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第10話

定時を5分過ぎたが、今日も早目に仕事を切り上げて退勤。 花見のシーズンが終わり、葉桜が目立ち始めたこの頃。日が暮れるとまだ少し肌寒く感じる。 今朝は暖かいからとカーディガンだけ羽織ってきたが、コートを持ってこればよかったと少し後悔しながら駅まで歩く。 雨が降らなかったのが、せめてもの救いである。 火曜日の今日は、急ぎ足でショッピングモールのある駅へ向かう。 電車を降りたホームの先に、どこかで見たような後ろ姿があった。 群衆より頭一つ飛び出た長身、質のいいコートに、控えめな色味。 ——及川さん、だろうか。 顔を見なくても何となく分かる。 CookingPOPのある方へ向かっているその人物へ 声をかけようか一瞬考えたものの 一度しか会っていないし、向こうが覚えているのか自信も無いし。 結局、15メートルほどの距離を保ったまま、同じ方向へノロノロと進む羽目になった。 教室に入ると、マダム達に囲まれた及川さんの姿が。 少々戸惑いつつも、口元には笑みを浮かべて談笑している。 「あ、遥希くんこんにちは!」 「皆さんこんにちは」 「その格好、寒くないの?」 「いやー、今朝だいぶ暖かかったので油断しちゃいました」 「もう〜風邪ひかないようにね」 「ははっ、ありがとうございます」 マダム達と話している間、頭上から視線を感じる。 ふと見上げると、こちらをじっと見つめる及川さんと目があう。 「遥希さん、今日もよろしくお願いします」 口元の笑みはそのまま、少しだけ細められた目元に戸惑う。 な、なんだこの破壊力はー。 良い男っぷりに目が眩むと同時に、 自分との格差にちょっぴり落ち込む。 「こちらこそよろしくお願いします」 何とか返事は返せたが、自分がどんな顔をしていたか分からない。 「皆さんこんにちは!お揃いのようですのでレッスン始めましょうか〜」 ちょうどアカリ先生が入ってきて、皆ぞろぞろとキッチンへ入っていった。 カーディガンのみの遥希はそのままだが、 アウターを羽織っている人は入り口で脱ぐ必要がある。 他の生徒に紛れてコートを脱いだ及川さんは そのまま何気なく畳んで、空いていた椅子にかける。 ごく普通の所作なのに、無駄がない。 それだけで、なんとなく整って見えた。 先週と同様、シャツにスラックスというシンプルな格好だが 洗練された印象だ。 あまりジロジロ見るわけにもいかないので 気を取り直して調理の準備をする。 「あ、遥希くん。今日も及川さんと一緒のグループでいい?」 アカリ先生にこそっと声をかけられる。 「え、はい。僕でよければ全然」 「よかった〜。まだ慣れてないと思うから、しばらく一緒にさせてもらえたら嬉しい!ありがとね」 「いえ、お役に立てるなら何よりですよ」 せっかく増えた男性会員だし、すぐに辞められたら困るんだろうな。 教室側も大変だな〜と呑気に考えていると、及川さんがそばにやってきた。 「遥希さん、エプロンの紐が解けてます」 慌てて振り向くと、及川さんがすっと後ろに回った。 「うわ、ほんとだ」 「ちょっとそのままで」 手早く、でも丁寧に結んでくれる。 ほんの数秒のことだったが、子供扱いされているようで恥ずかしい。 「すみません、ありがとうございます」 「いいえ、このぐらい大したことないです」 何だかもう、俺の先輩らしさは消えてしまったみたいだ。 結び直されたエプロンの感触を気にしながら、アカリ先生のレシピを確認する。 さて、今日はどこまで上手く作れるだろうか。

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