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第62話 ふわりと軽く、まず一歩

 春休み、かぁ。  どうしようか。  昼間、暇だよな。  居酒屋だから夕方の仕込みとか手伝う? けど、他にも大学バイトメンバーいるだろうしなぁ。調理師免許取りたいって言ってた奴いたっけ。きっと、春休みの間シフト増やしてもらって、勉強したいかもしれないし。  他に、バイト――。 「あの、僕も今日はもう回復したよ? だから、一緒に」  考え事をしながら洗濯物を干してた。 「大丈夫、すぐ済むよ」  翌朝、二人で少し遅めの朝食をとって、そのまま部屋でのんびり過ごしてた。夜はこの前、バイト先で教わった親子丼に挑戦することにして。 「桜介さんは座ってて」  平気って言ってるけど、仕事六連勤で、そのあと、寝たのも遅くてさ。って、寝かせなかったの俺だけど。だから、洗濯物も家事も全部、いいよ、俺がやるって言った。そもそも一人暮らしでいつも自分でやってることだし。  桜介さんは動きたそうにしてるけど、また、明日から、仕事で脚立登ったりするんでしょ? 重い荷物だって運んだりするんだろうから、ゆっくりしててよって、どうにかなだめた。  社会人は春休みなんてないんだから、週末、ちゃんと身体休めないとじゃん。 「あ、そうだ」 「は、はいっ! なんなりと!」 「この前、桜介さんがハマって見てたやつ、続きが配信されてたよ」 「え!」 「見てなよ」 「翠伊くんと一緒にがいい」 「オッケー、じゃあ、戻るまで待機」 「はい!」  まるで本物の真っ黒トイプードルみたいに元気に返事をして、ベッドの脇、二人でギリギリくらいの小さなテーブルとの間にちょこんと座ってる。  その様子が可愛くて、小さく笑いながら、東向きの大きい方のベランダに降り注ぐ、清々しい春の日差しに目を細めた。 「今日、天気いいね」 「うん」  あったかいから、部屋の窓を明けたまま。ベランダとリビングでおしゃべりしながら洗濯物干して。  なんか、いいよね。いつもならさ、一人で淡々と干すんだ。別に面白い家事じゃないし、なんなら冬とか苦行? ってくらいに寒いから、乾燥機で済ませちゃうし。けど、今日は特別春の陽気でポカポカしてたから、外に干したいなって。  退屈な家事が、もう一人いるだけで、ちょっと楽しくなる。  話しながら、日向ぼっこしながらの洗濯物干しはちょっと、楽しい。 「…………翠伊くんはもう春休み?」 「うん」  会社に春休みなんてないもんね。あるとしたらゴールデンウイーク?  「だから、バイトでもしようかなって」 「居酒屋さんの?」 「違くて」  あ、これ、ランジェリー。  基本洗濯物は外に見えないように低い洗濯物干しに干してる。もちろん、このランジェリーも。 「大学でさ、設計の、教授がバイト? アトリエ事務所の手伝い募集してるって貼り紙出してて」 「アトリエ……」 「そう、俺、ゆくゆくは一級取りたいからさ。実務経験ないと取れないから、そういうのにもいい参考になるかなって。意匠建築に進めたらって思うんだけどさ……」 「意……」  アトリエとかで、自分の造形美を追求するみたいな感じがやれたら最高だよね。多分、建築家を目指してる人なら誰でも、いいなって思うと思うんだ。  自分のアトリエ持って、大規模なプロジェクトに携わってさ。自分のデザインした建築物が、自分がいなくなった後もそこに残り続ける、みたいな。建築家の夢でしょ。 「まぁ、めちゃくちゃ厳しい道のりだから、そのうち、ね。とりあえず二級取ってからかな。二級でも十分」 「……」 「で、そこの教授が斡旋? してるバイトやってみようかなぁって」  貼り紙自体は写真に撮っておいたんだ。気が向いたら、って感じ。  やれたら身になるんだろうけど。  みんな考えてること一緒でしょ。一級建築士、しかもアトリエ、そんなところのアシスタント募集は誰でもやりたいって思うだろうし。  けど、ちょっと遠いんだよね。片道二時間ってさ、結構な距離じゃない? あと、時給めちゃくちゃ低いし。倍率も高いだろうし。 「いいと思う!」 「!」 「あの! そのアルバイト、絶対にいいと思う!」  俺のことなのに。 「あ、いや、でも、役に立てるかわかんないし、そもそも希望者殺到してるかもしれないし。遠いし」 「大丈夫! 殺到してても、翠伊くんならきっと採用される! 僕が人事の人なら絶対に採用してるから。在庫管理だけど、仕事は」  応募するべきだって、強くはっきりと言ってくれた。 「僕は建築のことちっとも詳しくないけど、翠伊くんならきっとできるから!」  いや、本当に難しいんだ。そもそもすぐになれるものでもないし。一級建築士なんて。覚えなくといけないこともたくさんあって、学科試験の合格率とか知っちゃうと、まぁ、そのうちだよねって、感じになる。 「応援してます!」  なる、けど。 「……電話、してみるよ」 「! うんっ」  でも、貴方が応援してくれるなら。とりあえずの一歩を踏み出す足が軽くなる気がした。 「ありがと」 「? 僕は、全然何も」  ふわりと、軽くなった。  変わるのって、パワーがいる。 「……よし」  けど、あの人はいつも頑張ってて、いつも自分を変えて行こうとしてて、じっとしてないっていうか、一歩を踏み出すことのできる人で。えー、とか、でも、とか、だって、とか言わない。  ――どんな勉強を。  ――んー、建築。 「電話、番号……」  ――すごい。  だから俺も、一歩、踏み出せる人にさ。 「……あ、もしもし、あの、貼り紙を見て、応募を」  なりたいって思った。

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