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第9話

「そういえば聞きました?」 終業まであと2時間。静けさの漂うオフィスで、山本ちゃんが顔を寄せてきた。 「ん? 何を?」 「和田さんですよ〜。最近、毎朝同じ女性と通勤してるらしくて。本命かもって噂です」 「あー、あいつか」 女性人気の高い和田は、社内外問わず常に噂の的である。 しかも、ちゃんとそれをわかってるタイプだ。 本人も満更でもないらしく、女性ウケのための努力は怠らない。 「来る者拒まず、去る者追わず」が信条で、誘われれば基本断らないらしい。 それがまた噂を呼ぶわけだけど。 「いつものことでしょ」 「違うんですってば。最近は毎日同じ人ですよ。絶対付き合ってます!」 「 何だよ、山本ちゃんまであいつのこと狙ってんの?やめた方がいいって」 「ちがいますって〜!私はミツくん一筋ですから!」 「はいはい、推し活ご苦労さま」 「もう〜伊藤さん興味ないの丸出し!」 最近流行りのサバイバルオーディション番組をきっかけに 推し活に勤しんでいる山本ちゃん。 一旦恋愛はお休みして、アイドルに没頭することに決めたらしい。 それでも、社内の噂事情には詳しく 情報に疎い俺にいつも教えてくれる。 「お疲れっす〜」 2人で雑談しながら仕事をしていると 噂の張本人が戻ってきた。 「おかえりなさいませ!」 「おかえり〜。ちょうど今お前の話しててさ」 「ちょっと伊藤さん!!」 「え、なになに教えて」 噂のことを軽率に口にしてしまい 山本ちゃんが頬を膨らませて怒っている。 「お前が最近、彼女できたんじゃないかって噂。」 「え〜そんな事実ないけどな」 「絶対嘘です!目撃情報いっぱい寄せられてますから!」 自信満々に言い切る山本ちゃんが微笑ましく 俺も和田も笑ってしまう。 「まあ俺はさ、何もしなくても女性が集まってきちゃうタイプだから。噂になるのは仕方ないね」 「うわムカつくわ〜」 「人の心配はいいから、伊藤も噂されるように頑張れよ☆」 ウインクを決めながら嫌なことを言う奴・・・ 思わず眉間に皺が寄る。 「うるせえな。俺は秘密主義なんだ。」 「強がんなよ、まあ今度飲みに行こうぜ」 いつものように、俺と和田の小競り合いを山本ちゃんが笑う。 分かりやすくモテる和田と対照的に 浮いた話が一切ない俺は、この手の話になると不利だ。 モテないわけじゃなく、今は恋愛をお休みしているだけで・・・! 推し活に励む山本ちゃんと同じ理由を並べてみるが 俺には推しもいないし、何とも味気ない毎日である。 今まで数人、お付き合いした経験はあるものの 男らしくリードするような性格ではない為 彼女にはいつもどこか物足りなさを感じさせてしまうようで。 「仕事に集中したい」と、どこか優しい嘘のような言葉で終わることが多かった。 「伊藤さんも爽やかで綺麗だから目立つし、みんなに噂されてるんですよ〜」 「らしいぞ、よかったな」 山本ちゃんがすかさずフォローに入るが、 男が綺麗と言われて、嬉しいわけがない。 「はいはい、ありがとうございます。仕事しようぜ仕事」 「何だよ、お前から話しかけてきたんだろうが〜」 「和田さん呼び止めてすみません」 呆れ顔の和田を、山本ちゃんが苦笑いで宥める。 別に怒っているわけではないが、そろそろ上司が戻ってくる時間なので 雑談を切り上げてそれぞれの業務に戻る。 「……俺も推しでも見つけようかな」 ぼそりとつぶやいた声は、誰にも聞こえなかった。

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