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第53話 ちょっと、寄り道

 やっぱりいにしえ教授は……面倒くさい。  一番ああいう課題が難しいと思うんだ。  簡単そうに見えてさ。  春休みのポカポカ陽気の中、あれを課題に出す?  自分が住みたい戸建て、と言われましても。  もっとさ、狭い敷地でも、照度このくらいが確保できる戸建てを製図せよ、とかのほうがずっと楽じゃない?  けど、今、一番難しいのは、さ。 「……」  桜介さんへのホワイトデーのお返しだ。  多分、一般的にはネクタイ? 金額的にもお手頃でしょ?  けど、桜介さんスーツで仕事してるわけじゃないからさ。  それなら他、タオルとかハンカチ? とか? あ、あと財布とか?  でも面白くなくない? 平凡っていうかさ。それでも桜介さんはきっと喜んでくれそうだけど。でも、もっと俺だから、あの人だから喜ぶ、そういうのがいい。 「……あ、翠伊ピ」 「……」 「よく会いますな」  リナだ。 「今日は大沢くんは?」 「もう帰った。春休みだーって」 「あはは」 「……あのさ」 「?」  リナって、センスいいんだ。服とか髪型とか、オシャレだし、可愛いと思う。けど、周りとどこかいつも違って、個性があるっていうか。ブランド品とか好きじゃないタイプで、みんなが持ってるようなハイブランドものを一つも持ってなくて。財布、買ったんだって見せてくれたのも可愛かったっけ。 「リナの財布って、どこで買ったの?」 「お財布? 何突然。って、あぁ、あれね。ホワイトデー?」  勘の鋭いリナがニコッと笑って、カバンから……そうそう、その財布。真っ赤な財布を見せてくれた。 「路面店で、小さなとこなんだけど、すっごく可愛いのがいっぱいあるんだよ。えっとね、サイトが……通販もあるんだよね。ほら、ここ」  そして、その財布を買った店の地図を見せてくれた。 「……ここ」  へぇ、すごい。ポツンと、一階建ての小さなそこは箱庭みたいになってた。看板がなかったら、英国風ガーデニングが好きな人のうち、って思ってスルーしてると思う。出窓のところにまるで玩具箱みたいに、小さな置物が並べられていて、眺めてるだけでも楽しそうだった。  ――品揃えのセンスがすっごくいいよー。値段もそんなに高くないし。前はレディースもメンズもカジュアルって感じのが多かったんだけど、最近、スーツ系も揃ってきてるから、ネクタイとか、見つかるかもよ? 水曜日が定休日だから気をつけてね。今日行ってみなよ。  別に桜介さんへのホワイトデーのプレゼント、とか言ってないのに、もうその前提で話してたっけ。  この時期だと花は咲いてないけど、もう少し経って、春めいてきたら、花がたくさん咲いてそうな庭を通って、店の扉を開けた。  カランコロンって、乾いた鈴が来客を知らせて。 「いらっしゃいませ」  店内には若い男性社員? アルバイト? 俺とそんなに歳が変わらなそうな子がいた。  細くて、笑顔が、なんか、柔らかい感じの。  店の中は外観で思った規模感よりも随分と広く感じる。  あ、あれ、外から見えた出窓のとこ。  へぇ、中から見るとまた違って見える。  メンズ、レディース、で店内を二つに分けるんじゃなくて、アイテムごとに並べられてるんだ。男女で、別々に、じゃなくて、一緒に選べるようになってて。ほら、よく男女両方とも揃えてるお店でもエリアが分かれてて、買いたい物があっても一緒に選ぶのが大変だったりするじゃん。俺の方のを見てから、彼女の方のを見て、みたいに。だから一緒に並んで選べるようになってるのって、案外、デートの時とかに良いと思うんだ。  それで。  えっと。  ネクタイ、は……。 「何か、お探しですか?」 「……あー、えっと」  店員の子がにこりと微笑みながら、そっと声をかけてきてくれた。 「ちょっとホワイトデーのお返しを探してて」 「はい」 「あ、けど、女の子じゃなくて」 「はい」  彼は驚くことなく、一緒に考えてくれた。背、小さい。桜介さんよりも小柄だ。 「お仕事されてる方ですか?」 「あー、はい」 「お探しのものは、ネクタイ、とか」 「んー、けど、仕事、スーツ系じゃなくて」 「そうなんですね」 「小物って思ったんだけど、なんか、無難なのじゃなぁって。あ、いや、ここのお店のはすごいセンスいいと思うんで」 「ありがとうございます」  笑うと、華やかな印象のある人だった。あと、声が澄んでて、キレー。 「タオルとかハンカチもいいけどなぁって」 「はい」 「なんか……物をすごく大事にしてる人だから、財布とかあげても、今使ってるのどうすんの? ってなりそうっていうか」  食べる時も丁寧なあの人はきっとどんな物でも大事にしてそうで。寝る時はパジャマだし。だから、そんな人にあげて困らせなくて、喜んでもらえて、尚且つ、役に立てそうっていうか。 「あの、ここにはないかもしれないのですが」 「?」 「その方の好きなものを選ぶのがいいと思います」 「好きなもの?」 「はい。もう社会人の方って、必要なものは大体揃ってらっしゃると思うので」  そうなんだよね。 「だから、その方が好きなものを。その方が喜びそうなことをしてあげるとか」 「喜びそうな……」 「はい! 僕も、そうしてるので」  好きな、もの。  喜びそうな、もの。 「すみません。いいアドバイスにならなくて」 「ぁ……いや、全然」 「あの」  あるじゃん。 「すごい、助かった感じ、です」 「わ! 本当ですか?」 「あ、けど」 「よかったです。ここにはなさそうだったら、今度ぜひ、また、その方と一緒にご来店ください」 「はい。ありがとうございます」 「こちらこそです」  一つ、俺しかあげられなくて、あの人がすごく喜んでくれそうなの、あるじゃん。 「今度はお返しとかじゃなくて、一緒にここに来て、服とか選びます」 「! ぜひ。あ、よかったら、お店の名刺をどうぞ」  一つ、あるじゃん。 「またのお越しをお待ちしています」  そう言って、何も買わずに出ていく俺にも満面の笑みで見送ってくれた。その店員さんにニコッと笑うと、頬を少し染めて、ぺこりと頭を下げてくれた。  俺がまた鈴を鳴らして、店を出る、そのタイミングで、奥から低く落ち着いた声が聞こえてきた。  ――ごめん。ありがとう。  その声もとても柔らかくて、物腰がゆったりとしていて、多分、そっちの声の主人が店長で、あの子はアルバイトなんだろうなって。落ち着いていて、居心地の良い場所だった。 「えっと……アルコ、イリス……」  ちょっと変わった名前のお店。  今度は、桜介さんと何かお揃いの物を買いにここへ、アルコイリスに、来ようと思った。

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