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第九話
尾行がないことを確認しながら慎重に帰宅した猛は、先ほど見た光景を思い出し思考を巡らせる。ブラック・ダリアと大神光輝が繋がっていることは島田の調査によって明らかになっていたことであるため驚くようなことではない。だが、倉庫街で武藤を見かけたのは偶然なのだろうか? 光輝とブラック・ダリアの動向には注視していたはずだが、恭弥は彼らの動きを知っているのだろうか?
恭弥はまだ帰宅していない。時間はすでに深夜になっていた。得体の知れない不安が胸の奥からこみ上げ、気持ちを苛立たせる。スマートフォンには何の通知もない。猛はリビングを歩き回ったり窓の外の様子を窺ったりしながら時を過ごす。恭弥が帰宅したのはそれから一時間ほどが経過してからだった。
「なんだ。まだ起きていたのか」
恭弥は猛の顔をほんの一瞬見たあと、感情のこもらない冷たい声で言う。恭弥の身を案じ、不安を抱えながら恭弥を待っていた猛はわずかにムッとしたが、今はそんなことより報告を優先すべきだと判断した。
「恭弥さん、実は」
「やめろ」
恭弥は猛の言葉を遮り、無言で自室に向かう。何か様子がおかしい。
「恭弥さん、待ってください」
「……」
「恭弥さん」
「……」
「恭弥!」
猛は恭弥の腕を掴む。苛立った声に恭弥の体がビクリと跳ねた。
「やめろ猛。手を離せ」
「離さない。恭弥、こっちを向け」
「わからないのか? 手を離せと言っているんだ、猛」
「そんなもの、わかってたまるか」
猛は恭弥を後ろから抱きしめる。冷たく拒絶する言葉や態度とは裏腹に、恭弥は抵抗することなくその抱擁を受け入れた。腕に力を込め、さらにきつく抱きしめる——嗅いだことのない香水の匂いが鼻先をかすめた。
「猛」
恭弥の体は微かに震えている。まるで声を押し殺して泣いているかのように。
「俺を縛ってくれ。今すぐ」
「……いいだろう」
猛は恭弥の腕を引き自分の寝室に連れていく。ベッドに押し倒し、強引に唇を重ねながらシャツを脱がせていくと、あの香水の匂いが再び立ち上った。猛はその匂いに自身の体臭を上書きするかのように恭弥の首や胸元に舌を這わせる。
「あっ……あっ……」
小さな喘ぎをあげながら身をよじる恭弥。体温が上がったせいか香水の匂いが強く漂う。女物の甘い薔薇の香り——恭弥は見合い相手の女を抱いたのだ。そう確信した瞬間、猛のなかに言いようのない感情が湧き上がる。
「いっ……!」
猛は恭弥の乳首を嚙んだ。恭弥が小さく悲鳴を上げ、口の中に微かな血の味が広がる。今度はそれを労わるかのように舌で丁寧に優しく愛撫した。
「待っ……んあっ……!」
制止しようとした恭弥の口に指を差し込み、舌を摘まみ上げる。
「俺に身を任せろ」
猛が言うと恭弥は無言で小さく頷き、静かに目を閉じた。舌を解放し、そのまま指で口内を愛撫すると、恭弥は舌と唇でそれに応える。柔らかい舌が指の側面を撫で上げるたび、背筋にゾクゾクとした快感が走った。
「上手いぞ。よし、起き上がろうか」
恭弥の口から指を抜き、体を抱き起こす。前を開けていたシャツがはだけ、白いうなじと肩に続くなだらかなラインがあらわになった。暗い部屋の中で妖しく燃える火のように熱を持ったそれに舌を滑らせ、軽く歯を立てる。
「あっ……!」
微かな痛みと快感に眉根を寄せる恭弥。猛は恭弥の首や胸元を愛撫しながらシャツを脱がせ、ベルトを外しズボンの中に手を入れる。恭弥のペニスはわずかに勃起していた。指と手のひらを使って優しく刺激する。
「んっ……はっ……そこっ……いい……」
ペニスの裏筋、竿と亀頭が繋がる部分を指の腹で撫で上げると艶めかしい吐息が漏れた。電気が走ったかのように体をビクビクと震わせる恭弥がたまらなく愛しくなり、猛はもう一度唇を重ねる。舌と舌を絡ませ、互いの唾液を交換し、吐息を味わい尽くしていると、手の中で恭弥のペニスが硬さを増していった。
「もっと感じろ。もっと俺を欲しがれ」
耳元に口を寄せて低い声で囁く。手の中のペニスはさらに硬くなり、先から熱い粘液が漏れ出してくる。指先で掬い取って塗り広げ、手に力を入れず弄ぶように優しくしごくと恭弥の息が荒くなり頬が紅潮し始めた。
「もっと……もっと強く……」
低温でじりじりと焙られるような快楽に悶える甘美な声が猛の背筋を撫でゾクゾクと体が震える。恭弥の悦びに呼応するように猛のペニスも強さを増し、鋼のように固くなっていった。
「縛ってやる。望みどおりにな」
猛は恭弥から身を離し、英二から譲り受けたトランクの中から縄を取り出す。恭弥はうっとりとした目で赤い縄を見つめたあと、静かに腕を後ろに組んで少し頭を下げる。それはまるで自らの罪と穢れを認め裁きを受けようとする罪人のようでも、神の祝福を受けるために祈りを捧げる者のようでもあった。
猛は恭弥の腕に縄を巻きつけ硬く縛る。恭弥の口からかすかな吐息が漏れた。二の腕の上を通り、胸の上をめぐり再び背中へ。縄を折り返して引き締めると恭弥が再び吐息を漏らした。一度目よりも熱く官能的なその響きに共鳴するように、猛の背中を甘い快感が這い上る。
もう一度胸の上を巡った縄を背中で結び、縄の下に指を入れてゆっくりとなめす。指の背が肌の上を滑らかに撫で、こすれた肌と肌の間に静電気のような甘い快感が走った。縛る悦びと縛られる悦びが絡み合い、縄をかけることで互いの精神が結ばれていく。呼吸と呼吸が重なり、意識が溶け出して一つになるような感覚が、縄をかけ、結んでいくごとに強くなっていった。
「綺麗だ」
完全に縛り上げられた恭弥を見て、猛は思わずため息をつく。カーテンの隙間から差し込む青白い月の明かりの下に浮かび上がる白い肌と赤い縄のコントラスト。均整の取れた体に刻まれた幾何学模様のような縄目。そそり立ったペニスは濡れそぼり、乳首は自身を主張するかのようにピンと立っていた。甘い吐息も熱い喘ぎも全てが官能的で美しい。
「見ろ、恭弥」
猛は服を脱ぎ自身の体を晒す。太い腕、厚い胸板、引き締まった腹筋と重厚感のある腰、濃密な下生えから突き出る赤黒い巨根。逞しく雄々しいその姿に、恭弥は息を飲んだ。
「俺はお前が欲しい。お前を縛り付けて俺だけのものにしたい。俺を受け入れてくれるか?」
恭弥はその胸を歓喜に打ち震わせ、小さく頷こうとするが、考え直したかのように首を大きく横に振る。
「だめだ。これ以上はもう……もうだめだ猛」
恭弥は初めてセーフワードを口にした。猛——そう呼んだらSとMの関係は終わり日常の関係に戻る。それが二人の取り決めだった。
「……」
猛は悲しげな表情を浮かべて恭弥に手を伸ばす。静かに愛おしむように頬に触れ、指先で唇をなぞり、髪に手を射し入れ、首から背中を撫で下ろし、縄の結び目に手をかけた。
「恭弥さん」
猛の薄い茶色の瞳に自身の姿が映り込んでいる。なんてひどい顔をしているのだろう。まるで絶望に押しつぶされそうになって泣いている子供ではないかと恭弥は思った。
「恭弥さん、俺はこの先どんな事があっても、決してあなたから離れない。この縄はその証です。恭弥さん、俺は……」
この言葉を口にしてよいのか。言葉にすれば全てが崩れ去るのではないか。そんな思いが胸の内を駆け巡る。だが——。
「あなたを愛しています」
もはや自分の想いを止めることはできなかった。SとMではなく、猛は一人の人間として恭弥を愛し求めていた。
「俺はこれから先、何度も猛を傷つけてしまう。親父に抱かれるたび、愛してもいない女を抱くたび俺は汚れていく。俺は……」
恭弥の目から涙が溢れ出す。
「俺は血の呪縛から逃れられない。猛。俺はきっと、お前を殺してしまう」
恭弥は恐れていた。愛すること、愛されること、それを失うこと。その全てを。
「だから」
俺を愛さないでくれ。そう言い終わる前に猛の唇が恭弥の口を塞いだ。心と体、魂が沸き立ち、紡ごうとした言葉とは裏腹に全身全霊で猛を求めてしまう。
「傷ついているのは俺じゃない、あなただ。それに、あなたは汚れてなんかいないし、仮にあなたが汚れていようと、俺を傷つけようと、そんなこと関係ない。俺の心も体も全てあなたのものだ。あなたが与えてくれるものなら痛みも苦しみも全て受け止める」
「猛……」
「あなたが死ねというなら死んでいい。あなたに殺されるなら本望だ。恭弥さん、俺は俺の全てで、あなたを愛している」
「猛……」
猛の言葉は恭弥の言葉であり——。
「俺も、愛している」
猛の想いは恭弥の想いでもあった。
「恭弥さん、恭弥さん……恭弥……恭弥……!」
猛は恭弥の名を呼びながらその全身に何度も口づけする。触れた唇や指先から愛と歓喜が流れ込み熱い吐息が漏れた。
「猛……あぁっ……猛……!」
体中を駆け巡る快楽の奔流に身をよじる恭弥。よじった体に縄が食い込み甘い痛みがはしる。その体は熱く溶け出しそうで、縛り付けていなければ形を保っていられないような気がした。恭弥は白みがかった意識のなか、我を忘れて乞う。欲しい、と。
次の瞬間、猛は恭弥の体を抱き上げ、腰を高くつき上げたうつぶせの姿勢に押し倒す。後ろに縛りあげられた手と赤い縄が背中の刺青——血の象徴として刻まれた龍を覆い隠していた。
「あっ……あぁぁぁっ……!」
猛は恭弥のアナルにペニスをあてがい、ゆっくりと挿入する。かすかな痛みを伴ったそれが体の中に入ってくる感覚に、恭弥は悦びの声をあげ、全身を快楽にうち震わせた。
「んはっ……いいっ……あぁっ……!」
猛は少しずつ腰を突き動かす。硬く熱いペニスが体の中で動くたび目の前が明滅するような感覚に陥る恭弥。腹部の圧迫感と縄の拘束、肺を押しつぶすような体勢の息苦しさも、彼にとっては全てが悦びであった。快楽の波は徐々に強く大きくなり、意識が覆い隠される。
「あっ……イッ……イクッ……イッ……」
体の最も深いところからこみあげてくるオーガズムの予兆。その感覚ごとペニスを飲み込もうとするかのようにアナルがきつく締まり、意識が極限まで収縮する。息が詰まり呼吸が止まる。
「ーーーー!!」
体の中で何かが弾けた。収縮していた意識は一瞬にして拡散し、恭弥は声にならない叫びをあげる。アナルが脈打つように蠢き、体は不規則な痙攣を繰り返した。初めて経験する射精を伴わないオーガズムは、想像よりも深く幸福感に満ちたものだった。
「恭弥……っ! 恭弥……っ!」
恭弥の体を傷つけぬよう、また、この悦びを少しでも長く味わえるよう、ゆっくりと腰を動かしていた猛だったが、その忍耐ももはや限界を迎えようとしていた。恭弥のアナルがペニスに絡みつき、精液を搾り取ろうとするかのようにうねっている。突くごとに体の奥から熱い塊がせりあがり、ペニスは硬さを増していった。
「もっと突いていいか?」
呻くような声で尋ねる猛に、恭弥は無言で何度も頷く。一度目のオーガズムの波はほんのわずかの間弱まったものの完全に消え去ることはなく、再び大きな快楽の波となって迫っていた。一度目よりも深く大きく激しいオーガズムの予兆に、恭弥はもはや声を出すことも出来ない。
猛は腰を大きく動かす。激しく、強く、深く。恭弥の全てを貪るかのように。
「ああぁっ! 出すぞ! 恭弥! ああぁぁぁっ!」
「ーーーー!! ーーーー!!」
限界まで硬くなったペニスが大きく脈動し熱い精液が迸る。その熱と激しい脈動に呼応し、恭弥もまた深く大きなオーガズムを迎えた。脈動に合わせて精が放たれるたび二人の体は細かく痙攣し、息をつめたような声が漏れる。次第に呼吸が整い、細かな痙攣や脈動が収まるとペニスは硬さを失っていったが、恭弥はまだオーガズムの余韻と幸福感に浸っていた。
猛はペニスを挿入したまま恭弥の縄を解く。解放された腕には縄の痕が残り痛々しく見えたが、その痕こそが恭弥への愛の証明なのだと思うと奇妙な愛しさがこみ上げてきた。
恭弥の呼吸が整った頃を見計らってペニスを抜く。恭弥はうっとりと目を閉じたまま力なく体を横たえた。アナルから漏れ出した精液が太ももとベッドシーツを濡らしたが、その感覚までもが心地よいかのように満足げな表情を浮かべている。彼のペニスは萎えていたが、アナルの痙攣に合わせるように細かくひくひくと動いていた。
「恭弥……」
猛は恭弥の隣に横たわり、その体をそっと抱き寄せる。甘い倦怠感の中で微睡むように目を閉じていた恭弥はゆっくりと目を開き、猛を見つめて微笑むと再び静かに目を閉じた。
「このまま死んでしまいたい」
恭弥は猛の胸に抱かれながら小さく呟く。この満たされた気持ちのまま、永遠の眠りにつく事ができればどれだけ幸せだろう。そう夢想せずにはいられないほど、恭弥にとって現実は過酷で苦しいものだった。
「俺が……」
血に縛られ、自由を奪われ、望みもしない道を歩まなくてはならない恭弥。彼の望みはその全てから解放されること。猛はその切なる願いを叶えたいと思った。
「俺が殺してやるよ」
腕の中の恭弥を強く抱きしめる——温かい肌と肌が触れ合い、鼓動が重なり合う。このまま一緒に止まってしまえば、どれほど幸せだろう。共に果て、魂と魂で結ばれる事ができたら。
「……約束してくれ」
恭弥が言うと、猛は力強く頷く。この約束があれば、猛がそばにいれば、血に縛られた運命も受け入れる事ができる。深い安堵が恭弥を包み込み、愛され許容される歓びが体を微睡みへと誘った。
「猛。俺を離さないでくれ」
猛の胸に頬を擦り寄せ、甘い眠気に飲まれながら恭弥は言う。寝息交じりの声が途切れると同時に目の前が暗くなり、恭弥は深い眠りへと落ちていった。
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