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第5話 トイプー林田さん
「変なことを言ってるのはわかってます」
なんだっけ。
俺は、北風に飛ばされて、うちのベランダに不時着した赤いランジェリーを拾った。それがお隣さんので、そのお隣さんは真っ黒でくるくるモジャモジャな髪してるなぁって思ってた、ちょっと暗い感じの人だった。いつも俯いていて、顔見たことなかったけど、実は目が真っ黒で、なんかキラキラしてて。
トイプードルみたい。
「すみませんっ」
地味だけどカノジョさんがいるんだぁと思ったけど、いなくて。
真っ赤なセクシーランジェリー。
「でも、あのっ」
カノジョさんのじゃなくて。
林田さんので。
それに驚き……たかったんだけど。
それどころじゃなくなった。
「あの! 僕、あた、あたたたたた」
た?
え?
何か、連打する的な? パンチとか、ほら、昔のアニメの。
「当たって砕けていいんです!」
それは、また。
「でもっ、諦めるなら、精一杯頑張ってから、諦めたくてっ」
声が、震えてた。カタカタ震えてる。小さなトイプーが震えてるみたい。
「あのっ、そのっ」
けど、そうでしょ。
そりゃ、そうでしょ。
こんな告白、誰だって、すっごい緊張する。誰にも言いたくない秘密を自分から打ち明けて、自分のこと全部晒して、なんて。
「その人、すごくおモテになられててっ」
すごい……って、思った。
精一杯頑張りたいとか、ないから。
俺には。
こんなふうに、「好き」な人に一生懸命になるのなんて。当たって砕けてもいいなんて。そんなテンションでやったことって、あったっけ。
ないよ。
「ご迷惑なのは充分わかってます! でも、あのっ、どうか」
自分の内側を色々見回してみたけど、ない。
なんとなく、ならたくさんあるけど。どうしても、とか、これだけは、みたいな、ぎゅっと力を込めるような言葉はなかった。
「別に迷惑じゃないよ」
「!」
その一言にパッと顔を上げて、くるくるとあっちこっちに跳ねてる前髪の隙間から、俺をじっと、トイプーのつぶらな瞳が見つめてる。
「全然」
「!」
手、震えてる。正座してる膝小僧のところに置いた手がぎゅうううって握り拳を作って、震えてた。それだけすっごい勇気を振り絞ったってことだ。
「その相手って、超モテるんだっけ?」
「え?」
「相手」
「あ、はい。すごく。彼女がいないことの方が少ない、と……」
「そっか。どんな感じの人?」
「あ、明るい、人です。優しくて、僕とは全然違ってて」
「フレンドリー?」
「はい」
「あ、林田さんがフレンドリーじゃないってわけじゃなくて」
いえ、僕は全然、そう呟いて、首を横に振った。たったそれだけで、前髪がぴょんぴょんと跳ねてる。
「彼女、知ってるの?」
「あ、全部では……」
「すげ、どんだけ」
「はい。すごくカッコいいので」
「アハ」
「?」
突然笑ったら、トイプっぽく、首を傾げてる。
「いや、林田さんって面食いなんだなって思って」
「す! すみませんっ!」
「謝ることじゃないでしょ」
「! す、すごく、その、本当にかっこいいんです。優しくて、かっこよくて」
「……」
なんだろう。
優しい、なら俺もよく言われる。
けど。全然違ってる。優しい、って単語が、こんなにキラキラしてるんだって思った。よく俺が言われる単語「優しいよね」とはなんか違ってる。好きが混じった優しいっていう言葉は、全然、違ってる。
「あ、あのっ、彼女は、可愛い感じの、アイドルの……」
そう言って、林田さんが人気アイドルの名前をいくつかあげて、それから美人の女優さんも数名あげていく。似てるんだってさ。その彼の歴代彼女に。すごいね。そんなにモテるんだ。
「なんか……」
「! わ、わかってるんです! 男で、しかも普通で、だから叶うわけないって! でも」
「頑張りたい、んでしょ?」
「!」
そんな恋愛したことない。叶うわけないのなら告ったり、しない。それはきっと俺の周りも大体がそうだと思う。脈なしなとこにしがみついたりなんてしない。
不謹慎、だけどさ。
だから、ワクワクした。
うーん、って返事が、うんっ、に変わる感じ。
はーい、って返事も、はいっ、に変わる感じ。
「当たって砕けたら、痛いし」
俺の、今、ある毎日が「うんっ」に、「はいっ」になったらいいなって思った。
俺の毎日にはあんまり登場することのなかった「精一杯」とか「頑張る」とかが、並んだら、いいなって思った。
「俺でよければ」
「! ほ、本当ですかっ?」
「その人を落とせるかはわかんないけど」
「!」
「っ、アハっ」
思わず、笑った。
突然笑われて、林田さんが不思議そうに首を傾げて、またそれに俺は笑って。だって、真っ黒なクルクルふわふわな癖っ毛に、真っ黒なつぶらな瞳。まんまトイプーみたいな林田さんが、今、目を輝かせて、少し、絶対に、ぴょんって跳ねて、宙に浮いたでしょ?
まるで、「お散歩」そう言われた瞬間の真っ黒なトイプードルみたいにさ。すごくはしゃいだから、思わず笑ったんだ。
やば。
こんなに笑ってばっかだったの、すごい久しぶりかも。
「変なことお願いしてしまって」
「大丈夫」
「あのっ」
「変だけど、変じゃないから」
「へンンンンンっ!」
「アハハハ」
そう。
トイプー林田さんが楽しくて、めちゃくちゃとにかく笑ったんだ。
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