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第21話 神様ルート

 もう、誘ったかな。デートに。  月曜日とかに、今週末はどうですか? って。  相手はどうだっただろう。  わかんない。  今週の水曜日は、林田さんに会わなかったから。急遽、残業になったんだって。連絡先を知らないんだ。だからすごいアナログだけど、郵便受けにそんなメッセージの入った封筒が投函されてた。  トメ、ハネがしっかりしているあの人らしい字で。  ――すみません。明日、水曜日が残業になってしまいました。  そう書いてあった。 「ありがとうございましたー」  本当に残業だったかもしれないのに、なんか、したかな、とか考えて、思い返してる。  デートの予行練習でなんかしちゃったかなって。何か、レッスン中止にしたくなるようなこと。  何か、したのかも。  そんな素振りもなかったし、俺もそんなことをした覚えはないけど、突然断られると心配になる。  そんな心配をしてるうちに金曜日になった。もしも今週末にデートに誘ってたら、もうレッスンをする必要はなくなるかな。  どっちにしても。  林田さんがフラれるにしても。  OKしてもらえたとしても。  そしたらもう会わないようになるのかな。  元々は、そんなに頻繁に会うようなことなかったんだ。  たまに、すっごいたまに、階段ですれ違って挨拶する程度だった。なら、会おうとしなければ、また階段ですれ違う程度になる。会うタイミングはほとんどなくて、そのまま、ゆっくり段々疎遠になっていく。……のかもしれない。 「おーい、翠伊、今の団体さんでラストだから上がっていいぞー」  店長が厨房の中からひょこっと顔を出した。 「けど、片付け」 「いいよ。もう他の団体さんいないし、残りのメンバーでやれるから。急遽助っ人頼んで悪かったな。助かったよ」 「はーい」  団体、サラリーマン? かな。スーツの人もちらほらいたけど、新年会? にしてはもう二月だけど。  幹事さんが会計をしている間にぞろぞろと奥の大広間から酔っ払った人たちがにこやかに出てきた。その方々にペコペコと挨拶をしながら、俺も、それじゃあ帰ろうとその一団に背中を向けた時だった。 「おーい、大丈夫かぁ?」 「大丈夫れす。ごちそうさまれした……」  舌ったらずな声にパッと顔を上げた。  今の声、って、林――。 「……!」  もう店を出てた後、振り返ったところで店への出入り口の扉がちょうど閉まった。 「え? は?」  奥の団体って林田さんのいる会社の飲み会? え? っていうか、いた? 俺、急遽で呼ばれたメンバーだったから、途中からで、注文運ぶのも大人数すぎて宴会用個室の出入り口までだったんだ。奥まで見てない。  じゃあ、奥にいたとか?  え?  本当に?  すご。  すっごい偶然。  マジで?  こんな偶然ある? 「っ」  そのまま外に飛び出してた。店の黒いTシャツに腰周りにエプロンをした格好のまんま、外に出るとびっくりするくらいに寒くて、通りに勢いよく出て行った俺の口元から真っ白な吐息が立ち込めてる。  今さっきのことだけど。  聞き間違えかもしれない。  覚えたての声を都合よく林田さんの声だって思ったのかもしれない。っていうか、今、あの後、デート、誘ったのかなとか、そんなことばっか考えてたから、優しい声ならなんでも林田さんに聞こえてんのかも。 「! いた」  思わず、口をついて独り言が溢れた。  金曜日ってこともあってあっちこっちで酔っ払いがうろうろしている。小さな店がぎゅっと敷き詰めるように並んでる中で、薄暗い路地と、目がチカチカするくらいの電飾が瞬く看板と、いろんなものが目に飛び込んでくる中で、艶々の黒髪を見つけた。 「っ」  名前、呼んだらマズイよね。  会社の人とかいるんだろうし。  だから喉元まで来たあの人の名前を呼ばずに、大急ぎで駆け寄った。  多分、そう。  背、あのくらいだし。黒髪だし。すっごいフラッフラだけど。きっとそう。  まだ日が浅いけど、でも、そう。  ほら、斜め後の顔が――。 「林田さんっ!」  近くまで来て声をかけると、素直に振り返って、俺を見つけて、飛び上がるくらいに驚いてる。 「ひゃえ? へ? あれっ? えぇ?」 「ごめ、今、行ってた飲み屋、俺のバイト先」 「ぁ……え?」 「見かけて、その……」  すっごい勢い任せで声かけたけど。フツー、ここまでして追っかけなくない?  いや、でも、デート、どうしたか気になって。  ほら、俺、先生だから。全然、大して教えてないけど、一応、この人の恋愛家庭教師だから、結末っていうか、行く末、知りたいじゃん? だから。 「……酒井くんのアルバイト先だったんだ」 「うん」 「あ! ごめんなさい! 水曜は! あの、今日の飲み会があるから水曜に残業しないといけなくて」 「あ……」  そう、だったんだ。今日、定時で上がって飲み会があるから、その振替で水曜日が残業だったんだ。  ただそれが分かっただけで、ほっとしてる自分がいた。  なんだ、よかった。  俺が何かしたわけじゃなかったんだ。  そう分かって今度は逆にここまで追いかけてきちゃった理由がなくて、慌ててる。 「あ、えっと、それで、林田さんは」  同僚の人、誘った?  誘ったんなら、返事、どうだった?  そう聞きたい。 「おーい、林田ぁ」  けど、その時、スーツ姿の男が林田さんを探してるのが遠くに見えた。 「おーい! 林田ぁ、桜介ぇ!」  その声に飛び上がって、林田さんが真っ赤になった。  振り返ったけど、スーツとダークカラーのコートの軍団がそこにいるだけで、林田さんを呼んだのが誰なのかはわからなかった。 「ごめん。二次会?」 「あ、えっと」 「ごめんね。引き止めて」 「う、ううんっ」 「俺、店に戻るから」 「う、うんっ」  そして、林田さんが向こうへ、スーツとダークカラーのコートの一団へと駆け寄った。年齢様々な一団で会社の飲み会って感じ。ぺこって二回頭を下げて、それで笑ってる。 「……」  あの中に、林田さんの好きな人、いるのかな。いそう。さっき、酔ってるせいとかじゃなく、真っ赤になったから。多分いると思う。  そう考えて、落ち込もうとしたら、林田さんが駆け足で戻ってきた。 「あ、あのっ、Tシャツ、寒そう、だからっ」 「え? あ」 「こ、これ、っどうぞ」 「えっ? いいよっ、これは今」 「か、返すの、ポストに、あとで押し込めてもらえたらいいのでっ、そのまま、帰ったら、ポストにぎゅっと入れちゃってくださいっ、すみませんっ」  俺の首に林田さんのマフラーをかけてくれた。あの人の、少し酔っ払ってるせいか体温高くて、この寒い中で半袖なんて元気はつらつみたいな俺の首周りがほっとするくらいあったかくて。  あったかくなって、マフラーの柔らかに心地良くなってくるけど。 「……」  あの中にいたのかもしれない。  っていうか、いたでしょ。きっと。そんで、このあととか、二次会とかでさ、少し話をして、それできっと映画、誘うんじゃない?  すげぇ、自然な流れじゃん。  すごいナチュラルに「デート」に行けるルートを、まるで神様が作ってくれたみたいで。さっきの、俺のバイト先にあの人が来てくれたの、神様が作ってくれた、すごい偶然みたいに思えたけど、でも――。 「……はぁ」  神様が応援してるのは同僚ルートなんだって思えて、溜め息がひとつ、溢れた。

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