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第38話 僕らは今、溢れてる
「ええええええっ!」
「ちょ、桜介さん、シー」
「! ご、ごめっ」
マンションの下でエントランスを開けようとしたところで桜介さんが叫んで、それから、ご近所迷惑でしたって、慌てて、自分の口をぎゅっと結んだ。
自転車、置いてきたから。
あれ? 翠伊くんの、自転車……は?
って、各部屋番号のプレートがついた自転車置き場に、俺の自転車がないことに桜介さんが気がついた。
自転車はバイト先に置いてきたよ。
「ご、ごめんなさいっ、僕、自転車」
「いや、けど、あそこで、自転車押すのカッコ悪いじゃん」
桜介さんが来てくれて、そこにあの子が邪魔しに来て、この人と付き合ってるからって、颯爽と桜介さんのことだけ攫うように連れ帰るのにさ、あ、自転車あるんでって、鍵開けて、カラカラ自転車のタイヤを鳴らしながら押して帰るの、カッコ悪くない?
あそこは颯爽と、歩いて帰るのが一番でしょ。
「じゃ、じゃあ、明後日、日曜日、アルバイト行く時、タクシー出しますっ」
「え、いいよ。ほら、開いたよ」
エントランスを開けて、二人でマンションの建物の中に入ると、途端に階段の踊り場に声が響く。
「でもっ」
「平気」
「じゃあ、明日、僕が取りに行くっ、僕のせいで」
「んー……」
小さい声で、一生懸命、俺の置いてきちゃった自転車問題に取り組んでくれてる、けど。
「明日は無理、かも?」
「? なんで? あの、雨じゃないはずだし、足、届かないなら僕押して」
斜めだなぁ、発想が。思わず笑った声が階段に響いちゃったじゃん。そろそろご近所迷惑な時間帯なのに。
「丁寧にするけど」
「?」
「もしかしたら、ちょっと身体、しんどくさせちゃう、かもしれない」
初めては慎重に慎重に。
ゆっくり丁寧に。
焦らないのが大事。
そう書いてあったから。
「?」
首を傾げてる。
セックスできるように、身体、作られてるわけじゃないから、丁寧に準備しないと、痛くしてしまう。
「今日、したい」
「……」
あんまわかってなさそうで、ちょっと苦笑いが溢れた。
「桜介さんと、えっち」
「!」
その瞬間、ブワって音が階段に響きそうなくらい、桜介さんが顔を赤くした。
口を開けて、瞳を丸くして、今、一瞬で頭の中で再生した事に慌ててる。
「本当は、明日、と思ってたんだけど」
ご近所迷惑にならないように。貴方が驚いて、躊躇ったりしないように、そっと、優しく、小さな声で。
「桜介さん」
そっと、その細い手を引き寄せた。
「……ぁ」
ここが、コンクリート打ち付けだから音がよく響いちゃう階段で、よかった。
「……ぅ、ん」
とても、とっても小さな声も、ちゃんと、しっかり聞こえたから。
うん、って頷いてくれた桜介さんの小さな声も、ちゃんと聞こえた。
「あの、そ、したら、宿泊の準備、してきます」
「……」
「あっ、あっ、あのっ、泊まる、のかなってっ、違っ、あっ、隣の部屋なのに、ごめっ」
「っぷは。いや、違くて」
「?」
「なんか桜介さんらしいなって思っただけ」
だって、泊まるじゃなくて、「宿泊」って言っちゃうとこ。
パジャマとかちゃんと持って来ちゃいそうなとこ。
そういう真四角って感じなとこが、なんか、やっぱ、好きだなぁって思っただけなんだ。
シャワー浴び終わって、鏡の前で、じっと自分のことを見つめた。
四角。
そんな単語がピッタリくるのに、意外なところで大胆なんだ。遠慮してばっかりっぽいのに、ちゃんと欲しいものを欲しいって手を伸ばす人でさ。
魅力的だなぁって。
「……」
最初はゆっくり。丁寧に。
ちゃんと解してから。
あの人のこと大事に。
「……」
大丈夫?
顔、赤くない?
発熱?
桜介さん、怖がらない?
必死じゃん、俺。
溢れそうなんだけど。
そんな顔してる。
頭の中があの人でいっぱいなんだけど。思春期かっつうの。カッコ悪い。
「……やっば」
その時だった。ピンポンって、遠慮がちに部屋のチャイムが鳴った。
「は、はいっ」
慌てて、服を鷲掴みにして着替えると、急いで玄関を開けた。
「鍵、渡したのに、使っていいよ」
そう言いながら、扉を開けた、ら――。
「あ、うん。あの、そうなんだけどっ」
ガチャって、扉を開ける音にさえ飛び上がった桜介さんが、小さなエコバックをぎゅっと抱えてそこにいた。
「あのっ」
あ、シャンプーの香りだ。
「あの」
お風呂、入ってきたばっかの桜介さん。
わ。
すごい。
「今日は、どうぞ……」
爆発しそう。
「よ、よろしく、お願い、します」
「……」
「ご、ごめ、色っぽくない言い方になっちゃって、その、こんな時」
「全然」
「!」
真っ赤だった。
「色っぽいよ」
「!」
俺と同じ。
好きな人のことで頭がいっぱいって感じ。
好きな人のことが欲しくて、そのことで頭の中からなんか溢れちゃいそうな感じ。
ねぇ、桜介さんは、あんま自覚ないんだろうけどさ。
「とりあえず、抱き締めていい?」
「ひへっ、っ、っっっ」
ほっぺたを赤く染めて、シャンプーの良い香りさせながら、そんなこと言われたら。
「あ、翠伊、くん」
「……」
「……ぁ」
舞い上がるから。
「……うん」
背中に手を回して、一所懸命にぎゅってしがみつかれたら。
ほら。
「お願い、します」
高いとこまで、舞い上がった。
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