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第34話 シャンプーのかほり、の破壊力
背に腹はってやつで。
「ありがとうございましたぁ……」
バイトしないと生活できないんで。
学生は学ぶことが一番大事、ではあるけど、食べていかないといけないわけで。スマホ代も払わないといけないわけで。
「あ、翠伊、今日も悪かったなぁ」
「あーいえ……まぁ、はい」
「インフルエンザの子が出ちゃってさ。助かった。代わりに、土曜は休み、しっかり確保しておいたから」
「! すんません、ありがとうございます」
だから、シフトの空きが出たら、入るわけで。それに困ってるのに断れないじゃん。
「にしても、土曜日はバイトなしにしたいって言うから、お前、もしかして」
「あー、あはは」
「春到来ってやつか?」
まぁ、そう、かな。今まで彼女ができても土日は別に普通にバイト入れてたけど。
「あはは、けど、金曜日にバイト入るんで」
「ああ、悪いな。お前、テキパキしてて要領いいから助かるんだよ。金曜日もけっこう忙しいからさ」
「あざす」
で、毎週土曜日休みにしてもらう代わりに金曜日にシフトを入れてもらったんだ。これで、毎週、土曜日は休みが確保できるじゃん? んで、金曜日は桜介さんも仕事で会えるわけじゃないから、俺はそこでバイトして稼ぐ。ちょうどいい感じ。
「お疲れ。もう上がっていいよ。ありがとな」
「っす」
今日はそんな通常シフトとは関係なく、急遽、呼ばれたんだ。インフルの子が出ちゃったんだって。けど、水曜日だったから、桜介さんも会社が残業なしの日で会えるから、ちょっと無理って言ったんだけど。
お昼すぎに桜介さんからメッセージが来てた。
――ごめんなさい。月末で、今日は残業になりました。
そう、絵文字も何もない、とてもシンプルなメッセージ。
倉庫で在庫管理とかしてるのなら、月末は忙しいのかもしれない。
だから水曜日のデートは急遽なくなった。残念だけど仕事なら仕方ないじゃん? それなら俺も仕事、バイトだけど、しとこうかなぁって、大学終わってから、もう一度バイト先に連絡してみた。稼いどくのも必要でしょ? この先、ゴールデンウイークとかあるからさ。旅行とか行けないかなとか考えたんだ。それならバイトで稼いでおいた方がいいでしょ。桜介さんの職場がゴールデンウイークに休めるのかわかんないけど。稲田さんも、二人が勤めてる会社は仕事がきつくて、休みが少なくて、残業も多いから同期の人がどんどん辞めてくって言ってたし。けど、大学はないからさ。もしも仕事だとしても終わった後とかね。
部屋で一緒に過ごすだけでもいいし。
「それじゃあ、お先に失礼します」
「おー、また、次は金曜日、だな」
「はい」
ぺこりと頭を下げて、店を出ると、途端に寒さに鼻先が晒されて、今までずっと空調の効いたところで半袖Tシャツでも大丈夫だったから、なんか、ピシャリと寒さに軽くはたかれた。
「……あ」
桜介さんからメッセージが届いてる。
――今日はすみませんでした。せっかく会えると思ったのだけど。頑張って、火曜日に仕事、できるだけ終わらせようとしたのですが、終わらなく……。
そんな文字だけなのに、やっぱ寂しそうにしゅんとしている桜介さんが目に浮かぶメッセージ。
――大丈夫。俺もバイト休みが出ちゃって、代わりに入ったりしてたし。そんで、土曜日、毎週。
「……」
毎週って言うと、生真面目な桜介さんは「じゃあ毎週土曜日は空けておかないと」って思うかも。仕事、休日出勤とかもあるかもしんないし、桜介さんだって友達と飲んだりもするかもしれない、よね。あんま、毎週って言うと、良くない、かも?
――そんで、土曜日は休みにできたから。
そうメッセージから「毎週」の文字を削除して、送信した。
スマホをダウンのポケットに押し込んで、自転車に乗る。片道、十五分くらい。電車を使うほうが駅からマンションまでの徒歩時間があるから余計に時間がかかるんだ。昼間は少しだけ暖かさを感じるようになったけど、まだ夜、日が落ちたら全然寒い中を急足でペダルを漕いだ。
あ。
桜介さんからメッセージ来てたから、すんなり返しちゃったけど、もう寝てたりしない? 夜の十二時近くだけど。時間感覚、ダメ、だったかも。例えばさ、これが大沢とかなら全然大丈夫。あいつは夜型だし、講義受けるだけなら眠くても、まぁ、なんとな。
けど、仕事してたらそうもいかないでしょ。
メッセージ送る時間帯間違えたかも。そう思いながら、自転車を漕いだ。
十五分後、マンションに着いた頃にはキンキンに冷えた夜の空気にぎゅっと固められたみたいに、髪がボサボサになってた。その髪を適当にかき上げて、上を見ると。
「……」
桜介さん、まだ、起きてた。ほら、電気がついてる。なら、まぁ、大丈夫、かな。メッセージ送ったけど、寝てるのを邪魔してなかったっぽい。
エントランスを解錠して、階段をそっと上って。
ご近所迷惑にならないように気をつけて。
玄関をそっと開けて、扉を閉めようとした、ところだった。
「ぁ」
桜介さんの部屋の扉が開いて。優しいあの人の声が聞こえて。
「あ」
振り返ったら、家着のあの人がそこにいて。
「あ、あの」
あ、俺、髪、マジでボサボサだ。やば。
「今日は、ごめんなさい。仕事、終わらなくて」
「ううん。全然」
「あの、アルバイト、お疲れ様、です」
「ぁ、うん」
「こ、これっ」
「朝ごはんに、食べてください。コンビニの、だけど、パン」
「……」
あ。
「幕の内弁当って思ったけど、アルバイトのところで賄い出るって言ってたから、朝ごはんの方がいいかなって。それなら幕の内は多いかと」
シャンプーの香り。
「ううん。全然」
すご。
やば。
「…………翠伊、くん」
すっごい、なんか。
「? 桜介さん?」
「…………お、おやすみ、なさいっ」
来た。
なんか。
「おやすみ」
そして、桜介さんが自分の部屋に戻って、俺は玄関の扉を閉めて。
「…………はぁ」
思いっきり溜め息をついてから。
ゴン。
そんな音がするくらい、玄関の扉の縁に頭を打ちつけた。
「……何あれ、やば」
そう独り言を呟いてから、もう一回溜め息をついて、熱を外に放り出した。
じゃないとさ。
――翠伊、くん。
そう呟くシャンプーの香りをさせたあの人の破壊力がすごすぎて、なんか、理性とか粉々になっちゃいそうだったから。明日も仕事、大変だろうあの人のこと。
「襲われるから……マジで」
そうしちゃいそうだったから。
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