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ファーストキス

ノエル・リンデジャックが入った緊急治療室には、3人の男がいた。 治療台の上には、魔術騎士の証である深紅のマントを纏い、身体中に酷い怪我を追った濃紺の髪を持つ長身の男が仰向けにされ、横たえられていた。 マントはところどころが大きく避け、魔物の血特有の生臭い匂いがついている。 その倒れた男の傍らに、同じく深紅のマントを纏った、ゆるいウェーブの金髪にアクアマリンの瞳を持つ、恐ろしく高貴な雰囲気をまとった男が立っていた。 手には、桜色の液体が入った小瓶を持っている。 「ランド、私の声が聞こえるか?メイから聞いた。S級の魔物に遭遇したと…ランド、頼む、口を開けて、これを飲んでくれ」 「リッツェン殿下、だめです、ランドルフ隊長の体内には、特効薬を受け取るための魔力すら残っていない。そんな状況で飲んでもランドルフ隊長の命は…持って……数分かと…」 最後の言葉を吐き出すように漏らしたのは、同じく治療台の側に立っていた、煉瓦色の髪をゆるく三つ編みにし、丸いメガネをかけた男だった。 魔術士の証である黒のマントをつけている。 金髪の男にとって、黒いマントをつけた魔術士の見立ては、決して受け入れることができないものだったが、濃紺色の髪の男の状態を正確に説明していた。 「こんなの初めて見る…ひどい状態だ」 ノエルは思わず声をもらした。それもそのはずで、治療台に横たえられた男の周りには、おびただしい数の黒い点が集まり、左の肩から手にかけて、太いワイヤーのように何重にも巻き付いていた。 右の腹部のあたりにも同じようにワイヤーが巻き付いたようになっており、その他の身体は、顔を残して黒い糸のような細い線が張り巡らせれていた。 ただし、この黒い点はノエルにしか視えていない。 ノエル以外の目には、男が魔力を失い、動けなくなって死にかけているようにしか見えない。 通常、病魔のストレスを受けると、ノエルの目には、ストレスを溜め込んでいる身体の部分に黒い点が集まっているように見える。 症状が強い時には、無数の黒い点からできた細い糸状のものが数十本絡まっているように映る。 過去に見た1番ひどい症状でも、黒い点がワイヤー程に太くなって固く巻き付いているところなど見たことがなかった。 「君は…?」 金髪の男は、驚いて振り返って、ノエルに尋ねた。 ノエルは返事をせず、着ていたシャツの手首についてるボタンを外し、素早く袖を捲り上げ、治療台に近づいた。視線は今にも死にかかっている男にのみ向けられている。 「誰ですかあなたは!?どうしてこんなところに勝手に入り込んでいるのです?」 眼鏡の男は、突然現れたノエルを部屋から追い出そうと詰め寄った。 「治療士のノエル・リンデジャックです。今からこの方を治療します」 一応名前を名乗って自己紹介しているのだが、ノエルの視線は、2人ではなく、治療台の上の男に注がれていた。 濃紺色の髪の男の頬にそっと手をあて、手首で脈を測る。 「治療士だって!?何を言っているのですか?治療士風情にどうにかできる状態などではない!」 「フェルナン、静かに。リンデジャック…何か考えがあるのかな?」 フェルナンと言われた眼鏡の男を静止して、金髪の男がノエルに聞いた。 ノエルは初めて金髪の男に目を向けた。薄茶色に緑が差し込んで見えるヘーゼルナッツの瞳が、アクアブルーの瞳を捕えた。 「はい。治療の許可をください」 ノエルは目の前の金髪の男が何者なのか知る由もなかったが、その風貌と殿下と敬称される姿から、この場で死にそうな男の治療を許可する権限を有してる人物と踏んでいた。 「…私は討伐第二部隊隊長のリッツェン・ロイスタインだ。この倒れている男は討伐第一部隊の隊長のランドルフ・ヴィクセン」 金髪の男リッツェンと、死にかけている男ランドルフは、ノエルが配属された討伐部隊のトップに君臨する隊長であった。リッツェンはノエルの目を見て言った。 「彼の治療を許可する」 「殿下…!?なぜこんな治療士なんかに…」 眼鏡の男フェルナンは、リッツェンがノエルに治療を許可したことが信じられないとばかりに、両手で頭を抱え込んだ。 「フェルナン、彼はリンデジャックだ。三賢と言われるアーサー・リンデジャック殿のご子息だ」 「そんなまさか…英雄であり偉大な研究者でもあるアーサー師団長の…?」 ノエルはそんな二人の会話をもう聞いてはいなかった。治療台の上のランドルフを触診して、素早く状況を把握し、すうっと息を短く吸い込んで、ランドルフの唇に自分の唇を重ねた。 「…っ!?」 リッツェンとフェルナンはノエルとランドルフの二人のキスに驚いて固まった。 ノエルはすぐに唇を離し、治癒魔法の詠唱を始める。歌うように小声で呪文を唱えながら、ランドルフの左腕と右の脇腹を優しく撫でる。 そして再びランドルフにキスをした。今度は深く長く口づけをする。ノエルの魔力がランドルフに移っていく。 ノエルは一旦キスを止め、深緑色のマントの内側からた小さな小瓶を取り出した。コルクを外し、瓶の中の桜色の液体を半分ほど口に含み、ランドルフに口移しで飲ませる。 「ん…」 ランドルフは喉をならして、口の中の特効薬を飲んだ。 「ランド!」 「ランドルフ隊長!」 ノエルはまた静かに詠唱しながら、ランドルフの体全体にノエルが口移しで飲ませた特効薬が行き渡るように優しく撫でる。そして、ランドルフに声をかけた。 「ランドルフ隊長、聞こえますか?目を開けられますか?」 ランドルフはゆっくりと目を開けた。ランドルフのエメラルド色の瞳が、ノエルのヘーゼルナッツナッツの瞳を映す。 「…君…ここは…?」 ランドルフに巻き付いていた太いワイヤーのような黒い点の集まりは次第に霧散され、今は細い糸状になって、ふわふわと浮きながら、左肩と腹部のまわりを漂っている。 ランドルフは顔以外はまだ動かせそうになかった。 「あと、半分です。飲んだら、すぐに眠たくなります。」 そういうとノエルは、瓶に残った全ての特効薬を一気に口に含むと、ランドルフに本日3度目のキスで、口移しをした。 「んん…」 ランドルフは突然のノエルのキスに目を見開いたが、身体を上手く動かすことができない。 ノエルの口から運ばれる甘い味を、身体の防衛本能が欲したのか、ランドルフは少しずつ特効薬を嚥下していった。 「まだ…」 ランドルフは、右腕を伸ばし、ノエルの後頭部をおさえた。 そして、ノエルの口から少しでも多くの特効薬をもらおうと、舌を使って、ノエルの口深くに押し進み口腔を撫でた。 「うんっ…待っ…」 ノエルは突然はじまった、ランドルフの舌の動きをかわすことができず、身体を揺らした。二人の唾液と特効薬がちゅくちゅくと音をたてて絡み合う。 さすがに、腕を動かす力が続かなかったのか、頭を抑えていたランドルフの腕の力が弱まった隙に、ノエルはランドルフから離れた。 そのタイミングでランドルフは、気を失うように眠りについた。特効薬が効いている証拠でもあった。顔色も、随分良くなっていた。 「もう大丈夫です。峠は越えたかと。」 そう、リッツェンたちに伝えたノエルの唇はてらりと光っていた。 リッツェンの喉がごくりと鳴る。 「そっ、そう…良かった…」 リッツェンはノエルから目が離せなくなっていた。 「その…君の、唇がっ…」 濡れている、とリッツェンは小さな声で呟いた。 「唇…?あっ…」 ノエルは濡れた唇を指で拭ったとき、あることを思い出した。 「ど、どうかした?まさか今の治療で、君まで病魔ストレスを…」 リッツェンは焦ってノエルに声をかけた。ノエルはすぐに否定し、こう続けた。 「違うんです。初めてだったなぁと。キスしたの」

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