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憧れの『聖女』 ※リッツェン視点

初めて聴く美しい旋律だった。 突然現れた新人治療士は、小さく歌うように治癒魔術を唱えた…詠唱と伴に優しく身体を撫でる様子は、小さい頃に読み聞かせてもらった絵本に描かれていた『聖女』の姿そのものだった。 『聖女』のように黒目黒髪でも、女性でもないのに…リッツェンは、ノエルが治療している姿をみた時、小さい頃に恋焦がれていた憧れの『聖女』の姿を思い出していた。 * リッツェン・ロイスタインは、パラビナ王国の第3王子として生まれた。しかし、母親が隣国の貴族でしかも側妃であったため周囲の者たちからは重要視されず、幼少期はあまり構われずに育った。 父親である国王と離れ、離宮で育てられたリッツェンは、同じく離宮の1つに住んでいた王弟である叔父のところに忍びこんだところを見つかっては、お菓子や本など与えてもらい、可愛がられていた。 叔父は、周りから軽んじられている自身の身分と、リッツェンのことを重ねていたのだろう、リッツェンのことを追い返したりはせず、迎え入れてくれた。そして、お気に入りの本をたくさん読み聞かせてくれたのだが、ほとんどが、聖女や聖人について書かれた本だった。 パラビナ王国には、百年に一度の割合で、異世界から転移してきた者が現れる。 その者たちは、共通して、パラビナ国民には無い、黒髪と黒い瞳を持っていた。その上、異能を発揮し、国を救ってくれる力も有していた。 異世界からの転移者は、聖女・聖人とよばれて、丁重に扱われ、国が保護をしてきた。 『本当にすごい癒しの力を持ってるんだ。稀代の聖女だった…カレンは…』 聖女カレンに似ているという、黒髪の聖女が、祈りの歌を唱えながら、多くの人を癒す絵本の挿絵を何度も見せられ、リッツェンは小さいながらに、美しなと思って叔父の話を聞いていた。 しかし、叔父は、次第に精神を病んでいき、離宮の奥深くの塔に半ば幽閉される事となり、気軽に会うことはできなくなってしまった。 *** 「新人治療士がランドの傷を治療した?やめろ、こっちはやっと王都についたんだ。冗談に付き合ってる暇はねーよ」 ノエル・リンデジャックが、ランドルフ・ヴィクセンを瀕死の危機から救った日、リッツェンは、メイ・ホルンストロームに起こったことを伝えていた。 リッツェンの机には、遠くに離れても会話ができる通信魔術が付与された小さな鏡が置かれている。鏡には王都エンペラルにいるメイが映っている。 メイはランドが瀕死の状態で戻ってきてすぐに、ランドの治療の救護要請をするために王都エンペラルへ向かった。 リッツェン達統合討伐部隊がいるルノール地方の山奥から、エンペラルへはローバーとよばれる自走式の馬車のような乗り物で3日間はかかる。 メイは魔物討伐第3部隊隊長の権限を使い、使用を許可されている移動の魔術が付与された魔法陣を使用した。それでも、魔法陣がある拠点を数カ所経由しなければならず、やっと王都に到着したところだった。 「冗談じゃないんだよ。ランドはもう大丈夫だ。あの大怪我が嘘のように、今は落ち着いて眠っている。三賢のリンデジャック元師団長の…深窓って呼ばれてる息子が治療した。」 「リンデジャックの息子…ああ、今回新人としてきた奴か…聞いたことはある。でも治療士として派遣されてこなかったか?」 「治療士だよ。どうやら魔術士の知見もあるようで、一般に流通されているものじゃない、自分で精製したっぽい病魔ストレスの特効薬を持ってた」 リッツェンは、『初めてだった』と言いながら、林檎色の濡れた唇を指でぬぐったノエルの様子を思い浮かべていた。その姿は、深窓と呼ばれる無垢な印象と相まって、ものすごい色気も孕んでいた。 (もし、ヒュドラに襲われたのが私だったら…あんなふうに魔力の交換をしてもらえたのかな…) 「んじゃ、俺はもう戻っていいか?」 ノエルの様子を思い出して、急に静かになったリッツェンにメイは早々に討伐部隊の拠点に戻ると言い出した。 「ちょっと、せっかくエンペラルにいるんだ。ついでにこのことを報告しておいてよ」 やはりそうなるかと、メイははぁ…と大きなため息をつく。 「国の狸ジジイ共の相手をするのかよ…。ランドが助かったと知ったら、きっと、もっと聖樹を探せとか言うぜ、あのクソ共は」 「メイ…いくらなんでも明け透け過ぎない?君はホルンストロームだろう、こっち側だと思うけどね」 リッツェンにそう言われ、メイはわざとらしく舌打ちをする。 「…わかった。多分対応が決定されるのに時間がかかるぞ。それまでは、リッツ…おまえが第1部隊もみるんだからな」 「わかってるよ。こっちもランドの様子は報告は入れるから、対応が決まったら一報いれてくれると嬉しいな」 「ああ…んじゃ、一旦切るぞ。もう遅いから報告入れたあと、実家に戻る」 メイがそう言ったあと、リッツェンの机の上にあった鏡が暗くなった。 *** 「ラボを使ってない…?」  リッツェンがノエルに、第2討伐部隊のラボの使用許可を与えたのは1週間前のことだった。 ラボが使用できるバッチを渡した時、ありがとうございますと嬉しそうな笑顔をみせたノエルに、なんでもしてあげたい…そんな気持ちが湧いた。すっかりノエルに堕ちているとリッツェンは自覚する。 「はい、リンデジャックがラボを使用した記録はないとのことでした」 リッツェンの側近であるフェルナン・ルシアノは調べるようにと指示された報告内容を簡潔に伝える。煉瓦色の髪をゆるく三つ編みにし、丸メガネをかけて、魔術士の証である黒いマントを身に着けている。 「殿下、本日の午後の予定ですが…」 フェルナンは午後のスケジュールの確認をしようと話を続けたが、リッツェンの耳には届いていない。 (あんなに嬉しそうにしていたのに、あれから1週間だ…忙しいのか?いや何か理由があるのかも) 「ノエル・リンデジャックの今日の予定は?」 「…新人治療士の予定は、把握しておりませんが」 先ほどから全く話を聞いていないリッツェンに呆れた態度を隠しもせず、フェルナンは不服そうに答える。 「そろそろ昼休憩の時間だね。ちょっと出てくるよ。スケジュールは戻ってすぐ確認する」 どこへ向かうのか、聞かなくてもわかったフェルナンは、眼鏡を軽く抑えてため息をついた。

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