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嫉妬
パシャッ…!
「っ冷た…」
救護室で治療士の研修を受けた後、休憩時間をもらえたノエルは、談話室という、飲み物や軽食が置いてあるスペースで、椅子に座って本を読んでいた。
座っているノエルの横を取りすぎた人とぶつかったと思ったら、頭から水をかけられた。
「ごめん、手が滑ったみたい」
黒いマントに討伐第2部隊所属の証であるメダルブローチをつけている魔術士が、空のコップを持って立っていた。その後ろにも同じマントとブローチをつけた魔術士が2人いて、髪が濡れたノエルを見て、クスクスと笑っている。
(またか…)
リッツェンとお昼ご飯を食べた日の翌日、早速、特効薬の精製の指示を受けた。そこで、第2部隊のラボを借りて、採取されたばかりの聖樹の葉を使用して病魔ストレスの特効薬を作ったのだが、その間、ラボにいる魔術士たちに、遠巻きに白い目で見られていた。
第2部隊の中には、リッツェンを神聖化して推している若手魔術士の集団があった。その中で、配属されたばかりの新人治療士ノエル・リンデジャックが、リッツェンに色目を使ったり誑かしているという噂が広まっていた。
リッツェンと過ごした日から、すれ違い時に「男娼だから身体を使ったんだろ」だの「治療士は治療だけしてろよ」など、謂れのないことを呟かれることが続いたり、ぶつかって飲み物をこぼされたり、身の回りの物が無くなったりすることが起こっていた。
「リンデジャック君…大丈夫?」
その場に居合わせた同じ新人治療士のエミン・グスタフは、ハンカチをノエルに差し出した。
「…大丈夫。ありがとう」
自分を庇うとエミンの立場が悪くなるかもしれないと思ったノエルは、そう言って差し出されたハンカチを受け取らず、すぐにその場を後にした。
ノエルにしか見えてないが、エミンの両手には、黒い点がたくさん集まって、細い糸状になって数本巻き付いていた。
慣れない研修がストレスになっているのかもしれない…エミンの状態が気になったが、声をかけられる状況ではなかった。
この間、特別機動部隊招集の話が出たあたりから、もう一人の新人治療士コニー・ユーストマもあわせた新人治療士3人の中に、あきらかにピリピリした雰囲気が流れているのだ。
3人ともそれぞれの事情があり、特別機動部隊に志願していた。おそらく帯同する治療士は少人数に限定されるため、志願者全員が任命されることは無さそうだというのが、気まずい雰囲気が流れる原因だった。
特に、コニーのノエルに対する態度はあからさまだった。コニーはあの日、リッツェンからノエルの居場所を問われた。個人的に話しかけられたのは初めてのことだったので、天にも昇るような気持ちになったが、尋ねられた内容が、ノエルの居場所を確認するためだったということを知ったコニーは、衝撃を受けた。
ノエルは最近昼休憩時に物資保管庫にいることが多いとリッツェンに伝えた後、コニーはこっそりと教えた場所へ向かった。そこで、2人がランチを一緒に食べているところを目撃し、戻ってきたノエルにどいういうことかと問いただしたのだった。
ノエルが掻い摘んで事情を話すと「抜け駆けだ!」と怒りだし、それ以来、ノエルをライバル視して、どんなことにも常に張り合ってくるようになった。コニーは、リッツェンの側妃になりたいらしい。ノエルには理解できない望みだった。そんなことで怒られても、ノエルはただただうんざりするだけだ。
はぁと、ため息をついて、濡れた髪を拭くでもなく廊下を歩いている時だった。
「…おい、そこのチビ!」
突然ドスの聞いた声で後ろから話しかけられたノエルは、ビクっと身体をゆらした。また、からまれるんじゃかいかと、後ろを振り向こうとしたが、声をかけた人物は、もう既に背後に迫っていた。
「ちょっと、ツラ貸せ」
ノエルは、はっと息を飲む。ルビー色の目がノエルの顔を上から見ていた。肩までの銀色の髪をハーフアップに結び、深紅のマントを纏った、討伐第3部隊隊長メイ・ホルンストロームだった。
***
「…見てたぞ。思いっきりかけられてたな。あれくらい避けろよ。見た目通り、ボケっとしてんな」
ノエルを自分の執務室に連れてきたメイは、そう言いながら、ノエルの濡れた頭をくしゃっと掴む。
すると一瞬でノエルの髪が乾いてしまった。少しクセのある榛色の髪の毛がふわっと揺れる。
「…ありがとうこざいます。」
意地悪いことを言いながらも、繊細な魔術を無詠唱で使ったメイに、ノエルは驚いていた。
「あんまりやられっぱなしになるなよ。つけ上がるから。ただ、今回はリッツのせいでもあるからな。あいつが今対応してる。安心しろ」
全部お見通しなのかと、ノエルは驚いていた。誰に何と説明したら良いのかもわからない上に、言ったところで状況は良くならない気がして、先輩や上司の治療士に特に報告をしていなかった。なぜメイやリッツェンが把握しているのか…自分たち隊員の行動は隊長達に筒抜けなのかと少し怖くなる。
「…ご対応に感謝します」
「これが本題じゃない。もうそろそろ、来る頃か…」
メイがそう言いかけた時、執務室のドアがノックされ、ガチャリと空いた。
「ん…ノエル!?なんで、ここに?」
「エイブラムスです。失礼します…えっ!ノエル・リンデジャックさん!」
部屋に、入ってきたのは、紺色の髪に、エメラルド色の目を持つ、深紅のマントを身につけた第1討伐部隊隊長ランドルフ・ヴィクセンと、同じ色のマントを付けた、サファイアの瞳にすみれ色の髪を持つ、討伐第1部隊に籍を置く実習生の魔術騎士イスタ・エイブラムスだった。
「ランドルフ隊長、お久しぶりです。お身体は…もう大丈夫そうですね」
ノエルはランドルフにそう声をかけた。ランドルフの身体の周りに纏わりついていた、黒い点はすっかり無くなっている。病魔ストレスが解消されて、元の体調に戻っていた。
ノエルは同時に横に立っているイスタの体調もチェックする、こちらも大丈夫そうだ。イスタはノエルに微笑みながら軽く手を降っている。ノエルは後輩に手を振り返した。
「ノエルのおかげだ。感謝する。」
ランドルフはお礼を言って、ノエルの榛色の髪の毛を軽く撫でる。ほんのり自分の魔力を乗せて。
「ここ、少し跳ねてる。」
「あっ、そうでしたか。ありがとうございます」
ノエルは、慌てて自分の髪をなでつける。メイの胡乱な視線が、ランドルフにむけられる。
「こいつの髪の毛が濡れてたから、乾かしてやっただけだ。自分の魔力をわざわざ上塗りしやがって…リッツといい、ランドといい、執着し過ぎだろ…」
ランドは、メイの言葉を受け流し、ノエルに尋ねる。
「髪の毛が濡れてたって、何かされたのか?」
ランドルフにもどうやら事情は伝わってるようだ。ノエルが声を発する前に、間髪入れずにメイが答える。
「その件については、リッツが今動いている。安心しろ。それよりも、本題だ。今日、お前達をよんだのは、ヒュドラに対峙してランドが瀕死の怪我を負った日のことを確認したかったからだ」
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