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第24話 空高く

 林田さんの手が熱くて、 熱が指の先端まで滲んでいて、心配だった。  細いし、華奢で、けど女の子と違う骨っぽい手。無駄がなくて、強く握ると潰しちゃいそうな、あの雪の日に握った手。  早く治って欲しいと思った。  マフラーのせいだよね、マジでごめん。そう、思いながら、そばにいた。 「え? はひゃ? え、えぇ? あ、え、本物っ、えええっ」  朝、今、何時だろう。  すっごい慌ててる林田さんの声が聞こえる。  それと多分、狼狽えてる。まぁ、狼狽えるよね。稲田さん? だっけ。好きな人が来てくれてたはずなのに、なんでかお隣さんに変わってたんだ。なんで? って残念だよね。 「……ごめん」 「うわあああああっ! わっ、わわっ!」  ガバっ! って感じに顔を上げると、めちゃくちゃ驚いてる。仰け反ってまで。けど、随分、体調の方は良くなったみたいだ。ほら。急に起き上がったり、あぁぁっ、狼狽えてジタバタしてみたりしても、頭は痛くなさそうだった。 「職場の人? なら、あー……えっと、出張があるからって帰って……」  できるだけこの人がショックを受けないように。同僚の人も色々大変そうだったよって感じに。それで、交代した俺もここで一緒に居眠りしちゃったんだって話した。 「あー、けど、すっごい心配してたよ。だから」 「う、ううんっ」  目覚めたら好きな人にいて欲しかったはずなのに。 「とりあえず、よかった。熱、下がったっぽい」  昨日、ビビるくらいに熱かったおでこはもうほんのり、いつも通りの温かさに戻ってた。ほぼ熱はない感じ。  それに表情がしっかりしてるっていうか、いつもの林田さんっていうか。よかった。マジで。あの同僚の人もホッとしてるんじゃん?  ――看病頼んだ。スイぴ。 「……あ、ねぇ、あの、同僚の人、なんでか俺のこと、翠伊ぴって」 「! ひぇえええ!」  俺のあだ名、って言っても、そう呼んでたのリナと、たまにからかって大沢がそう呼んでるだけだった。けど、それをあの同僚が知ってた。ってことは、林田さんがそれを伝えたわけで。 「……なんで、この呼び方知ってんの?」  翠伊ピ呼び。 「あ、えっと、えっと」  じっと見つめてたら、肩を小さく縮こまらせて、林田さんが掛け布団をギュッと握った。 「あのっ、まず、熱、は、マフラーとかのせいじゃなくて、その、僕、飲み会とかとても苦手で、お酒あんまり飲めないんです」 「そうなの?」 「だから、全然、本当に、風邪じゃなくて。マフラーがないからとかでもなくて、ただ、そのお酒飲み過ぎちゃって。熱出ちゃったっていうかテンション上がりすぎて発熱っていうか」  何その厄介な体質。けど、すぐに真っ赤になっちゃう林田さんならありそう、とも思ったりした。 「テンション上がっちゃったから、で」 「そっか」  確かに、なんかあの時、いつもよりもぴょんぴょんしてた気がする。それに、髪もふわふわで。  まぁ、そうだよね。同僚の人が一緒だったわけだし。 「そ、の」  嬉しすぎて発熱、って感じ? 「あ……のっ……僕、テンション」  高かったんでしょ?  どんなふうになんだろ。  たくさん話す?  暴れる?  あー、暴れる林田さんめっちゃ見たい。  踊ったりとか? 踊ってるとことか、絶対に可愛い。  見てみたかった。 「あのっ!」 「……うん」  どんなだったんだろ。 「テンション! 高かったんです!」 「……うん」  前にもこんな感じに、林田さんが言ったんだっけ。  このテンション。  ――パンティ!  あの時みたい。  あの時は、ただの紅茶なのに、酒、飲んじゃった? ってくらいに真っ赤になって、突然。  ――僕のなんです!  そう大きな声で宣言しながら、ぎゅっといい香りのする紅茶がちょっとだけ残ったマグを握りしめてた。 「好きな人にっ、その、あの時、会えて、嬉しくて」 「……」  猛毒でも飲んじゃったんじゃないかって思った。  あの時みたいに、真っ赤、だ。  ぎゅっと肩を竦めてる。力を入れて、すっごい緊張してるってその声と表情でわかる。  すごく必死に、頑張って、話してたのを俺はじっと見つめてた。  俺に、女の子みたいに相手を誘惑する方法を教えて欲しいって言ってた。好きな人がいて、その人に好かれたいからって……言ってた。  真っ直ぐに。  必死に。  緊張しながら。  俺はそんなこの人をじっと見つめてた。あんなに、真っ直ぐ、吸い込まれるみたいに人のことを見つめたのって、あの時が初めてだったかも。  真っ黒な瞳は潤んでて、綺麗だった。  緊張しまくってるせいでさ、肩、力みすぎで、一言発するだけでも大変なことって感じで、艶々の黒髪が揺れてたっけ。 「ね……林田さん」 「!」  ちょっとでも俺がみじろいだら、飛び上がって、面白い声をあげながら逃げて行ってしまいそうなくらい。 「俺がさ」  俺は、もしかしたら、あの時からこの人のこと好きになってたのかもって思った。  あの時から、ふと思い返せば、俺はずっとこの人から目を離せないでいる。  俺は、今、あの猛毒紅茶は飲んでないから、これは口走っちゃってるわけでもなんでもなくて。ただ、本当の気持ちを素直に伝えたいって思っただけなんだ。  伝えたいって思ったんだ。  このまま当たって砕けちゃうかもしれないのに。  断られちゃうかもしれないのに。  計算、できなくなった。  考えて作戦とかできそうにないんだ。  パンティなんて言い出すこの人が。  俺なら選ばない幕の内弁当をスッと選んじゃうこの人のことが。  俺にはできない気遣いができるこの人のことが、好きで仕方ないから。 「林田さんのこと、好きって言ったら、テンション、下がる?」  言いたい。この人のことを捕まえたい。この人のこと逃したくない。 「!」 「俺、林田さんのこと好きなんだ」 「! っ、! ……っ、っ、っ」  やっぱ、予想外。  一言も発してないのに、百面相みたいに表情が変わって、何も言ってないのに、今思ってること、全部わかった。 「っ」  嘘みたい。 「っ、っ」  本当かな。 「!」  わ、うわっ、わー、わわわって、頭の中が大混乱って顔してる。  驚いて。  嘘でしょう? って疑って。  でもでも、どうしようって困って。 「も、もしも、もしもし」  噛んで電話になっちゃってるし。 「さ、酒井くんに、好きなんて言ってもらえたら、僕、のっ…………テンション」  声が震えてた。優しくて、澄んだ、林田さんの声が。 「空高くのぼっちゃうくらいに、高くなります」  震えながら、めちゃくちゃ嬉しそうに、そう、教えてくれた。
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