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第30話 頼むよ。翠伊ピ。

 水曜日は映画館のある駅前で待ち合わせをした。  この前と同じ。  あの時は本番デートのための予行練習って言って。  あの時も、一時間早く来てたからさ。今日は仕事後だし、そんな一時間も早くは来られないだろうけど、でも、わかんないからさ。 「…………」  大学が終わって、どこにも寄らず、即来たんだ。 「あ、翠伊ピだ。お疲れー」  ねぇ、やっぱ、その呼び方、なんか流行ってんの? ここ最近、桜介さん以外の人から呼ばれる時、いっつも翠伊ピ呼びなんだけど。 「……お疲れ様、です」  しかも、まだ一回しか会ったことのない稲田さんだし。 「ご、ごめんねっ、あの、稲田がどうしても翠伊くんとご飯がしたいって聞かなくてっ」  え、なんで。 「あはは、お邪魔しちゃってごめんなぁ」  はい。本当に。マジで。 「映画はレイトショーでしょ? そこまでにはいなくなるから。あはは」  あははじゃない。なんかノリが大沢に似てて、つい、大沢と話してる時のテンションになりそうなんだけど。 「さ、晩飯行こっかー」  え、なんで。  そう、つい、本当に大沢を相手にしている時みたいに返事をしちゃいそうになって、慌てて口をつぐんだ。  デート、だったんだけど。 「いやぁ、疲れた疲れた。うちの会社、まぁまぁ、大変だからさぁ」 「あ、はい」 「俺は営業で、林田は在庫管理」 「はい。知ってます」 「あ、聞いてた? んで、同期」  なんとなく。  なんとなぁくだけど、俺、今、マウント取られて、る?  そして、なんとなぁく、気持ちに小さく棘が生えそう。 「あ、お酒、飲めるんだっけ?」 「飲めます!」  ほら、ちょっと対抗心みたいなのが出て、口調が強くなった。逆にそういうのはきっと社会人で仕事してる「大人」にはガキっぽく見えるんだろうけど、つい、勝手にそうなった。 「じゃあ、俺はビールにしようかな。翠伊ピは?」 「ビールで」  本当は、そんなに好きじゃないけど。なんだったら、サワーがちょうどいいんだけど。今だったら、日本酒とかワインとか口走りそう。 「あ、じゃあ、僕は、さくらんぼサワーで」 「ぶは、甘そう」 「い、いいじゃん。別に」 「あ、そうそう、この間、会社でやった新年会、あれ、翠伊ピのバイト先だったんだって?」 「ちょっ、稲田っ、あんま」 「あ、ほら、林田、トイレ、あっち。さっき、翠伊ピ待ってる時に行きたいって言ってたろ」 「ちょっ今、言わなくていいってば」 「いーから、はよ、行ってこい。だーいじょうぶ、翠伊ピに余計なこと言わないから」 「んぐぐぐ」  桜介さんが険しい顔をして、不服そうにしながら、稲田さんに追い出されるように個室を出て行った。 「……今日は、ごめんね。なんか、混ぜてもらって」 「……いえ」  はい。本当に。今日、初デートだったんですけど。 「翠伊ピ」 「はい」  その呼び方、別に推奨してないんで、フツーに呼んでもらえないですか? 親しくもないし。 「って、言って、毎回、あいつが君のこと話すから、なんかその呼び方で固定になっちゃってさ」 「……ぇ」 「翠伊ピって」 「……」  そこで、稲田さんがニコッと笑って、喉が渇いたなぁと呟いた。 「あの」 「同期で残ってるの俺らだけでさ。まぁ、残業多いし、給料そんなに高い訳じゃないし。だから、みんな辞めちゃって。俺らはなんだかんだ辞めてなくて。だから、残った者同士けっこう色々話すんだ」 「……」 「で、翠伊ピのことは色々聞いてて」 「!」  ――すごい可愛い子が彼のところに遊びに来てた。翠伊ピって呼んでたんだ。多分、下の名前なんだろうなぁ。すい、かなぁ。いいなぁ。そんな呼び方するってことはすごく仲いいよね。 「付き合うのかなぁって、よく話してたよ」 「……」 「お前もそう呼んでみたら? なんてよくからかって話しててさ。そんで、なんかその呼び名が定着しちゃったわけ。だから歴代の彼女、名前も顔も知らないけど、可愛い系は美人系かってことだけはまぁまぁ知ってるよ。けど、すごいよな。モテモテじゃん。他にもさぁ。」  ――今日! 階段のところですれ違った! 挨拶しちゃったよ!  ――お隣のおじいちゃんと仲良く話してた。いいなぁ。僕も何か話すきっかけないかなぁ。  ――ついに新しい彼女ができちゃったよ。一緒に帰ってくるところ見ちゃった。あー……。 「お前、そんなにお隣さんチェックしてて、ストーカーじゃんって」 「……」 「まぁ、そんなわけで」  そこに頼んだビールが二つ、それからさくらんぼのサワーが届いた。 「男同士だけどさ。仲良くしてやってよ。歴代の彼女さんたちと勝手が色々違うだろうけど。きっとこの後も、俺は林田から色々惚気を聞かされるだろうから、俺もノーマル? なんていうの? その、まぁ、恋愛対象が女の子だと、男同士、色々あると思うけどさ」  俺の元カノを知ってる。だから、俺の恋愛対象の性別ももちろん稲田さんは知ってる。桜介さんも。 「もしもあいつが泣いたらドンマイって言ってやるけどさ。本当に今回嬉しそうにしてるから。できるだけ付き合ってやって」 「あの」  だから、今回、初めて、男の人を好きになったっていうのも、わかってる。 「もちろん、仲良くします」  やば。俺、本当にガキじゃん。 「泣かせるようなこと、しないです」  この人に張り合ったりして。俺の知らない桜介さんを知ってる感じに、腹立てたりして。マウント、なんて思ったりして。 「今まで、コロコロ付き合ってる彼女が変わったけど、今度は、変わりたくないんで」  俺の知らないところで俺を好きって言ってくれてるのを聞いててくれた、大事な同僚なのに。 「俺は桜介さん、好きなんで」  意地張ったりして。 「ありがとな」 「あ、いえっ」 「あ、あと」 「?」  ねぇ、桜介さん。やばいんだけど。今さ、今、すっごい好きが溢れて、貴方のこと、抱き締めたいんだけど。 「この間、今度は甘口カレー作る! って言ってたけど、そのちょっとすぐ後に、また新しい彼女ができたっぽいって言って断念してたから、今度、作ってやって? めっちゃ喜ぶよ」 「あ」 「できたら一緒に作ってやって?」  ねぇ、だから、早くトイレから帰って来てよ。 「頼むよ。翠伊ピ」  貴方のこと、すっごい。 「はい。こちらこそ」  好きなんだけど。

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