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第17話 イエス残業デー

「んー……」  笑われそう。こんなに前髪がなんか決まらないことに不服そうにしてるところをリナが見てたら。  けど、かっこいいって思われたい。  あの人に。 「……よし」  初めて、好きになってもらいたいと思った。  そんで、あのなんでも一生懸命にやろうとするあの人に好きになってもらうためには、もっとなんか、色々と頑張らないとダメなんじゃない? ってなったんだ。 「さてと」  とりあえず、大学行くのダル、って思うのをやめた。 「さすがに食べすぎたかも」  朝飯、食べないのをやめた。  あくびは……出るけど、でも、面倒くさいって思うのをやめた。  多分、あの人は毎朝食べてそうだから。四角く座って、朝はちゃんと食べないと頭働かないからって言ってそうだから、俺も、そうしてみた。 「ふぅ……」  ちょっと食べすぎたかも。ただの菓子パンだけど。さすがに、ほとんど料理したことない奴が朝から絵に描いたような朝食は作れないよ。大学遅刻決定になる。無理はしない程度にしとく。まだちゃんとした大学生やり始めたばっかなんで。  けど、朝飯食べたからかな。 「さむっ」  いつもと同じ時間に出て、いつもと同じように寒いんだけど、そんなに背中は丸まらなかったし。 「おはよーございます」 「あ、おはようございます。行ってらっしゃい」 「行ってきまーす」  管理人さんにお辞儀をして、正面のエントランスからぴょんって飛び出した一歩はいつもよりも大きくなった気がした。  製図の作業、少し残ってやってこうかな。課題提出締切日には余裕で間に合うけどさ。あ、でも、あそこ、もう一回考え直してみようかな。今までなら「まぁいっか」で済ませてたところだった。んー、けど精一杯やり込むのもいいなぁって思ったりして。  製図室って、教授に言わないと使えないんだっけ。  あ、あと、あの環境のレポートどうしようかな。やるなら、それの資料を探さないと。 「おーい、翠伊ピー、お前、特別講演参加にすんの?」  最近ずっと「ピ」付きで俺を呼ぶようになった大沢が小走りでやってきた。 「あー、するよ」 「マジか? あれって講習後の十八時から十九時半だぞ? みんな聞くとしても大体がオンライン希望なのに」  十九時半ってなってるけど、多分、余裕で二十時には行くと思う。テーマ的にもボリュームありそうな内容だったし。  特別講演は、けっこう有名な建築家がテーマに沿った建築論を話してくれる。大体の人がオンラインでの参加を希望してる。教授たちに「意欲」を見せつつ、面白くても面白くなくても、講演の内容がわかっても分からなくても、オンラインなら「出て、聞くこと」に意義があって、意味があるから。その場に参加するのはよっぽどの秀才くんか、よっぽどの建築マニアくらい。 「んー、会場参加の方が質疑応答しやすいじゃん」  オンラインでも質疑応答はできるけどチャット形式になるから面倒。その場だったら、なんでも気軽に訊けるから楽でしょ。 「……ど、ど、ど」 「どうもしてないよ」 「ひぇえええ!」  その叫び方、あの人っぽい。  可愛さはないけど。大沢じゃ。全然。  でも、ちょっと思い出す。  そんな感じにあの人が叫ぶなら、こんな表情してるんだろうなって。 「ちょっと心境の変化」  きっと、真っ赤になって、ふわふわもじゃもじゃな黒髪を揺らしてる。ほっぺたは通常通りの真っ赤で。 「当たって砕けてみようかなって思って」 「? 何? なんなの?」 「なんでもないよ。つーか、この特別講演、大沢も受ければいいのに」 「やだよ! オンラインで充分です!」  別に大学の勉強を頑張ったからってあの人の好みになれるわけじゃないし、これで、あの人がこっちに振り向いてくれるくらいのイケメンになれるわけでもない。ないけど、なんでもやってみたいんだ。  ―― あの! 僕、あた、あたたたたた。  あの人がさ。  ―― 当たって砕けていいんです!  あの時、飲み干した猛毒入りの紅茶。俺のは今頃、きっと効いてきたんだ。  ―― でもっ、諦めるなら、精一杯頑張ってから、諦めたくてっ。  俺も今、あの時のあの人みたいに頑張りたい。  林田さんの部屋は北向き。  マンションに入るエントランスはちょうどその北向きになってる。ここでカードキーを機械に触れさせると、ピッと開いてくれる。そのエントランスのあるマンションの足元から上を見上げた。四階の、とこ。  部屋、真っ暗だ。電気付いてない。  まだ帰って来てないっぽい。昨日がノー残業だから、今日はイエス残業デーなんだろうな。  大変そう。  てか、窓の明かりがついてるついてないって、お隣さんの不在チェックするのとか、怖いよね。ストーカー? って感じだよね。  スーツは着ないサラリーマンって言ってたけど、どんな仕事なのかは知らない。  ノー残業デー以外は何時くらいに帰ってきてるのかも知らない。朝、何時くらいに部屋を出るのかもわかんない。もちろん連絡先も知らない。  訊いたら教えてくれるかな。連絡先。  そこを繋げるような関係ではない感じ? 連絡先の交換はなんか違う?   確かになんか違う感じがする。友だちでもないし、会社の人でもない。もちろん同僚じゃない。だから連絡先の交換はなんとなく違うような気もする。けど、友だちとも会社の人とも違う距離感。その誰よりも近くて、遠い間柄って感じ。  林田さんのこと、まだほぼ知らない。  知ってるのは、あの人がコンビニで買うとしたら幕の内弁当で。カレーは甘口で。 「……カレーかぁ」  俺が知ってる林田さんは、林田さんのほんの欠片。 「料理のできる男か……」  それでこんなにドボンってなるなら、あの人の丸ごととか知ったらさ、どうなるんだろうって思った。 「沼……」  ってやつなんじゃんって、思いながら、とりあえず今日はあの人がオススメしてくれた唐揚げ入り幕の内弁当を手に取ってみた。
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