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第22話 訪問客
マフラー返さないと。
けど、ポストに突っ込むんじゃなくて、話、したい。
同僚の人を映画デートに誘えた?
バレンタインにチョコあげんの?
っていうか、昨日だよね? バレンタイン。
じゃあ、もうチョコあげた?
昨日、飲み会の後とかに。
ありえそう。
なんかすっごい楽しそうにしてたし。
そしたら、もう家庭教師は必要なさそう?
それでも、これからも会えたりする?
お隣さんとして。
お隣さんとして、でも。
そんなことを考えながら、土曜のバイトをしてた。
土曜はさ、サラリーマンって感じの団体はあまり見かけなくて、逆に多くなるのはカップルとか友だちだろう団体様。
今頃、林田さんは何してんのかなと考えながら、閉店まで働いて、部屋に帰り着くのはちょうど十二時半くらい。
バイト先の飲み屋は、食事メインのところだから、閉店が十一時。ラストオーダーは十時半。だから早めにジリジリと片付けを始めちゃえば、閉店と同時に上がれることもある。
そんで今日はたまたまその十一時に上がることが可能だったラッキーな日。
ラッキーだけど、十一時すぎじゃ、ピンポンはできそうにない。
もう少し早くじゃないと失礼でしょ。
必要だよね? マフラー。まだ寒い日が全然続くじゃん。だから朝、近くのクリーニングに出して、夕方受け取って、返そうと思った。けど、バイト前にインターホンで呼び出したけど、林田さんはいなかった。めちゃくちゃ心臓がバクついて、健康に悪い、そんな数秒だった。
心臓が保たない。
何に心臓バクつかせてんのかわからないけど。
脈なし、なのはわかってる。けど、バイバイ、の単語一つに、ほら、今、頭の中でその単語をぽこっと思い浮かべただけで、心臓が縮こまる。
恋愛ってさ、身体にけっこう悪くない?
マジで。
「……はぁ」
そして、そんな上の空でバイトを終えた帰り道、めちゃくちゃ寒くて、やっぱマフラーを早く返さなくちゃって思いつつ、あの人はもう部屋にいるのかなって、上を見た。
あ。
いる。
ほら、部屋、電気ついてる。
じゃあ、マフラーを……。
そう考えて、心臓がぎゅっと縮こまった。
あ、けどさ。
っていうか、こういう時、お礼に何か用意したほうがいいんじゃない? ほら、あの紅茶みたいなさ。あー、そこまで思いつかなかった。逆だったら、俺が林田さんにマフラーを貸してあげたなら、きっとあの人はそうしてあげてる。
失敗した。今からコンビニ行って何か買おうかな。お菓子とか? でもその間に寝ちゃうかもしんないじゃん。とか思ったところだった。
リーマンが。
「……」
こっちに向かって歩いてきた。
「……」
知らない人。ただの通行人。
けど真っ直ぐこっちに。
そして、そのリーマンがうちのマンションのエントランスのところで立ち止まった。
俺の斜め後方、順番待ちみたいに。
住人?
こんな感じの人、いたっけ?
「……あ、一緒に入り、ます?」
そう声をかけたら、「あーいや」そう言った。
知らない人だけど、顔ガン見されたら、泥棒なら絶対に入らないでしょ。俺ががっつり顔見てんだから。
けど、そのリーマンは臆することもなく、そのままそこにいる。
だから本当にただの来客。
時間が遅いけど。
彼氏、とか?
その人はインターホン鳴らして、部屋に入るんだろう。だから、ぺこりと頭を下げてから先に俺だけ中に入り、その扉を閉めた直後、外側から呼び鈴の音が聞こえた。と、数秒後、さっきの人も中に入ってきた。
どうぞって、住人がエントランスの鍵を部屋から解錠してあげたんだ。
「……」
一階の人じゃないっぽい。俺の後ろをついてくるみたいに階段上がってる。
「……」
二階でもないっぽい。まだ後ろにいる。
「……」
なんか、多分、向こうもだけど気まずい感じ。同じ方向に進んでいってることに、きっと向こうもまだこの大学生も部屋に入らないのかって思ってる。
「……」
けど、リーマンの行きたい部屋は三階でもなくて。
じゃあ……四。
そして、そのリーマンが北向きの、林田さんの部屋の手前で止まった。
遅い時間にインターホンを押して。
招き入れたのは、もちろんきっと、林田さんで。
「おーい、来たけど?」
玄関扉横の個別インターホンに向ってリーマンが背中を丸めて、そう言った。
『……ぁ、は、ぃ』
返事をしたのは電子音混じりの林田さんの声だった。いつもの元気のある感じじゃない。小さくて、心細そう。
林田さんの知り合い。
リーマンで。
スーツで。
同年代くらい。
背は林田さんより高い。
イケメン? かは、わかんないけど。
どう考えたってただの職場の人はこんな十一時半なんて時間に訪問したりしない。
そして、昨日がバレンタインで、今日はその翌日で。
『わざわざ、あの』
「いーから、早く入れてくれ」
『あっうん』
親しそう。なんて、鍵を探すフリをして様子をつい伺ってた。
さすがにもたつきすぎ。もう林田さんが来ちゃうから玄関扉を閉めつつ――。
「…………どうぞ」
あの人の声だ。
招かれていった。
男で。
サラリーマンで。
「中……」
男、だった。
開け放たれた玄関扉。林田さんは見えなかったけど、優しくて、今日は少し緊張してるのか震えて、心細そうな感じ。だけど、でも、確かに林田さんの声が聞こえた。
リーマンを部屋に招く、林田さんの声が、聞こえた。
多分、俺の訊きたかった、確かめたかったことの全部の答えが今、突きつけられた気がした。
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