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第2話 四◯一の彼

 うちのマンションはU字型の階段、折り返し階段ともいうんだけど、そのタイプの階段がマンションの中心に走っている。そのコの字になった踊り場に四つ、部屋がくっついてる感じ。だからどの部屋も角部屋で、省スペースながらに窓が多めになってるのが特徴。  上手い作りだなぁって思ったんだ。  部屋の向きによって家賃も違う。南向きはやっぱ大人気で一番高く、北向きにメインのリビングが面してる部屋はかなり家賃が落ちる。けど、今時、空調ない部屋なんてないし、乾燥機だってついてるじゃん? 日中、外に出ちゃうなら、日差したっぷり入ってたって関係あんまないし。ってことで、金額重視の人はそっちを選んでみたり。そんなバリエーションと、省スペースを生かしたマンション設計が気に入って、ここにしたんだけど。  そんなお家賃重視な北向、四○一号室にいる人の、洗濯物が風に乗ってうちのベランダにやってきた 『今日は北風が強く吹くでしょう。洗濯物を飛ばされないよう気をつけてください』 「……今日も風、強いんだ」  だそうです。お隣さん。  昨日はお隣の俺のところに不時着したけど、今日もそうとは限らないから気をつけて。  そんなことを思いながら、最近気に入ってるレモネード微炭酸をぐびっと飲んだ。朝飯は食べない派。というか、朝、飯を準備するのが面倒なだけで、あれば食べるし、ないならないで、どんまい、っていうくらい。  昨日よりも幾分か頭はスッキリしてる。アサリのクラムチャウダーは結局食べなかったし、しじみの味噌汁は作ってもないけど。  玄関扉を開けると、階段の踊り場に、今さっきのお天気お姉さんが言っていた北風がビューッと吹きつけてきた。  東向きが俺んとこ。日差しはまぁまぁたっぷり。  その日差し勝負でならダントツ優勝。地球温暖化の最近じゃ夏場すごいことになってるんじゃないかしらと思う南向きが三番目、そこがおじいちゃんとおばあちゃん。  西向きが四番目。だけど、たしか、今、西向きの四◯四は誰もいないはず。  そんで、四◯一が、あの人だ。  真っ黒な髪がくるくるで、いつも俯いてて、階段ですれ違っても、つむじしか見えなくて、声がものすごく小さい人。  名札は部屋の玄関扉にはないからわかんない。  彼女持ち、  なぜなら真っ赤なランジェリーを干してたから。  彼女の、でしょ?  あんな真っ赤なランジェリーを身につけそうな彼女、いなそうだったけど。  あれ身につけるって相当な感じじゃん? 美人系。んー、かわいい系でもいいかもね。  けど、あの真っ赤は慣れてそう。その男の扱いとか、もちろん恋愛にも。  ――……ば……んは。  どう見たってあの人は慣れてなさそう。  小さくて、髪は一度もカラーなんてしたことないんだろう、ツヤッツヤな黒髪。前髪が長くて顔はわかんないけど。つむじしか見えないけど。  大学生、かな。  同じ歳くらいかも。  とにかく、偏見だけど、この時代にルッキズムはよくないけど。  童貞っぽいのに。  あれ、洗濯してあげてるってことはお泊まりでしょ? お泊まりでパンティー洗ってあげるんだから、してるでしょ?  その、色々と。 「……」  いやいや、お隣さんのそういうの想像するのはちょっと悪趣味でしょ、俺。  ダメダメ、今のはさすがになし。はい。なし。  そう心の中で呟きながら外に出るとやっぱりきつい北風が吹きつけてきて、しかも朝だから余計に冷え切って冷たすぎる空気もあってさ。一瞬、やっぱりいいですって言いながら、玄関ドアを締めたくなる。 「……」  北向きの、四◯一、号室。 「……」  キンキンに冷えた階段を駆け下りた。  苗字、これだ。  HAYASHIDAさん……じゃあ、林田(はやしだ)さん、かな。漢字で書いたら。  チェックしたわけじゃないけど、郵便受けには住居者の苗字が貼られている。そこ、ちょっと見ちゃった。  林田さん。  名前もちょうどいい感じにフツーだった。 「おはよーございます」 「あ、おはようございます。行ってらっしゃい」  管理人さんにお辞儀をして、正面のエントランスからぴょんって飛び出した。 「っさぶっ」  ほんっとうに寒いんですけど。  そんでもって、セットした髪がもうすでにくしゃくしゃなんですけど。  そんな北風に足元のボロボロな枯葉が舞い上がった。 「……」  空を見上げたけど、さすがに今日はえっろい下着は飛んできたりはしてなかった。 「よー、翠伊」 「おー」  朝から講義だなぁと、少しダルいと思いつつ、大学の最寄り駅を降りたところで、大沢に遭遇した。 「今日寒くね?」 「んー」  ほぼ毎日、このあたりで遭遇して、ほぼ毎日、こんな会話を繰り返してる。 「なぁ、なぁ、金曜日の飲み会の後、モエちゃんとどっか行った?」 「んー、いや、行かなかった」 「え? なんで? モエちゃん、けっこうノリ良かったじゃん。翠伊くん優しいぃぃって言ってたじゃん」  優しい、ね。 「んー、まぁ」  この会話もほぼ同じ。相手の女の子の名前がたまに違うくらいで。あ、でも、この前、連続した飲み会の場に同じモエって名前の子がいて、そう多い名前でもないような気がしたけど、漢字も一緒で、どっちのモエちゃんがどっちのモエちゃんなんだかわかんなくなったっけ。  けど、どっちがどっちのモエちゃんでも大差ないんだけど。 「飲み会には来るけど、全然、お持ち帰りしないよなぁ、最近」 「んー……」 「あ! もしかして!」 「?」 「正月明けに別れたレナちゃんのこと、実は本気で、今も未練がっ!」 「…………」  だったら、逆に、別れてないと思うよ。 「……大沢」 「あ?」 「朝からテンション高い」  そのくらいレナのこと引ずれてたらいいと思うし、そのくらい引きずれなかったから別れたんだし。  レナもモエも、全部二文字で全部同じような感じで、全部同じように別れて。どれがどの子で、どの飲み会で、どんな話をしたのか、ちょっとわかりにくいって思うくらい、全部が繰り返しなだけでさ。 「今日も飲み会あるからさっ」 「お前、よく飲むなぁ」 「そのために! バイト頑張ってるんで!」 「……」  全部が同じ。 「……」  だからかな、突然、ベランダに舞い込んだ真っ赤なランジェリーは目がチカチカするほど鮮やかで、手に取ったらたったそれだけで穴が空いてしまいそうな繊細なレースは儚げで、なんか、びっくりした。  知らない女の子のだから?  いつもどおりの朝、いつもどおりの寒い朝、いつものベランダに、びっくりするほどの赤色が飛び込んできた。  ――すみませんっ、すみませんっ。  くるくるふわふわで目元まで全部隠す長い髪が、林田さんが飛び上がる度に跳ねてた。  あの真っ黒な黒髪も、真っ赤なほっぺたも、ヘドバンみたいなお辞儀も、何もかもが、俺の周りの「同じ」と違ってた。
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