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第8話 幕の内弁当

 幕の内弁当、美味しかった。揚げ出し豆腐が入ってたのが、なんか得した感じがした。バイト先の賄いでたまに食べる。けっこう好きなんだけど、絶対に自分で作らない。  だから、また、コンビニ弁当にする時は、これを選ぼうかなって思った。もちろん、唐揚げもめっちゃ美味い。 「幕の内弁当って、林田さんっぽい」 「……ぇ?」 「! あ、いや、なんか」  意味わかんない、だよね。  なんか、ふと、そう思ったんだ。話してると、くるくる表情が変わる。驚いたり、自分の分のお弁当も買ってきちゃったってだけで、あんなに慌てたり。  嬉しそうにしたり。  楽しそうにしたり。  幕の内弁当に入ってた唐揚げを美味しそうに食べてたり。  言葉一つで表情がよく変わる。  林田さんは色んな表情をする。  幕の内弁当も一口ずつ色んなおかずが食べられる。  ほら、なんか似てない? って、意味わかんないよね。  けど、今までコンビニで選んでこなかったけど、食べたら美味しかったところとかもさ。  俺の周りにはいないタイプの人だったけど、話したら、一緒にいたら、けっこう楽しくて。  林田さんに似てると思った。 「あー、いや、なんか、幕の内弁当を選ぶ感じがなんか」  意味、わかんないでしょ。  なんだろう。何言ってんの、でしょ。  幕の内弁当と似てるねって言われて納得できる人なんていないでしょ。 「色んなおかず食べられていいよねって思ったっていうか」 「ぁ……僕……欲張りなので……」  欲張り、そう言って、申し訳なさそうにキュッと口元を結んだ。 「本来なら、その、好きって思っちゃっただけでも、相手に、してみたら、もしかしたら迷惑かもしれないのに」 「……」 「当たって砕けてもいいなんて言うなら、このまま片想いで、」 「そう?」  俯くと、前髪が長いから林田さんのくるくる変わる表情が丸ごと隠れる。階段ですれ違った時によく見かける林田さんがそんな感じ。歩いてるし、足元、ちゃんと見てるんだろうけど、その時にすれ違うとさ、林田さんの顔、ちっとも見えなくて。 「好きって思ったら、付き合いたいでしょ」 「!」  俺の一言に、パッと顔を上げた。  ほら、こんなに表情豊かなのに。 「フツーじゃん?」 「……」  もったいないよ。こんなに――。 「! あ、ね、その林田さんの好きな人ってさ、どんなっ」  ちょっと、今、びっくりした。もったいないよ、こんなに……の後に続けて出てきかけた言葉に、ちょっとびっくりして、慌てて引っ込めて、代わりに別のことを持ってきた。 「ほら、この前言ってたじゃん。モテて、優しくて、イケメンで、あとなんだっけ」 「とても明るい方」 「あ、そうそう、そうだった」  なんかすごいね。その人、パーフェクトじゃん。 「会社の人?」 「ういへ!」  ういへ…………それは、どっち? うん? ううん? 「ぇ、えーと……会社……の? かな? 人、です」 「同じ部署?」 「あー、えっと、同じ部署では、ない、です」 「じゃあ、接点は」 「全然! あの、全然ない、です」 「んー、話したことは?」 「あ! 前は挨拶程度で……今は、ちょっと、だけ」  そう言って、親指と人差し指でそのちょっとを教えてくれる。 「挨拶が、好き、なんです」 「挨拶が?」 「僕が挨拶好きってことじゃなくて、その人の、挨拶、が、すごく好きでっ」  コクンと頷いた。それから、その人のことを思い出したのか、自分の手元を見ながら、口元を緩めて、ニコッと笑った。 「誰に対しても、いつも元気に、明るく、おはようって言ってて、素敵な人だなぁって」  優しい笑い方。 「は、話しかけてもらえたこと、あって。一度」  こういうふうに笑いながら、話すんだ。  穏やかで、朗らかで、こんなに幸せそうな顔で話すんだ。  じゃあ、その好きな人と会社で挨拶する時とか、話す時、休憩の時とかかな。その休憩所で、雑談してる時とか、そんな感じに笑ってる? 嬉しそうに。 「好きになったんです」  なんか。 「か、簡単ですよね。僕。優しく話しかけられただけで、好きになるなんて」  いいな。  恋愛ならけっこうしてると思う。けど、こんな優しい顔で彼女のことを話したこと……ないかも。優しくてあったかくて、なんかさ。 「いいんじゃん?」 「!」  なんか、いいなぁって思った。 「ご、ご趣味はっ?」 「……そんなカチコチにならない」 「はひぃ! 趣味、はっ」  そして、「なんだそれ」ってツッコミ入れるマシンかのように、林田さんの直角に肘から曲げた右手がスイングでもするみたいに、俺の腕へと振られてくる。本当に、肘から九十度曲げた腕が百八十度スイングする感じ。  今、やってるのは別にツッコミの練習じゃなくて、ロボットダンス初歩編の特訓でもなくて。 「ど、どどどど、どのようなスポーツをやってらしたんですかっ」  会話の中でボディタッチをする練習なんだけど。 「んー、サッカー」 「なるほど!」  なんでやねん、って、なってるし。 「俺相手でそんなガチガチじゃ、好きな人の時はどーすんの」 「ひいい!」 「もうちょっと優しく、そっと」 「はひいいい!」  このマンション、壁薄いかな。お隣がおじいちゃんとおばあちゃん、反対側の隣が林田さんだったから、あんまり気にならなかったけど、壁、薄かったらさ、この奇妙な返事の声だけがおじいちゃんのところに聞こえてたりしない? そのうち通報されたりしない?  すみません。お隣からずっと奇声が聞こえてくるんですって。 「もっとさりげなく……隣に座って、さっきの幕の内弁当でさ、何が一番好きだった?」 「ヒヘっ、あ、唐揚げがっ」 「あ、俺もー、美味かったよね」  で、さりげなく、肩のところに、ちょんって。 「ひゃへぇぇぇっ」  ね、壁、薄くないよね? 本当に、おじいちゃんたちに心配されちゃいそうなんだけど。 「はい。やってみる」 「はひぃぃ!」 「っぷ、あははははは」  何しても返事の声が面白くて、おじいちゃんに通報されるのを心配し続けてるのも、もうなんか可笑しくなってきた。笑うの我慢するのが難しいんだけど。 「はひっ」  林田さんの奇声と俺の笑い声が交互に止まらない。 「す、すみませんっ」  優しい笑顔で好きな人のことを話してくれる。  いつでも真面目で、いつでも一生懸命で。  ほら、慌てすぎてて、いつもふわふわ、もじゃもじゃだけど、今日は一段ともじゃもじゃでさ。 「まずは、さりげなくボディタッチの練習から」 「は、はひっ、頑張りますっ」 「や、だから、頑張ったらダメでしょ、さりげなくだから」 「あああ、そうだった! さりげなく、頑張りますっ」 「っぷは、あはははは」  なんか、いいな。  なんか、楽しいなって、思ったんだ。
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