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Cp5.槐×陽人『遠い記憶①』

 滋賀県大津市にある桜谷集落は、山間の渓谷にひっそりと存在する。  始まりの惟神であるクイナが作った里であり、千年以上経った今でも人の営みの中で神が生み出される稀有な場所だ。  時代が流れるにつれ神を生み出す里は異形視された。  世の中から排除されないために、桜谷集落は類稀な努力をしてきた。  里全体を結界で覆い隠し、里の外に太い人脈というパイプを作った。  パイプの一つが警察庁公安部特殊係13課、班長須能忍との繋がりだ。彼もまた不死の人間であり、役行者として昔から集落を知っている。  13課に惟神を送り出すことで、集落は役割を得て存在を容認されてきた。  その集落を率いるのが桜谷家と、準ずる立場の八張家だ。  桜谷家の長男である陽人は生まれた時から当主となる存在として育てられ、桜谷集落を守る責務を担っていた。  それから三年後に生まれた八張家の長男である槐は、陽人を補佐する立場であるはずだった。  呪詛の専門家と揶揄される久我山家の嫁が産んだ忌み子。生まれた時から槐に張られていたレッテルだった。  子供というのは素直であるが故に時に残酷だ。狭い集落の中で大人の噂話は子供にまで簡単に浸透する。  『巫蠱の腹から生まれた蠱毒』  間違いではない噂は、集落の中で槐を孤立させ、歪んだ精神を育んだ。  虐め以外で誰も近付かない異物に唯一声をかけてくるのは、陽人だけだった。 「誰に何を言われようと槐が八張家の長男には違いないんだ。もっと堂々としていればいい。大人になったら、僕と一緒に里を守るんだ」  差し出された手は温かくて、槐には遠かった。  人の温もりも優しさも勇気も、教えてくれたのは陽人だ。  小学生だった子供は中学生になり、高校生になっても陽人の態度は変わらなかった。  きっと陽人は大人になっても陽人のままなのだろうと思った。  槐が七歳の時に生まれた律を、陽人が婚約者に指名した。  水瀬の家は律を惟神にするのに必死で、陽人の申し出を本気で取り合わなかった。  魂の色を見定めて嫁にと申し出た陽人の何が気に入らないのか、槐にはわからなかった。  ほどなくして律の両親が瀬織津姫神に殺された。  神に愛されるためにと律の左目を抉った事実が神の怒りに触れた。  その程度の親だから陽人の言葉を理解できないし、神に殺されるのだろうと思った。  その三年後に、直桜が産まれた。  数十年振りに生まれた直日神の惟神だ。直日神が魂から見初めた赤子は神喰いの状態でこの世に生を受けた。  槐の心が興奮した。  同時に母親であるあやめは執拗に直桜を嫌悪した。  怨魅寮との繋がりが深い久我山家の次女であるあやめにとっては、何よりの脅威が爆誕したのだろう。  何より、直桜の誕生を阻止できなかった事実が、あやめの心を抉ったんだと思った。  はっきりと聞かされてはいなかったが、あやめは直日神の惟神の誕生を阻止するために八張家の嫁として久我山家から送り込まれたのだと、何となく気が付いていたから。  母の悔しい気持ちは理解できる。だが、母親と同じように直桜を嫌悪する気にはなれなかった。  律が産まれ直桜が産まれ、修吾を含めて惟神が三人になった。  槐には予感があった。   「自分の世代で、惟神が全員揃う」  惟神は神が選ぶ。  故に、祓戸神の惟神が揃う世代は滅多にない。  しかも、枉津日神は神殺しの鬼が惟神から切り離したせいで、いまだに現世を彷徨っている。  ここ百年以上、枉津日神の惟神は現れていない。  しかし、確信があった。  自分になら出来る、枉津日神の惟神を生み出せる、と。  神が揃うとは吉兆であり凶兆だ。 「壊してしまおう、総て。何もかも要らない。手に入れて、壊せばいい」  思いついた企みを、以前からの欲望で試してみた。  本当に些細な試みだ。  いつものように一人でいる槐を慰めに来てくれた陽人に、キスしてみた。  欲しいものを手に入れたらどうなるのか、試したかった。  案の上、陽人はその日から槐に近寄らなくなった。  その時の光景を思い出すと興奮して、槐は何度も自慰をした。  触れた陽人の唇も、抵抗する腕も、槐を見詰める驚愕の表情も、総てが興奮に繋がった。  何度でも抜けると思ったし、何度も抜いた。  だから、気が付いた。  自分は、どうしようもなく陽人を愛している。  本当はキスしながら、あの細い首を締め上げたい。 「ダメだ、陽人は殺せない。今じゃない。まだ、ダメだ」  自分に言い聞かせて、本能のような欲望に耐えた。  大学に進学と同時に特殊係に所属するため、陽人が東京に行くことが決まった。  もう長いこと話もしていなかった陽人が槐を訪ねてきた。 「一緒に来ないか? こんな里にいても槐は腐るだけだ。お前ほどの人間には、勿体ないよ」  つい数年前、母親のあやめが集落を抜け出した。  枉津の家に囲われていたあやめは、一度は集落に戻ったが、腹に枉津大樹の子を宿しているのが発覚し、集落を追放になっていた。  本当なら槐も母親についていくはずだったが、八張の跡取りを外には出せないと集落に引き留められた。  散々、槐を蠱毒扱いしてきた集落の人間たちの言葉も心も理解できなかった。  今更、跡取りなどと言われても、と思う。  現に槐は八張の本家を追い出されて集落の外れの小屋のような家に軟禁されている状態だった。 「放っておいたら、お前は母親を追って出ていくんだろう。その先に良い未来があるとは、僕は思わない。槐は僕と来るべきだ」  昔と同じように、陽人が槐に向かい、手を差し伸べた。  変わらない陽人の魂に、槐の心が震えた。 「あぁ、だから好きだよ、陽人」  陽人の言う通り、槐はもうしばらくしたら、あやめを追って枉津の家に行く算段だった。  その計画を違える気はない。槐の目的は、その先にこそ存在する。  陽人が差し伸べる手を取っても、その先に槐が欲しい未来はない。 「陽人はどうして、俺に声をかけてくれるの? 俺にキスされて、俺が怖くなったんじゃないの?」  槐の問いかけに、陽人が目を逸らした。 「お前の才を良く知っているからだ。集落にも僕にも必要な人材だ。キス、されて怖かったわけじゃない。どんな顔をすればいいのか、わからなかっただけだよ」  陽人の顔が照れているように見える。  その表情に落胆した。 「まるで普通の人間みたいな顔をするなよ。陽人は、そうじゃないだろ」  怒りにも似た興奮が、槐を突き動かした。  細い体に似合わない力で、気が付いたら陽人をその場に押し倒していた。 「槐、よせ! 僕は話しをしに来ただけだ。もしお前が僕に手を上げたと知れれば、集落での立場が更に悪くなる。自分を追い込む真似をするな」  陽人が話す言葉は、槐にとって総てがどうでも良かった。 「どうでもいい、そんなものは、どうでも。今の陽人が問題なんだよ」 「僕が? 僕の何が……っ! ぁ、やめっ、んんっ」  唇に噛み付いて、深く口付けた。  陽人の口内を自分の舌でいっぱいにして舌を絡める。  抵抗する体を押さえつけて、緊縛の呪術で手足の自由を奪った。 「ぁ、はぁ……、はぁ、ぁ」  ひとしきり口内を犯して顔をあげる。  涙目の陽人が槐を見上げている。  紅潮した顔は蕩けて、まるでいつもの陽人ではないような顔をしていた。 「……違う。俺の陽人は、そうじゃない」  槐が信じた陽人は、槐の愛撫で満たされるような男ではない。  蕩けた顔で、その先を請うような目をする男ではない。  落胆が絶望に変わる。  まるで無意識に、槐は陽人の服に手を掛けていた。

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