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第52話 春休みだぁ。
あの人ってけっこう…………エロいよね。
昨日、だってさ。
―― あ、あ、翠伊くんの、が、すごい、気持ち、ぃ。
とか、フツーに言っちゃうし。なんていうか、素直に感想言っちゃう感じ。
おっきい、とか、初の時っちゃうし。昨日なんて、キスマにすごい喜んじゃうし。
――わ。これ。……すごい。
そう言ってお風呂でキスマを眺めて嬉しそうにしてるし。キスマークだ……なんて呟いたりして。それを付けたがった俺が何を考えてたかとか、わかってる? って感じにはしゃいでた。キスマークがどんなものか初めて知ったくらいに疎いのに。
――もっと、翠伊くん。
おねだりとかするし。
経験ゼロってわかるあの唇でそんなこと言っちゃうとか。
「っ」
やば。思い出すと、やばい。顔赤くなる。
それに、昨日のあれ。お尻のところでチョウチョがヒラヒラしてるような下着。あんな可愛いエロいのをあえてデートの日に履いてくるとかさ。どういうことであの下着を買って、お風呂上がりに履こうと思ったのか、とか考えると、けっこうどころじゃなく、エロ――。
「マジでエロい」
「ぶっ、げほっ」
前を歩く女の子の彼氏トークから飛び出た単語に思わず吹き出しちゃったじゃん。口元を慌てて拭いながら、ちょっとだけ俯いた。いや、あの、盗み聞きをしていたとかじゃないんで。後をついて行ってるわけでもないし。って、内心、言い訳をしてた。
あ。
前の子、情報の子だ。
リナと同じ学部の。
もう春休みになる。学部によっては春休み期間が短くて、特別集中講義とかに出席する人もいたりするけど、オンラインで受講する方が断然多いから、構内の人の数は随分とまばらになってた。
ってことは。
「……」
リナと同じ学部、ってことは、世莉も同じ学部で。
と、ふと、何気なく思ったところだった。
「!」
世莉が、廊下の角から現れて、俺を見て、明らかにハッとした顔をした。
「……何?」
すご。態度、急変。
「いや、なんも」
この前見せた、完璧って言えるにこやかな表情はどこかに吹き飛んだらしく、消えてた。代わりにこっちへ向けられたのは険しい表情。最新流行カラーなんだろう、本当にゼリーみたいで、キスしたらベトベトしそうな唇をへの字に曲げてる。
「言っとくけど、私、率先して言いふらしてなんてないから」
「……」
「何? なんか」
「いや、俺もこっちの棟に用事があって来ただけ」
「……」
「それに、なんも怒ったり、咎めようとか思ってないよ」
「は?」
本当に、別に。まぁ、率先して言いふらしてはいないけど、人のプライベートなことを、言ったことは言ったよね? とは、思うけど。
「仲良い奴はそのままいつもどおりだし、むしろ、楽っていうか」
「!」
「それに、おかげで進展したし」
「はぁ?」
「だから、全然」
「ちょっ、」
それじゃあね、と挨拶をして歩き出したら、まるで待ってっていうみたいに、世莉が一歩俺のほうに足を出して、そこでまた止まった。ぎゅっと、足を踏ん張るように止まって、そこから睨みつけるようにしているのが視界の端っこでちょっとだけ見えた。
別に、世莉が本当に俺のことを好きって思ってたとは思えない。
きっと、なんとなぁくなんだろう。
春休み直前で、たまたまフリーだったとか? 遊び相手が欲しかった程度なんじゃないかな。
こっちもそのくらいの気持ちでいてくれた方がちょうどいい。
あの日に世莉がちょっかい出してくれたから、一日早く、桜介さんとできたし。もうしたくて仕方なかったけど、したすぎてさ、なんか、もしかしたら、できなかったかも、とも思うんだ。大事にしすぎて、めちゃくちゃ大事にしすぎてタイミングを逃してたかもしれないって。こんなに欲しいと思ったことなかったから加減もできなそうだったし。桜介さんって、女の子みたいなわけじゃないけど、細くて、華奢で。遠慮する。
本当に大事だから傷つけたくない、って。
だからあの日のはちょうどいいきっかけになった。
プラス、俺が今同性と付き合ってるって噂のおかげで、もう本当に恋愛対象じゃなく、友だち枠の人間関係だけが残ったからさ。
逆に、ありがたいって思う。
けど、本当に世莉が俺のこと好きだったら、そんなきっかけみたいに思うのは失礼だし。
だから、適当に、とか、ちょうど手頃、とかそのくらいの気持ちでいてくれたほうがよかった。
「あ、翠伊、なんだ、道迷ったのかと思った」
「迷わないでしょ」
「いや、けど、この棟、女子多いじゃん?」
「あー、まぁ」
今日はこっちの棟に用事があって寄っただけ。もう春休みに入るけど、一つ、建築学科のいにしえなんて言われてる人から掲示される課題を確認しとこうと思って。このデジタル時代に、丸ごと全部がアナログ。オンラインで、課題の掲示だってみんなやってる時代に、所定の掲示板に張り紙するのでそこで確認するように、なんてことをする人で。
「だから、女子につかまってたかもって。リナちゃんもいるし」
「ないでしょ」
「翠伊は? 春休み」
「?」
「バイト増やす? ほら、付き合ってる人いるし、旅行とか?」
「あー……」
そっか。
「いや、んー、バイト短期やるかな」
「そっかぁ」
春休み。
大学生はあるけど、桜介さんはないよね。
遊ぶっていってもね。大沢とかはきっとグループで色々行くとかするから女の子いるだろうし。今までなら、彼女がいても、その彼女も含めてみんなで、とかしてたけど。
「あ、じゃあ、ここいいんじゃん?」
「……」
同じく張り紙で掲示してあった、短期アルバイトの募集。
多分、このいにしえ教授の知り合いとか、なのかも。個人建築士の人のところで春休みだけのバイト募集だって。
「んー……」
面倒くさいって言われてる教授の張り紙の隣りに貼られてることもあって、なんか、なんとなく、面倒くさそうだけど、とりあえず、写真に撮っておいた。きっと、スマホを持ってないいにしえ教授なら、これもちゃんとメモ取るんだろうけど。
「さぁ、春休みだぁ」
そう言って、大沢が開放感たっぷりに背伸びをした。
窓の外は綺麗は青空だった。日差しもたっぷりで、ついこの間まで、吐く息が真っ白になるくらいに寒かったのに。気がつけば、北風が吹きつけてた寒い冬から、季節は、春へと変わっていた。
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