口、性器や胸などを使った奉仕を受ければ性欲が少ない猛であっても射精したい欲求に駆られる。一度では収まらず二度三度と射精したこともあった。持ち前の体力で女に何度も絶頂を味わわせたこともある。  だが、何度果てようと果てさせようと、あとに残るのは虚しさだけだった。いかに肉体的な快楽が強くても——むしろ、肉体的に満たされれば満たされるほど心は渇き、胸に穴が空いたような気分になる。女たちにとって猛に抱かれることは単なる仕事であり、猛にとって女を抱くことはある種の義務でしか無かったからだ。 「そりゃお前……いや、何でもない。ったく、嫉妬する気にもならんな」  英二が何を言おうとしたのか猛にはわからなかったが、本人が言う必要ないと判断したのならばそれ以上追及しようという気にはならなかった。 「狩野」 「おう恭弥。コーヒー飲むか?」  シャワールームから恭弥が出てくる。ズボンははいているが上半身は裸で、ほどよく鍛えられた胸と薄っすらと割れた腹筋が露出している。髪はわずかに濡れ、首にタオルをかけていた。 「いや、コーヒーはいい。それよりヘアワックスはあるか?」 「あるぞ。ソフトとハード、どっちがいい?」 「ハードで頼む」 「ちょっと待ってろ」  そういうと英二は部屋を出ていく。恭弥はタオルで髪を乱暴に拭くと、感情をなくしたかのような冷たい表情で深いため息をついた。 「猛」 「はい」 「お前は先に帰れ。俺は行くところがある」 「今からですか?」 「ああ」  窓がないため外の様子はわからないが、時間はすでに夜の七時に差し掛かろうとしている。会食などの予定はなかったはずだが——。 「親父が倒れた。かなり悪いらしい」 「では本家に?」 「ああ」 「俺も行きます」 「だめだ。お前は帰れ」  全てを拒絶するような強い口調に猛は愕然とした。先ほどまでの満たされた気持ちは何だったのかと思うほど胸の奥が冷めてゆき、喉の奥に石が詰まったような気分になる。それほどまで強く拒絶するのはなぜなのかと問いただしたい衝動に駆られたが、現在の恭弥と猛は剋神会の時期組長とその護衛でしかなく、意見することはおろか質問をすることすら許されなくても不思議ではない関係なのだ。 「……わかりました」  猛はそう言って一礼すると、すぐに踵を返して恭弥に背を向ける。自分がどんな顔をしているかは分からないが、きっとひどい顔をしているに違いない。怒り、悲しみ、失望——いずれであっても恭弥には見せたくなかった。 「猛」  ドアに手をかけようとした時、恭弥の声が猛を呼び止める。背中に視線を感じたが、猛は振り返ることができなかった。 「……いや、なんでもない」  猛は英二から譲り受けたトランクを取ると、何も言わずに部屋の外へ出、足早に廊下を歩いていく。途中、ヘアワックスを持って戻ってきた英二と行き逢ったが、猛は英二の呼びかけにも応じずそのまま歩き去った。とにかく一刻も早くこの場を離れたい。猛は車に乗り込みエンジンをかけるとすぐに車を発車させる。いつの間にか雨が降ったのか道路は濡れており、対向車のヘッドライトが反射して眩しい。 「ん……?」  前方を走る車の動きが妙に気になった。フルスモークのミニバン——以前、後をつけてきたブラック・ダリアの車だ。 「……」  猛は注意深く後ろをついて走る。ミニバンはどこかに向かって走っているように見えたが、どうやらランダムに走り回っているだけらしいことがわかった。信号にかかりそうになるとその手前にある脇道に入ったり、異様なまでの減速や加速でそれを避けたりしようとする。とにかく停車しないよう走っているようだ。 「……なんだ?」  車体が左右に揺れている。半グレが車の中でやりそうなことといえばリンチかレイプあたりだろうが、人目につかない場所に停車するわけでもなく走りながらというのはなんだか奇妙だ。チャイニーズマフィアや大神光輝との繋がり、恭弥のあとをつけていたことから何かを企んでいるのは間違いないと思うが、一体何をしようとしているのか。  幸い、猛が運転しているのは恭弥のプライベートカーだ。本家やオフィスへの行き来に使ったことはなく、外車ではあるが高級な車でも目立つデザインでもない。なにより、中に乗っている連中はそこで行われている「なにか」に気を取られているであろう今なら、近づきすぎなければ気づかれないはずだ。  しばらくすると車の揺れが止まり、不自然な右左折やスピード調節がなくなる。ようやく目的地に向かうらしい。一体どこへ向かおうとしているのだろう。 「くそっ」  ミニバンは海沿いの倉庫街への道をたどっていた。夜の倉庫街は車も少なく、尾行に気づかれる可能性が高い。だが、彼らが恭弥をつけ狙っている可能性がある以上、事実をしっかりと確認しておくべきだろう。猛はミニバンの後ろから離脱し、別ルートで倉庫街に向かった。彼らを見失う可能性は大いにあるが、このまま諦めるよりはいい。  倉庫街から少し離れた場所にあるパチンコ屋に車を止め、まっすぐ店内に向かう。明るい店内には騒々しい音が鳴り響き、多くの人が遊戯に興じていた。その隙間を縫うように歩き入ってきたところとは別の出入り口から出る。誰も猛のあとをつけたり気にかけたりしている様子はなかった。  倉庫街へは彼らの方が早く到着しているはずだ。車を探せば彼らの居場所もわかるだろう。猛は倉庫街に向かった。  夜の倉庫街は人気がなく照明も少ないためかなり暗い。身を隠すにはうってつけだ。猛は壁沿いの暗がりに身を潜めながらブラック・ダリアの車を探す——見つけた。暗い倉庫街の隅に青白いルームランプを付けたミニバンが止まっている。中では運転手が一人、気だるげな表情でスマートフォンをいじっていた。  猛は運転手の視界に入らないよう注意を払いながら倉庫に近づく。シャッターは閉まっていたが下部から漏れている光が時折ちらつくことから、誰かが中にいることがうかがえた。周囲を探り目張りされた窓を見つける。わずかに開いた隙間から中を覗くと、数人の男の後頭部とそれに向き合う若い男たちが見えた。  若い男たちはおそらくブラック・ダリアのメンバーだろう。背を向けている男たちはそれよりも年齢が高そうだ。チャイニーズマフィアか、もしくは——。 「……めぇ! 親を……コラァ!」  何者かが大声で叫んだ。壁越しなので何を言っているか聞き取ることはできなかったがどこかで聞いたことがある気がする声だ。声の主の姿を見ようとするも、背を向けた男たちの陰になって見ることができない。この状況でも血気盛んな事から一般人ではなさそうだが。 「裏切る? 何言ってんだ、俺はいつも親父のことを思ってるさ」  今度は背を向けた男が言う。窓に近い分声がはっきり聞こえた。どうやら二人は顔見知りらしい。 「ったく、余計な事をしてくれたもんだ。おかげで……」  男はゆっくり歩きながら話す。窓から遠のいたため声は聞こえなくなったが、視界がわずかに開けて中の状況が見えた。薄汚れた緑のドラム缶が置かれ、その向こうに誰かが座っているのか血と泥で汚れた膝が見える。視界から一度消えた男が再び現れ血まみれの男を蹴り飛ばす。勢いよく倒れた男は島田組の構成員で、蹴り飛ばしたのは大神光輝だった。  光輝が何事か言っている。声を聞き取ろうと耳を澄ませたその時、車のドアが閉まる音が聞こえた。運転手の男が車から降り、こちらに向かって歩いてくる足音がする。猛は慌てて身を隠した。 「ちくしょー、またガチャ爆死かよ」  男はブツブツと不満を言いながら猛が先ほどまでいた窓の前に来ると、ズボンのファスナーを降ろして放尿する。ジョボジョボという音と主にツンとした匂いが広がり猛は思わず顔をしかめた。 「お、スキマあんじゃん。あー……やっぱモノホンのヤクザ、えげつねー」  窓の目張りに隙間がある事に気づいた男は中を覗き込んでニヤニヤと笑う。何が行われているかはわからないが、男の表情と言葉から凄惨な拷問が行われているのだろうと推測できた。猛は足音を立てないよう注意しながらゆっくりとその場を離れる——このままここにいても得られる情報はないだろう。詳しいことは不明だが、今見たことを恭弥に話しておかねばならない。  来た時と同じように倉庫の陰に身を潜めながら移動する。あと少しで倉庫街の出口に差し掛かろうというとき、一台の車が目の前を横切った。見覚えのあるシルバーのベンツ。ナンバーは間違いなく武藤の車だった。

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