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第46話 戻る、とは。

 ――水曜日って、残業?  この間は月末だったけど、今回は月初だから邪魔にならないでしょ? だからさ。  材料も少ないから、今日のうちに買い物済ませちゃって。あーけど、桜介さんとスーパーマーケットに買い出しに行くのも楽しそう。けどなぁ。翌日仕事だもんね。あんま遅くなると、困らせるっていうか、大変にさせちゃうか。っていうか、そっか、翌日仕事だ。  じゃあ、水曜日は飯だけ。  あと、キス、くらいまでなら  ――俺が夕飯作る。ちょっとバイト先で教わったんだ。めちゃくちゃ美味かったから。桜介さんに作りたい。 「……」  そんなメッセージを送った。  返事は、さすがに来ないよね。齧り付くようにスマホ見てるとは思えないし。  スマホに表示されてる時間を見ると、一時になるちょっと前。まだ昼休憩だったりするかなぁと思って、このタイミングでメッセージを送ってみた。俺はこれから午後の講義を受けるとこで、机に頬杖をつきながら、スマホをじっと見つめてる。  講義を待ちつつ、桜介さんから返事が来たらいいなぁって思いながら。 「おい! 翠伊」 「……」  大沢だ。 「おま、世莉ちゃんを断るにしても、もう少し上手な言い方があるだろっ」  あ、今日も翠伊呼びだ。ピ、がついてない。  じっと、なんも返事をしないままでいると、慌てたように俺の隣に座って、珍しく真剣な表情をしてる。 「なんか、お前、変な噂立ってるぞ」 「あー」 「ゲイになったって」  なにそれ。なんか、ちょっと面白いんだけど。ゲイになったって、変身したみたいになってるじゃん。 「ゲイになってないよ」  変身できないし。 「わかってるって、けど、なんか、世莉ちゃんが」 「付き合ってる人は同性だけど」 「はぁぁぁぁぁっ? っ……って、おい」  思わずでかい声で返事をしたあと、一気にこっちに集まった視線に大沢が反射的に背を低く、背中を丸めて隠れる素振りをした。っていっても、ここ、すり鉢型の講義室だから、どんなに伏せたところで丸見えなんだけど。 「おま、それ、意味わかって言ってる? それって、ゲ」 「ゲイじゃなくてたまたま好きになった人が同性だったってだけ」 「だから、それを一般的には…………はぁ」  一つ、大きく溜め息をついて、スクッと背筋を伸ばして、それからぐるりとこのすり鉢状になっている講義室を見渡してる。 「まぁ、別に、それでどうこうってわけじゃないけどさ」 「知ってる。大沢は女の子大好きで、いっつもヘラヘラしてて、ちゃらんぽらんだけど」 「おい」 「そういう偏見はないって知ってる」 「当たり前だ。愛は世界を救うんだぞ」  大沢がいうとこの上なく軽くて、ふわふわで、うすーいハンカチくらいにヒラヒラとした言葉になるけど。 「だから愛がそこにあるなら、それは世界を救ってる」  でも、そういう奴だから一緒にいるわけだし。俺もそもそもそういう偏見はなかったし。ただ、自分が同性を好きになるとは全然思いもしなかっただけで。もしも大沢が彼氏ができたぁって嬉しそうに言ってきても、へぇ、よかったじゃんってなるだけだった。多分、大沢もそんな感じだと思う。ほら、今も、ゲイだったんだ? とか、その辺りことを根掘り葉掘り聞いたりして来ないんだ。普通なら興味持ったりしそうなのに。今まで女の子と付き合ってきてたのに、急に同性となんて、ってさ。どんな人なの? とか、聞いてきたりするでしょ。  けど、しない。 「けどさ、あんまオープンにしすぎるのはどうかなと思うぞ」 「なんで」 「今は、彼氏、なんだろうけどさぁ」 「……」 「次は、彼女、に戻るんなら、変にあの人ゲイなんだって、って思われてると面倒じゃん?」 「……」  次……に。 「前に付き合った相手はたまたま同性だったけど、今は元に戻って、女の子の君が好きって言ってもさぁ」  戻る。 「だから、けど、まぁ、世莉ちゃんにバイト先教えちゃった俺がいけないんだけどさぁ」  戻る? 「けどさ、ああいう子って、周りがどんなに、付き合ってる子がいるらしいよ? だからダメなんじゃん? って言ったところで納得しないじゃん? 自分の方が可愛いのにって。だからはっきりさせるか、飽きるまで待つしかないと思うし」  戻るって。 「まぁ、この場合、もう性別違うじゃんって諦めるだろうけど。けど、お前、元カノ多いからなぁ。元カノが一斉に騒いだりしたら大変そうだしさぁ」 「……」  その時だった。  ――ブブブ。  机の上に置いていたスマホが小さく短く振動した。 「あ、翠伊、スマホしまっとけよ。次の講師、スマホ類にめっちゃ厳しい超アナログじゃん」  桜介さんからだった。  ――はい! ノー残業デーです! とても楽しみにしています!  そう言って、絵文字もスタンプもないのに、すごく嬉しそうにしてくれてる桜介さんの表情がわかるメッセージだった。  お昼を食べ終わって、そろそろ、午後の仕事を頑張ろうって思ってる桜介さんが目に浮かんだ。水曜日、絶対に残業しないで帰るぞって、気合いを入れてる、あの人の姿が。 「ほら、来たから」 「……あぁ、うん」  目に浮かんだ。

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