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第23話 林田さんの好きな人
リーマンが林田さんの部屋に、招かれてた。
同年代って感じ。顔は……。
――いーから早く入れてくれ。
顔はがっつり見たけど、まぁ。
けど、親しくないとあの言い方しないでしょ。ただの同じ職場の人って感じじゃなかった。
それから、インターホン越しに聞こえてきた林田さんの声は緊張してるのか、いつもみたいな柔らかさがなくて、絞り出す感じの低い声だった。
あの人って、さ。
もしかして。
いや、もしかしなくても。
「…………」
林田さんの。
好――。
――ドン!
その時だった。
隣の、林田さんの部屋が面してる方の壁に何か激突したみたいな音がした。
何? してんの?
結構な音だったけど。
っていうか、壁って、薄いの? お隣、おじいちゃんとおばあちゃんだし、林田さんは一人暮らしだからそんなに音を立てるようなことがなくて、だから気が付かなかっただけ? 案外、薄くて、音とか、すんの?
っていうか、今の、激突音なに?
なんか。
「……」
胸騒ぎっていうの、マジで、あんだ。
初体験なんだけど。
思わず、勝手に身体が動いて、今、すげぇ音がした壁に手をついた。
ざわって、したんだ。
知らないけど。
なんか、ちょっとスルーするのは難しい感じがした。
このまま「ふーん」ってできなかった。
ほら。
身体が。
――ピンポーン。
勝手に外に出て。
――ピンポーン、ピンポンピンポン、ピン、ポーン。
インターホン、連打してた。むしろ、俺が迷惑な人になってるけど。
――ピンポンピンポン、ピ。
そんなのかまってらんない。
何かあった? って、とにかく心配だった。
わかんないけど、あのリーマンに告白したら、は? 無理って怒られたとか? そんで突き飛ばされたとか? わかんないけど、普通に寄りかかって出る音じゃない。確かに衝撃音だった。
もしかして、さ。
あのリーマンは林田さんの好きな人で、あの感じだとそもそも知り合いで、仲良くて、今日、意を決して告ってみたら、拒否られた、とか? それか、盛り上がって。
――俺も、実は、林田のことっ。
みたいな感じで、壁に押し付けて、その――。
「はいっ」
「!」
なら俺すげぇ邪魔じゃん。ただのクレームつけにきたお隣さんじゃん。
でも、林田さんが心配で。
っていうか、林田さんがあのリーマンと、なんかなるんじゃないかって。
なんとかなっちゃうのが嫌で、阻止、したいっつうか。
「……あ、の」
けど、中から出てきたのは、さっきのリーマンで。
「あ」
え? なんで、リーマンが出てくるの。え? 林田さんは? 今、もう脱いでたり――。
「君、さっきの。あ! もしかしてスイぴ?」
「え?」
「ちょうどよかったぁ、俺、薬とか色々買ってくるから、スイぴが診ててくれるかな。あいつ、先に熱あるって言えよって話なんだよ」
「へ? え? あのっ、熱って」
体調、悪いの?
「あ! 悪い!」
「は、はいっ」
「この辺、薬局とか、ある?」
リーマンが革靴を履いて、俺と入れ違いに外に出た。そして、振り返って。
「あ、ない、かも……あ、えっとなら、俺が薬局」
「あーいい、いい。っていうか! 俺、帰るわ!」
「は?」
何、帰るって。
「俺、来週、出張なんだ。風邪移されたら困るから」
「え?」
風邪?
「看病頼んだ。スイぴ」
スイぴって……え? なんで、その呼び方?
よくわからなくて、今のこの状況が全然把握できてなくて、でも、とりあえず、部屋に上がった。
とりあえず、風邪引いてるっぽいから、そしたら看病しないとじゃん。
「あの……」
林田さんの部屋は俺の部屋と作りが鏡合わせになってた。さっき、俺がリビングで聞いたものすごい音は、こっちの部屋のリビングからだった。俺はその壁のところにソファを置いてるけど、林田さんはそこになんも置いてない。
リビングの隣に半寝室って感じのスペースがあって、そこに同じようにベッドが置いてある。けど、布団の色が違ってる。キッチンに並んでる調理家具が違う。俺の部屋にはないテレビがあって、俺の部屋とは違う色のラグが敷いてある。
同じ作りだけど、違う部屋なのが少し不思議だ。
「んー」
声、がベッドの中から聞こえてきた。
「稲田ぁ……さっきピンポンって鳴ってなかった?」
俺のことをリーマンだと思い込んでるっぽい。稲田って言うんだ。あの人。親しそう。いつも丁寧に話す林田さんの砕けた口調と、呼び捨てなのが珍しい。あのリーマンにはそんなふうに話すんだな、とか、思った。
「誰か……」
「ごめん、俺、酒井」
「! ひょへ? っ、うぅっ」
ポツリと自白したら林田さんが飛び上がって、その勢いに目眩がしたのか、冷却シートを貼り付けた額を両手で覆った。
「大丈夫? 風邪?」
「え、あ、の、酒井、くん?」
「もしかして、俺にマフラー貸したせいで」
「ち、違っ! 全然っ!」
また飛び上がった。きっと頭痛がするんだと思う。また頭を抱えてる。
「ごめん」
「違う、から。ごめんなさいっ」
細い肩にポンって手を置くと、びっくりするくらいに熱かった。
「相当熱あるんじゃん?」
「ん」
「とりあえず寝なよ」
「……あ」
「すげ、手も、めっちゃ熱い」
「!」
寝転ぶのもしんどそうだったから、手助けをって、手を繋いだ。その手もものすごく熱くて。多分、手が熱すぎるから俺の手がすごく冷たく感じられるんだと思う。ホッと柔らかい溜め息を林田さんが溢した。
「手、冷たくて気持ちいい?」
「! あ、ごめっ」
「いいよ。全然、しばらくこうしてようよ。病気の時ってさ、心細いじゃん」
一人で寝てるとさ、この頭が痛いのも、グラグラするのも、ずっと続くような気がしてくる。んで、家族が帰って来たら、ただそれだけでホッとして、頭痛もなんか少し楽になったりしてさ。
「あの……ありがとう」
「全然」
「風邪、じゃないんだけど、でも、何かが移るからマスクとか」
「何かがって。それに、別に。移んないって」
「……」
「キスとかしなかったら」
「!」
「あはは、冗談」
ほら、少し表情がしっかりした。そんで、真っ黒な瞳で俺をじっと見つめてる。
「なんか壁からでかい物音がしたから心配で。それで様子見に来ようとしたら、稲田さん? あのスーツの人が出て、出張? 行くんだって。だから、看病代わりにって」
「……ごめっ、酒井くん」
「いいよ。全然、寝てて」
「移っちゃう……ので」
「何かが?」
「ぅ……ん」
何かが移っちゃうからって言い張るこの人がおかしくて、可愛くて、熱のせいかでかくて真っ黒な瞳が潤んで、濡れてて、なんか、わかんないけど、気持ちが蕩ける。
「大きな物音、ごめん、その目眩で壁に」
「平気。大家さんにクジョー言わないから安心して。とりあえず、寝なよ」
「あ、あのっ」
「寝るまで一緒にいるし」
そっか。体調悪くて、それで寝込んでたのか。そんで、あの人が心配で看病に来てくれて。仲いーんじゃん。じゃあ、脈あるんじゃん。
「夢……みたい……」
「? 林田さん?」
何が?
そう聞こうと思った。あの人が来てくれたこと? って、聞きたかったけど。
「……」
もう穏やかな寝息が柔らかそうな唇から溢れてたから、そのまま静かに見つめてた。
「……」
林田さんの体温が移ってく。熱くて、あったかくて、繋いだ手の心地に俺もそっと目を閉じた。
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