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第10話 カレーは具ゴロゴロ派です。

 冬の洗濯はちょっと苦手。  冷たいし、寒いし。  けど、洗わないわけにはいかないし。そして、夕方からは居酒屋でのバイトがあるから、早めに干しておかないと乾かないし。そのまま干しっぱなしだと、夜、一日干したはずなのに、なんとなくじめっとしてる気がする洗濯物にテンションがやや下がるし。  だから早めに干しておかないと。 「っ」  さむっ! って思いながら、急足でベランダに置いてあるサンダルをつま先に引っ掛けて、洗濯物をとにかく早く外に並べて行こうと――。 「……」  思ったら、隣から小さな物音が聞こえる。ちょうど似たような音、ぶら下がった洗濯バサミがカチャカチャと揺れて鳴る、小さな物音。  お隣の、北向側の、林田さんの部屋から。  ベランダが緊急避難通路になる衝立で遮られてる、その向こうから。  窓が大きくて、全部が角部屋。省スペースながらに、光量も開放感も確保できてる、上手な建築設計が気に入ってこのマンションにした。  メインになっている大きい窓があって、小さめの、サイズでいったらメインの窓の半分くらいの大きさになった窓が角を挟んだところにもある。どっちにもベランダが設置されてて、それが緊急通路として、お隣さんのベランダへ繋がっている。小さいベランダと、お隣さんの大きいベランダがくっついていて、緊急時は両方向に逃げられるようになってるんだ。  緊急時の安全もしっかり確保済み。  ベランダが二つあるのもいいよね。室外機もそこに置けるし。 「……おはよ」 「んひゃっ!」  林田さんがその小さいほうのベランダにいた。 「わっ、あ、酒井、くん」  お互いのベランダを遮ってる衝立越しに顔を出すと、びっくりして真っ赤になってる林田さんがいた。 「あはは、ごめん、びっくりさせた」 「う、ううんっ」  洗濯物を干してた。  突然、外から声をかけられたから、思いっきり飛び上がってる。その拍子に、まるで小さなリスとかうさぎとかがトラップに引っかかったみたいに、洗濯物干しからぶら下がってる洗濯物に林田さん本人が絡め取られて、洗濯ハサミがカチャかチャと軽い音を立てた。 「おはよ」 「おっ、おはようっ」  今までずっと隣だったけど、意識してないと気が付かないものなんだなぁって。初、ベランダで遭遇した。 「こっちに干してるんだ。ベランダ狭くない?」 「あ、あ、あ、うんっ、ううん」  急に話しかけられて慌ててる。うん、と、ううん、不思議な返事をして、もうそのリアクションが林田さんって感じがして、勝手に口元が緩んでく。 「林田さんのとこ、北向だもんね、メインが」 「あ、うんっ! か、乾かなくて」 「俺、そっちの小さい方に室外機とか置いてるから」 「う、うんっ、僕も。僕のは下に置いてるタイプで」  変なところで会話してる。緊急用出入り口になってる仕切り板を挟んで、ベランダでご近所話。 「え、えらいね。洗濯物」 「いや、そしたら林田さんもじゃん。洗濯物」 「あ、うん」  休日のこの時間帯に、のんびり洗濯ってあんまなかったかも。いつもは、彼女と出かけたりしてたかな。夜は居酒屋バイトがあるから一緒にいられないって言われて、早めに集合して、買い物付き合ったり。 「あ、ねぇねぇ、すっごい前にさ、サイダープリンってあげたの。覚えてる?」 「ひゃえ? あ、あ、あ、うんっ」  慌てて、コクコク頷いて、覚えてるよって、そこだけは珍しく小さな声で答えてくれた。  いっつも、話す時緊張のあまりなのか、声がでかい林田さんにしては珍しい、小さな声。 「お、美味しかった、よ」 「べろ」 「?」 「べろ、緑になった?」 「……あ、うん。びっくり、した」 「あはは」  びっくりしたとこ見てみたかったな。めっちゃ鏡の前で慌ててそうなんだけど。あの時は、こんなふうに会話するなんて思いもしなかったな。 「……いい匂い、これ、林田さん?」 「へ? あ! か、カレー? あっ、ごめっ」 「超いい匂い」  朝、十時ちょっと前。朝飯食べない派の俺にはちょっと刺激的すぎるカレーのいい匂いがどこからかしててさ。普段は全然食べなくて大丈夫なんだけど。カレーの香辛料の匂いってすごいよね、ちょっと、朝飯食べようかなって思っちゃったくらい。 「あ、今、作ってて、途中」 「今? お昼用?」 「う、うん、そう」 「そっか」 「たっ」  カレーかぁ。  カレー、いいよね。  一人暮らしするようになってから、あんま食べてなくて、学食でたまにってくらい。飲み会でカレーってメニューにないし、バイト先の居酒屋にもカレーはないから賄いで食べる機会がなくて。だから食べるとしたら学食くらい。コンビニにあるけど、でも、コンビニのって具、ちょっと少なくない? 俺、具がゴロゴロ派なんだよね。で、できたらお肉は薄切りのじゃなくて、お肉もゴロっとした方が好きで。もちろん、一人暮らしで一人でカレー作っても余るし、数日食べることになるから、あんま自分では。 「た……………………べる?」 「……ぇ? ベル?」  聞き返したら、真っ赤になって、ぎゅっと口元を結んだ。 「あの、た、食べる? カレー、も、し、よかったら。今日はっ、土曜日だから夜アルバイトでしょ? その前に、お昼にはできあがるから、で、できあがったら、持って行きます」 「マジで!」  その声が思った以上にデカくて、寒い冬の晴れた青空によく響いて、林田さんが目を丸くした。大きな瞳をまん丸にして。 「ど、どうぞ」  それからくしゃっと顔をさせながら、笑ってて、ちょっと気恥ずかしかった。  いいな、カレーって思ったから。  月曜日、学食で頼もうかなって。久しぶりに。  だから、カレー食べる? って言われて、ちょっと、テンション上がった。  素。  素でちょっとカレーにはしゃいだ。  ちょっと照れ臭かった。

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