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目が覚めたら天使に世話をされていた ※ランドルフ視点

何か温かいものが身体中を優しく撫でている。 口の中には甘い味が広がる。心地の良い魔力が全身を駆け巡っていた。 ランドルフの意識は少しずつ戻っていき…そして、誰かに名前を呼ばれたような気がした。 声に反応して、起き上がろうとしたが、首から下の身体が石のように重く、動かせない。 ただ、目は動かすことができた。ゆっくりと目を開けたその先には知らない顔が見える。 「…君…?ここは…?」 目の前の男は誰なのか、ランドルフには分からなかった。 (誰だ…可愛い…天使か…?俺は死んだのか?) 可愛い、とにかく可愛い。ランドルフは、目の前に突然現れた、少しクセのある榛色の髪の毛を持つ少年を見つめた。整った眉、小ぶりだがすっと通った鼻筋、ツンと尖ったあご…ランドルフは食い入るように少年を見つめる。目の前で、ハンブン…とか何とか言っているが、頭には入ってこない。 (瞳も…髪の毛と同じ色か…?いや、緑も少し入って…) ヘーゼルナッツの瞳が近づいてきたかと思ったら、唇が塞がれた。少年の林檎色の唇によって。 先ほど感じた甘い味が口全体に広がる。 「んん…」 突然、天使のような少年からキス(口移し)をされるとは、やはりここは天国かもしれないとランドルフは思った。 もっと甘い味を堪能したかった。 「まだ…」 先ほどから動かせなかった腕が、反射的に動き、少年を逃さないように小さな後頭部を捕らえる。 (ああ…甘い…もっと、もっと…欲しい) 「うんっ…待っ…」 少年の声が、ランドルフの耳に甘く響く。舌を使って上顎から歯列をなぞると、もっと甘い濃い味がする。少年の唾液もご馳走だった。いつまでも含んでいられる…。 夢中で少年の唇を堪能したランドルフはまた意識を失った。 *** コツコツと、誰かが廊下を歩く音がする。 ランドルフは目を開け、ゆっくりと上体を起こす。閉じられたカーテンからは朝日が透けて、光が差し込んでいる。 先程の足音は、ランドルフがいる部屋に近づいていた。もう、誰かはわかっている。討伐の野営で鍛えられた、足音を聞き分ける研ぎ澄まされた感覚は、療養中の今でも鈍ってはいなかった。 コンコン ドアがノックされる。 「リンデジャックです」 「入ってくれ」 討伐部隊では、上司や目上の人の部屋に入る場合、下の者は名乗らなければならないという規則がある。 「おはようございます」 「おはよう、ノエル。この椅子に座るといい」 3日前、第1討伐部隊隊長ランドルフ・ヴィクセンと数人の魔術騎士たちは、偶然、S級クラスの複数の頭を持つ蛇の魔物、ヒュドラに遭遇した。ランドルフは隊長として、他の隊員たちを逃がし、ヒュドラに一人で立ち向かった。 なんとか倒すことができたものの、自らも瀕死の怪我を負った。その時に治療して救ってくれたのが、たった今部屋に入ってきた、治療士ノエル・リンデジャックであった。深緑色のマントを付け、片手には朝食がのったトレイを持っている。 ノエルは、ランドルフを治療した後、自らその後の経過観察と世話を申し出た。 まだ自由に身体を動かすことができないと言っているランドルフに、ノエルはこうやって顔を出して何くれと世話をやいていた。 ランドルフから、ベッドの横にある椅子にかけるようにすすめたられたが、ノエルは軽く首を振って、ベットのサイドテーブルに、トレイを置いた。 「ありがとうございます。立ったままで大丈夫です。それよりも…ヴィクセン隊長?」 「ランドルフだ」 「…ランドルフ隊長。まだ起き上がっては…身体に無理がかかるかと」 ランドルフは既に上体を起こし、大きな枕を背もたれにしている。ランドルフの右脇腹に、ヒュドラから攻撃された大きな傷がある。ノエルの献身的な介護のおかげで、もう傷はだいぶ小さくなったのだが、ノエルは腹部と、動かせるようになった左腕をよくじっと観察したり、触ったりしている。 「ノエルのおかげで大分よくなったから、このくらいは平気だ」 「…」 ノエルの眉が少し下がる。仕方がない、といった表情か。ランドルフは、あまり表情の変わらないこの新人治療士の新たな表情を引き出すことに余念がない。 (今日も、天使だ…) 控え目にみても、ランドルフにとっては天使だった。榛色のクセのある柔らかそうな髪の毛、雪のように透明感のある白い肌、林檎色の唇、ヘーゼルナッツの瞳。これで白い翼がついてたら、本当に天使だ。ランドルフはノエルを見つめる。 まさか、目の前の第1討伐部隊のトップである隊長が、そんなことを思ってるとは、ノエルは全く気づいていない。 「まずは、腹部の傷を見せてください」 「どうぞ?」 ランドルフは、伸縮性のあるトレーニングの時や、寝る時に騎士がよく身につけるシャツのすそを捲り、日頃から鍛えられている見事な腹筋を惜しげもなく晒す。 「少なくなってはいるけど…まだ…」 ノエルは、特に傷が酷かった腹部と、怪我は特になかったが、動かせなかった左腕を気にして、1日に何度もチェックをしにくる。 「太いな…」 (…太っ…何だと?) 状況が違えば、男としては嬉しいワードが、ランドルフの下半身にジャブを打つ。ランドルフは、討伐の現場で鍛えた有事の際に活かされる対応力をもって、なんとか冷静を装うことに成功した。 「…何がだ?」 なんてことはないという様子で、ノエルに訊く。 「あっ、いえ、なんでもないです。怪我はよくなってますが、無理は禁物です。伝説級という未知の生物ヒュドラの毒牙にやられたわけですから。せめてあと数日は大人しくされてくださいね。」 ノエルは、治癒魔術を唱える。消えるような小さく細い声だが、ランドルフには讃美歌のような美しい音色に感じる。身体も、楽になっていく。ノエルの魔術は驚くほど、自然に身体に馴染んでいく。 美しい旋律をずっと聴いていたいと思った時、近づいてくる足音に気がついた。話し声も聞こえてくる。 (あいつら…また来たのか…) 「リッツェン殿下、もうこれで何度目ですか?ご本人からももう大丈夫だと聞いたばかりでしょう。それに…」 「フェルナンは朝からやかましいね。君はついてこなくていいのに。」 「なっ、私は魔術士ですが、貴方の側近でもあるのですよ!可能な限り、殿下のお側に侍るのが仕事です!」 コンコン、とノックの音がしたと思ったら、すぐにガチャリとドアが開いて2人の男が入ってきた。 「やぁ、ノエル、おはよう」 黄金に輝く、ウェーブのかかった髪が軽く揺れる。耽美で整った顔、溢れ出る高貴なオーラを持った、第2討伐部隊の隊長でありパラビナ王国の第3王子でもあるリッツェン・ロイスタインが爽やかに登場した。 その後ろから、煉瓦色の髪をゆるく三つ編みにして左側に流し丸メガネをかけたフェルナン・ルシアノが、自らの名前を名乗って入ってくる。 「おはようございます」 リッツェンは、ノエルの顔をみて、明らかに顔色が明るくなったが、ランドルフの世話をしている状況を瞬時に察し、一気に表冷め表情に変わる。 「ランド、調子はどう?君、今日にはもう動けるとか言ってたじゃないか」 「いや…ノエルの話だとまだ安静が必要みたいだ。あれ…ちょっと傷が痛んできたかも…」 少し前かがみになったランドルフに、ノエルは心配そうに声をかけた。 「それは、具体的にはどういった痛みでしょうか?内側からそれとも、表面の傷からでしょうか?ああ…ヒュドラの毒を受けた症例がほとんどないのが致命的だ…ヒュドラは、頭を複数持っているので、その身にある毒も数種類あると言われているんです…ランドルフ隊長?大丈夫ですか?横になりますか?」 ランドルフは、直ぐ側にあるノエルの腕をつかみ、市井の若い男女ならばすぐに心を奪われてしまうであろう、エメラルド色に輝く瞳でノエルをみつめる。 「大丈夫。ノエルが側に居てくれたら、すぐに治る」 「…えーっと、はい…僕がランドルフ隊長を治療してから3日間、ずっと経過を観察していますよ?」 「…」 ランドルフの安い芝居を、憎らしげに眺めていたリッツェンは、ノエルに全くその意図が伝わっていないことがわかると、少し気持ちが晴れた。そして、ノエルに、あるピンバッチを見せた。 「ノエル、ご所望のものだよ」 銀色の三日月型の形に、第2討伐部隊の紋章が刻まれている。 「…!ありがとうございます!」 「これで、ノエルは第2討伐部隊の魔術士のラボを使うことができるよ」 表情があまり動かないノエルが、満面の笑みを浮かべる。 「嬉しいです。さっそく今日から使えますか?」 「もちろんだよ、今からでも行ってくるといいよ。もう伝えてあるし、すんなり通されるはずだよ」 「はい!ありがとうございます。行ってきます。治療薬も精製したいし…ヒュドラについても調べたいことがあるんです」 ノエルはそう言い残し、部屋の中にいる3人にぺこっと頭を下げて部屋を出ていった。 (こいつ…俺の天使を自分の部隊に囲い込もうとしているな) 「さて、ランド、随分、ゆっくりしてるみたいだね。申し訳ないけど、そろそろ稼働してくれないと…第1と第2の兼務は私でも少し厳しい。」 「リッツなら問題なくやれるんじゃないか?あまり俺が動き回ると、ノエルが心配してかわいそうだろう。ところで、ノエルは治療士だし、まだ新人だ。配属先は決まってないはずだし、魔術士のラボに出入りは許されてないはずじゃなかったか?」 ランドルフの疑問に、フェルナンは少し面白くなさそうに回答する。 「リンデジャックは治療士と魔術士の両方の試験をパスしてるそうですよ。本人たっての希望で討伐部隊に派遣される治療士になったとか。規則的にも、魔術士試験を合格した者に、ラボの使用は許可されています。第2討伐部隊のラボなのは…殿下のご采配です。」 フェルナンは、じろっとリッツェンに恨めしげな目線を向けた。 「自分の部隊の方が、許可を出しやすいだけだけどね?」 リッツェンは、にこやかに言う。爽やかそうにみえてこの第3王子は、抜け目がない。ランドルフは内心舌打ちをした。たしかにこのまま寝こけていたら、出遅れる気がする。 この討伐部隊は、3つの部隊が集まって結成されている。残る第3部隊には、同じように手強いアイツがいる…ランドルフは、そろそろ戻るしかないかと心を引き締める。 「どうでもいいですけど、討伐部隊の隊長2人が新人治療士の取り合いって、好きな子がかぶった子供ですか…」 フェルナンはそう言いながら、あきれ顔で眼鏡をおさえた。

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