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第11話 彼はカレーが辛かった

 なんか、カレーってその家庭それぞれの味がすっごく出る気がする。学食のカレーは学食でしか食べられないし、学生の時の給食のカレーは、給食でしか食べられない。うちの実家のカレーもそう。  そんで、なんとなく、林田さんの作るカレーって、辛さゼロの甘口カレーって思ってた。 「っうっま!」 「ホ、ホントですか?」  けど、予想は外れて、案外、スパイシーなカレーだ。 「お、お口に合って、よかった」  ホッとしたのか、ふにゃって笑って、水をキュッと半分ほど飲んだ。  ちょっとスパイスが効いてて、あと、どろっと派なのがいい感じ。俺、サラサラってしたスープカレーじゃなくて、こっちの方が好みなんだって、伝えると、また、ふにゃふにゃに笑って、水を飲んでる。 「食べてもらえてよかったです」 「……」  本当、ふにゃ、が一番よく合う感じの笑い方。目元がトロンと下がって、眉尻もトロンと下がって。あと、真っ白な頬がほんのり赤く色づいてる。  素直で、朗らかで、優しそうで――。 「ね、今日って、履いてないの?」 「へ?」 「セクシーランジェリー」 「っぶっ、ゲホッ、ゲホッっっ!」 「大丈夫っ?」 「べ、べびぎ、でず……鼻にカレーが」  それはとても痛そうなんだけど。鼻にカレーって。しかもこの美味しいけどけっこうスパイシーなカレーが鼻にって。 「お、お食事中にっ、失礼じまじだっ」 「いや、むしろごめん」  背中をさすってあげようかと思ったら、大丈夫だって、涙目で両手を前にして、押し出すように手を伸ばした。 「び、びっくり、してっ、あと、履いてません、普段は」 「そうなの?」  ほら、さっき洗濯物干してたじゃん? あの時、俺が急に声かけたせいで林田さんが洗濯バサミトラップに捕まって。それで、あわあわしてる林田さんの頭の上に男物のボクサーパンツが干してあったのが見えたからさ。 「普段から履いてるのかと思った」 「い、いえっ、普段は普通に男性ものを履いてます」 「そっか」 「トイレとかで見つかったら大変だから」  確かに。  スーツじゃないって言ってたから制服、なのかな。会社で、そのズボンの中からちょっとでも、あの赤いのが見えたら、びっくりすると思う。しかも、目立つ。綺麗な色すぎて。 「あれは、たまに、でっ。落ち込んじゃった時とか、元気になりたい時とかだけで」 「……へぇ」 「変、だよね、元気になりたいから女性もののセクシーな下着を身につけるなんて」 「まぁ、変……ではないけど」  そう答えると、パッと顔を上げた。 「いわゆる勝負下着みたいなことでしょ?」 「……勝負」 「ちょっと意味合いとしては違うかもだけど、自分をよりよく見せるとか、いざって時に女の子が身につけるのと、理由は同じ感じがする。そんで、そのいざって時っていうか、自分頑張れみたいな意味で林田さんが女の子と同じツールを選んだっていうだけで。あんまり上手く言葉にできないけど」  大きな真っ黒な瞳が俺をじっと見つめてる。 「けど、変、でもいーじゃん」 「……」 「迷惑かけてないし」 「でもっ、あのっ、酒井くんにはっ、迷惑っ」 「かかってないよ。ほら」  そして、もう食べ終わっちゃったカレー皿を指差した。 「めっちゃ美味かった。この前の唐揚げ入りの幕の内弁当も」 「……」 「だから全然迷惑かかってない」  カレーを食べる時もまるでこれから書き初めをするみたいに正座をしてる林田さんが、スプーンを置いて、少し照れながら、スプーンを手放した自分の手を眺めてた。 「ぼっ、僕、自分のこと、あまり好きじゃなくて」 「……」 「仕事でもちょくちょく失敗しちゃうし、溜め息ついちゃうこともたくさんあって」  そんな時、ふと、見つけたサイト。 「気分転換、とかだったかな、そんな感じのキーワード入れて検索して出てきて、女性もののランジェリーのオンラインショップ」  びっくりした、そう、ポツリと林田さんが呟いた。 「裸とか下着姿なんて、ちょっといかがわしかったり、なんというか、見せちゃいけないものでしょ?」  いつも妙に大きな声で話す林田さんのその小さな声は柔らかくて、優しくて、耳になんだか心地良くて。 「でも、僕が見つけたそのランジェリーのサイトで下着姿を披露してる女性モデルさん、もちろん、僕みたいな男じゃないし、すごく美人の外国人の方で、全然違うんだけど、下着姿なのに凛としていてかっこよかったんだ」  前に、あの赤いランジェリーは自分ので、好きな人がいて、当たって砕けてもいいんですって宣言してた時は指が、手が震えてた。  けど、今は震えることなく、緊張することなく、ポツポツと地面を濡らしてく雨みたいに、しっとりとした声で教えてくれる。落ち着いた声で、頬を赤く染めながら。 「素敵、だったんだ」  恥ずかしい格好のはずなのに、人に見せるような姿じゃないはずなのに、とても綺麗だった。  僕は見惚れてしまったって、その雨粒みたいな声が呟く。 「気がついたら、買ってた」  雨粒がしっとりと地面を濡らしてくみたいに、染み込んでいく。 「ぁはっ、どんなに素敵だったからって、それを着たところで僕がそうなれるわけじゃないのにねっ」  こんな自分は嫌だけど。お洒落とか全然わからない。かっこいいわけでもない自分が何を着たって変わらない。服一つで変われるわけがない。 「着てみたり、普通はしないよね。そのっ」 「けど」 「……」  俺が、否定をしようとする林田さんの言葉を遮ると、その口元をじっと見つめてる。でも、に続く次の言葉をじっと。  あの、ベランダに落ちていた真っ赤なレース。  突然、ベランダに舞い込んだ真っ赤なランジェリー。  それは目がチカチカするほど鮮やかで。  手に取ったらたったそれだけで穴が空いてしまいそうなほどレースは繊細で、儚げで。 「あれ、綺麗だったよ」 「!」  手に取ったら、ピリピリと、電流がわずかに走った気がした。  その繊細なレースを手にした俺の指先は確かに緊張していた。 「あの、赤いの、綺麗だった」 「!」  そう呟いた俺を、真っ黒な瞳がじっと見つめて、その瞳が大きく瞬きをした。 「あ、あれっ、祝杯、乾杯、っていう意味のイタリア語で、ブランディシって言って」 「へぇ」  あ。  すげ。 「すごく細かくてっ」  まんまる。  真っ黒な瞳がキラキラが輝いてる。  すご。 「あの、赤いのはっ」 「うん」  キレー……。 「最近出たやつで」 「うん」  あ。 「他にもっ」 「うん」  正座して一生懸命食べるとこ。  気遣いができるとこ。  話してみると案外会話が弾んで楽しいとこ。  話してる時、こっちが驚くくらい、表情がくるくると変わるとこ。  声が案外でかいとこ。 「あとねっ」 「うん」  その声が柔らかくて、優しくて、澄んでるとこ。  黒髪は一度も染めたことがないツヤツヤサラサラ。  真っ白で雪みたいに綺麗な肌に、ちょっと楽しいこととか驚くことがあるとすぐに真っ赤になるほっぺた。  瞬きひとつでも見惚れるでかい瞳。  そういうの。  なんか。 「って、ごめんっ、僕、たくさん喋って」 「いーよ」  可愛いなぁって思った。 「たくさん喋って」 「!」  一生懸命に俺に話す林田さんが可愛いなって。  キラキラした真っ黒な瞳も、ツヤツヤな黒髪も、綺麗だなって。  綺麗だって。 「全然、喋ってて」  ほら、水の入ったコップを手にとる仕草も、丁寧で、綺麗。 「あとさ」 「う、うんっ」 「もしかして、カレー、辛かったの?」 「!」 「めっちゃ水飲んでる」  さっきから水をたくさん飲んでるとか知ってる。じっと、見てたから。  ね、俺、すっごい見てるね。林田さんのこと。 「ぁ…………はぃ……ちょっと、辛かった、です」 「っぷ、あははは」  そりゃ、見るでしょ。  だって、俺。  この人のこと、好き、なんだ。  林田さんが、好き、なんだ

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