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第6話 俺の、そういうの
ワクワク、してる。
別に俺のことじゃないけど。
でも、新しいヘアワックスを試した時とか、新しい靴を履いた時。
今までさりげなく使っていた日常の物が新しくなった時みたいに。
――じゃあ、いつにしよっか。
――! は、はいっ!
ワクワクしてる。
――俺、土日はバイト入ってるんだ。
――はい。あ、じゃあ、平日のほうが。でも、あの、言い出しておいて申し訳ないのですが、残業があって……あ!
林田さんって、声、大きいんだ。
たまぁに階段ですれ違った時はめちゃくちゃ声が小さいからさ。もっと、もそもそ話す感じの人なのかと思ってた。髪ももそもそしてるし。
――水曜日はっ、ノー残業デーです!
全然そんなことなかった。
声大きくて、リアクションっていうか、表情がなんか、大きくて。見てると忙しそう。
――じゃあ、水曜日。俺もその日はちょうど早めに大学終わるんだ。
――わっ!
恋愛レッスンは毎週水曜日になった。その日は残業がない日なんだって。そんなわけで、俺は毎週水曜日、林田さんの恋愛家庭教師をすることになった。
恋愛、家庭教師。
なんか、すご。
――よろしくお願いしますっ!
そして、お隣に住む林田さんの印象は丸ごと更新された。モソモソ話すどころか、あのクルクル毛先が跳ねた髪みたいに、跳ねるように話す、面白い人って。
「おー、どうしたん? ボケーっとして」
「んー」
大学の食堂。そこで普段ならすぐにスマホを取り出してるところだけど、今日は食事の後、じっと周囲を観察してた。
だって、ほら、恋愛家庭教師なんで。
その視界を邪魔したら悪いと思ったのか、大沢が俺の隣に座った。
「……」
「? どした? 翠伊ピ」
いや、向かいじゃなく男二人が隣合わせで座ってるって、なかなか妙じゃない? フツー、向かい合わせでしょ。けど、俺の隣に座って、そんな俺らと向かいになる席は空欄っていう、少しおかしな座り順だから、無言で、訴えたんだけど、大沢はそんなこと気がつくことなく、華麗にスルーしてる。
「人間観察、あとその呼び方」
「は? なんで人間観察?」
いや、だって、今まで意識したことないし。女の子が好きな相手にアピールしてるってところ。注視したことなくて、なんとなく、あ、これイケる、みたいにふわふわした感覚でしか持ってなかったからさ。だから周りのカップルとか見て少し研究してみようかと思って。
「あ、あれ、同じ建築科の、あの人とさ、経済のとこの女の子、いい感じなんだね」
「……ふーん?」
ほら、すっごいいい感じで、話弾んでるし、あ、また、触った。腕でもなんでも、どこかにちょっとだけ触れてる。女の子のほうが。
なるほどボディタッチね。
確かに、飲み会とかでもボディタッチは「脈あり」のサインって思う。
ただ。
――本当にっ、ありがとうございました! 夜分に失礼しました!
帰り際、玄関先で腰から九十度、直角に曲がってお辞儀をする林田さんが、あのさりげない「脈あり」サインができるかっていうと。
んー、できるかな。
ギクシャクしそう。
というか、相手にさりげなくどころか、蚊止まってるんでってくらいの勢いでぶつかりそう。張り手みたいに触りそう。触れるっていうか激突みたいな。けど、それが林田さんっぽくて面白いけど。
「なんで笑ってんだ? ……あ! おま、普通の恋愛じゃ飽き足らず、今、流行りの略奪愛に手を! ネトラレ!」
「そんなわけないだろ」
「それは人としてダメだぞー。それでなくても取っ替え引っ替え、なのに、人のものにまで手を出したら、お前、もう、お日様の下歩けないぞ」
「しないっつうの。つーか、取っ替え引っ替えって……」
実際そうじゃんって呑気に言ってる。
実際には、別に取っ替えて引っ替えてるわけじゃない。別れたところでちょうど別の子が来てるっていうだけ。
「翠伊ピの真実の愛はどこにあるのかねぇ……」
ポツリとそんなことを大沢は呟くと、頬杖をついて、まるで自分語りをアンニュイな表情でし始める俳優のように目を細めた。
「だから、呼び方」
「別れよ、はい、いいですよ、なぁんてならずにさ」
なったことない。
「そもそも、私のこと好きじゃないんでしょ? 別れよ、なんて言われちゃわないような」
一応、好きだったけど。レナもその前の彼女も、ちゃんと、その時、好きだったんだけど。
―― 当たって砕けていいんです!
でも、林田さんみたいに、あんなふうに思えたことは確かに一度だってなくて。当たって砕けちゃうのなら、俺はきっと当たりに行ったりはしないし。
―― あの! 僕、あた、あたたたたた。
そもそもあんなこと頼んだりもしない。冷静になればすごく変なことを頼んでるし、色々ツッコミどころたくさんなんだけど、でも、それでもなりふり構わず、自分の片想いのためにあんなふうに走り回るっていうか、頑張るなんてこと、俺はしたことない。多分、できない。
「……どこにあるんだろうね」
「……」
「俺のそういうの」
すごいなぁって思った。
だから、手伝いたいって思ったんだ。
あの人が一生懸命頑張ってるのを見てるのは、なんか楽しくて、ワクワクして、なんか、心地よかったから。
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