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第36話 おやすみなさい
金曜日は土曜日ほどは混んでないけど、代わりに会社員って感じの人が多い。スーツ姿の人たちが半数以上。
今日はさすがに桜介さんの会社の人はいないっぽかった。月末で忙しいって言ってたから、いるわけないんだけど。それでも、スーツ姿のグループがいると桜介さんがいないかなって、思わず探してる。
水曜日、会えなかったから。
なんて、思って、ニコッと笑うあの人のことを勝手に脳内でイメージしながら。
「おーい、翠伊も上がっていいぞー」
「え、けど」
店の片付けをしていると厨房からひょこっと顔を出した店長からあがっていいと言ってもらえた。今日はラストまでのシフトなんだけど。その時は店内清掃までするんだ。時間があれば翌日の準備にテーブルの調味料のチェックだとかもしていく。ついさっき、ラストのお客さんが帰って、これから掃除を始めるところなのに。
「女の子、大学の子か?」
「……あー」
「待たせてたら悪いからな」
「あ、いや、彼女は」
「お疲れ」
違うんだけど。
彼女は「彼女」じゃないんだけど。
店長は多分、土曜日のシフトを金曜日にズラしたい理由が、今日、店に来た世莉だって思ってるっぽい。店のラストオーダーになってもずっと居残ってたし、俺が料理とお酒を運ぶと、その度に、女友だちと一緒に話しかけてきてたから。
「彼女」が会いにきていて、そのまま今も外で俺を待ってるって思って。
違うんだけど。
今度、訂正しておかないと。
この間の子は彼女じゃないんでって。
けど、今、掃除を免除してもらえたし、店長も忙しそうにしてるのを引き止めるっていうのも微妙な気がするし。
「じゃあ、お疲れ様です」
「おー、また日曜な。って、あ、ちょい待ってな」
「?」
「これ、待っててくれた彼女と食べな」
「え、良いんすか?
「おー」
店長が渡してくれたのはマカロニサラダとだし巻き卵だった。
「余り物なんだけどな」
「全然です。ありがとうございます」
「あぁ、待たせてごめんって言うんだぞー」
タイミング見て、訂正はしよう。
あの子じゃないですよって。
付き合ってるのは――。
「あのっ」
別の人、なんですって、言っておかないと。
「お、お疲れ、さま」
「! ……ぇ、桜介さん?」
びっくり、した。
お店を出て、はぁと、三月に入って、白くなることのなくなった吐息を一つ、溢したところで、どこからか優しい声がしたから。
「ご、ごめっ、金曜日、アルバイトって言ってたからっ、その、このくらいの時間かなって、あのっ」
「……」
「水曜日っ会えなかった、のでっ、その分というか、あ! いや、僕の都合で会えなかっただけで、そんなの僕のせいなのに。会えなかった分を金曜日って、まるで、あの、その翠伊くんが会いたいってわけじゃない、のに」
真っ赤になって困ってそうだった。
俺に貸してくれたマフラーで口元が隠れて、長い前髪で目元も隠れて、見えるのは、吐く息は白くならなくなったけど、それでもかなり冷たい、まだ夜になると真冬と変わらない冷たい空気に晒されて、真っ赤になった鼻先だけ。
「あのっ、だからっ」
「全然、会い、」
「あ! やっと出てきたぁ」
投げ込まれたみたいに、俺と桜介さんの間に割り込んできた、鼻にかかった甘ったるい声に、桜介さんが飛び上がった。
「めっちゃ待っちゃった」
世莉、が女友だちと一緒にヒールの音を鳴らしながらやってきて、俺と桜介さんの間にズイッて割り込んできた。まるで桜介さんのことは見えてないみたいに。
「お疲れ様でぇす。翠伊くんのバイト先のご飯、めっちゃ美味しかったぁ。モデルの仕事してるからいつもは超気を付けてるけど、今日はチートデーにしたっ」
サロンでケアをちゃんとしてそうな艶やかな髪が世莉が跳ねる度に一緒になって跳ねて踊ってる。
カラコンをつけた瞳に、ふとした時に気がつく長い睫毛、まるでゼリーみたいな唇。整った顔立ちしてて、スラッとした抜群のスタイルで。
「ね、ね、このあと、カラオケ行かない?」
きっと、男女関係なく、魅力的って、彼女のこと思うのかもしれない。
「翠伊くん、声、超かっこいいから、歌ったら、ヤバそうっ」
前の俺だったら、ちょっと嬉しかったかもしれない。もちろん、誰かに好意を持ってもらえたら、その時点で、嬉しいと思うけど。ありがたいって思うけど。
だから、彼女がいても、リナがいても、女の子が一人で帰るってなったら送ってあげてたし。優しくしてあげてた。
好きになってくれた子をムゲにする奴ってどうなの? って思うじゃん?
「ね、翠伊くん」
けど。
「ごめん。俺、その人と約束あるから」
今の俺は、そうならないんだ。
「え?」
そこで、世莉が自分たちが押しのけた背後へ振り返って、振り返られたことに、桜介さんが思いっきり、肩をすくめて身を硬くした。
「……ぁ、あのっ」
本当は約束なんてしてないけど。ほら、桜介さんも、約束なんてしてないですって顔してるけど。
「あ、あのっ」
「その人と約束あるから」
世莉にじっと見つめられて、居心地悪そうにしてる。
「え? 友だち? 翠伊くんの? この人?」
すごいね。露骨に嫌そうな顔。
「え?」
きっと、男女関係なく、魅力的って、彼女のこと思うんじゃん?
けど、今の俺は。
「友だちじゃないよ」
「え?」
「友だちじゃない。俺が付き合ってる人。前に、バレンタインの時、言ったじゃん。付き合ってる人がいるから、チョコ、受け取れないって」
「は?」
「この人、俺が付き合ってるの」
「ちょっ、翠伊、くんっ」
今の俺は、世莉を可愛いって思わないんだ。綺麗だって思わない。
艶やかな髪も、カラコンで彩った瞳も、マスカラこってりな睫毛も、スタイルも、たまに香る甘い香水も、どれも、全然。
「だから、俺のことかまっても、意味ないよ」
「す、翠伊くんっ、あのっ」
「それじゃ」
敵わないよ。この人には。
大慌て。なんてことを言ってしまったんだって慌てて、バタつかせたその手を取って、しっかりと握った。
「おやすみなさい」
そう、世莉とその女友だちに告げた。
「す、翠伊くんっ」
この人がびっくりしすぎて逃げちゃいそうだったから、ぎゅっと手を握って、離さないように、逃げないように、しっかりと、捕まえた。
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