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第32話 痩せ我慢

 映画はすごい豪華なスター俳優と、それ、ぶっ壊しちゃうの? マジで? っていう爆発オンパレードでド派手なアクションシーンがてんこ盛りで、4DXシアターがオススメってなってたから、それにした。 「っぷ、あはははは」 「も、もお、そんなに笑わなくてもっ」 「だって」  確かに風すごかったもんね。カーチェイスのシーンで本当に風が吹きつけてくるし、シートがガタガタ揺れて、斜めになったりするからさ。  思わず、手、繋いでた。  初デートにはオススメですって感じ。  自然と手を繋いでくっついてられるから。  でも、映画が終わった後は、ちょっと男子も女子も気をつけた方がいいかもしれない。 「まだ、どこかふわふわしてる?」  そう言って、赤くなった桜介さんが頭のてっぺんを自分の手でぎゅっと抑えた。  カーチェイスの疾走感と爆発シーンの爆風をイメージさせる風がさ、本当に映画館の中で吹いてきて、すごかったんだ。おかげで癖っ毛でふわふわなトイプードルみたいな桜介さんの髪が大変なことになっちゃってた。  本当に、あの有名俳優さんと一緒にフロントガラスが吹っ飛んだ高級車で街中を走り回った後みたいになってる。 「もう平気」  笑いながらそう伝えた。 「はぁ、なんか映画観ただけなのに疲れたね」 「うん」  うちらの最寄り駅は各駅停車の電車しか停まらなくて。けど、ちょうどその電車がなかったから、俺たちはその手前の駅で降りて、ゆっくり、スーパーマーケットも薬局もなんでも揃ってる賑やかな駅から住宅しかない方へ向かって歩いてた。  夜、遅いから人の通りも少なくて。 「途中、映画どころじゃなくなったし」 「ねー、映画観に来てるのに、ジェットコースター乗りに来たのかと思った」 「あはは」  だから、手を繋いで帰るのにはちょうどいい感じ。 「今度は遊園地行きたいね」 「えぇっ」 「本当のジェットコースター乗ろうよ」 「僕、腰抜かしそう」 「乗ったことない?」 「あるけど、子どもの頃。もう大人になってからはないよ」 「そっか」  じゃあ、あんまりすごいのはやめておいた方がいいかもね。世界一高低差があるやつとか、長いのとか、最速のとか。シンプルな、普通のジェットコースターの方が。  そんな映画の後の感想を言い合ってたら、あっという間にマンションに到着した。  一人で歩いてたら、まだ着かないなぁと思っただろう、片道二十分くらいの帰り道。 「あ、僕、開けるね」 「うん」  でも、この人と一緒だと二十分があっという間すぎてさ。  もう少しマンション遠くてもいいのにって思った。 「翠伊くん」 「?」  階段、よく響くんだ。  だから、静かに、そーっと、桜介さんが俺の名前を呼んだ。 「楽しかった、です」  そう、優しく、とても嬉しそうに微笑みながら。階段を二段先に上りながら振り返って。 「!」  ほら、そんなに器用な人じゃないし、今日は映画館にいながらカーチェイスに同行したから足元、少しふらつくんでしょ? 振り返って喋ったりするから、階段で足を踏み外しそうになったじゃん。 「ご、ごめっ」  俺が後ろにいて良かった。  転びそうになった桜介さんを抱き留めると、真っ赤になって、二時間、爆風とカーチェイスでずっと風にかき乱されてふわふわになった癖っ毛が、また、ふわりと、踊った。 「っ」  そして、真っ黒で長い前髪の隙間から、真っ黒な瞳が戸惑いながら、ふいって逸らされて。 「僕、ドジで……」  睫毛、長いよね。 「あの」  華奢、だよね。  細い。  力いっぱいに抱き締めたら、ちょっと痛くしちゃいそうに細い。  腕も、肩も。 「翠伊、くん」  腰も。 「……」  優しく、しないと。 「……ぁ」  明日は、この人、仕事だから。  俺は木曜日で、講義、朝からあるけど、別に、全然。  けど、桜介さんは仕事があって、在庫管理っていう仕事で、今日、稲田さんも話してたけど、重い荷物を運んだりもするんだって。脚立に上ったりもするし、けっこう大変で、だから、同じ在庫管理の仕事に配属された同期は全員辞めちゃったって言ってた。けど、それを真面目にちゃんとこなす奴なんだって。  大変そう。  脚立上って、重い荷物運んで。  それを明日もするんだから。 「桜介さん」 「!」 「気をつけて」  今日は、ダメ、でしょ。  レイトショーの後、電車もちょうどいいのがなかったから、歩いて帰ってきたし。だから、もう日付が変わるギリギリの時間。学生の俺と違うんだから、ちゃんと寝ないと。寝不足で脚立上って、今みたいに足踏み外しそうになったらどうすんの?  無理、させて、身体痛くしたらどうすんの?  今週のバイトの時にシフト提出して、土曜日は休みたいってするんじゃん。その週末一緒に過ごそうよって、映画の前に話したじゃん。  だからそれまで我慢、しなよ。 「……ぁ」  そのくらい我慢、できるだろ。  俺。 「翠伊、くん?」  キス、したい。  抱き締めて、それで、この人のこと。 「……」  でも、キスしたら、止められなさそうな気がした。  真っ赤になって戸惑ってるこの人のこと、このまま、抱き締めたまま、自分の部屋に攫っちゃいそうな気がした。 「俺も、すごい楽しかった。おやすみ、桜介さん」 「ぁ、うん」 「明日も仕事、頑張って」  明日も仕事、だから、我慢しなよ、俺。  ほら。 「あ、そうだ。ねぇ、桜介さん」 「?」 「連絡、スマホの教えてよ」  我慢する代わりに、さ。 「あ」 「俺ら、お隣さんだから、あんまそういうのいらなかったけど」 「う、うんっ、教える! 僕も! あのっ」 「もちろん、俺の教えるから。連絡だけじゃなくて、なんでもメッセージしてよ。適当に」 「うんっ! って、あの、適当はしないけど! でも、連絡! します!」 「あはは、マジで適当に気軽にでいいよ」  桜介さんと連絡し合えるように、連絡先を交換するからさ。だから、今日は我慢しときなよ、俺。ほら、スマホ出して。そういいきかせるように、ニコッと笑って、抱き締めた手を離した。

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