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第70話 いい湯だな

「はーい、桜介さん、目、瞑って」 「翠伊くん」 「目、シャンプー入っちゃうよ」 「翠伊くん」  さっき、五分前くらいに呼んでくれた甘い声じゃなくて、少し怒った感じの声色。 「はい。桜介さん」  そんな大きな瞳をガンガンに見開かれてもさ。ねぇ、どうしてですか? って、問い詰めるみたいに、抗議の眼差しを向けられてもさ。  だって、仕方ないじゃん。 「なんでっ、服」 「勃つもん」 「ふぐぐぐぐ」  そんな不服そうにされましても。 「仕方ないでしょ。桜介さん見えてないけど、頭にマジで嘘みたいにでかいたんこぶあるんだよ? 足だって、今日はあんまり温めないようにって言われてるし、めちゃくちゃ腫れてるし、固定してあるでしょ。動かしちゃダメって言われたじゃん」 「ふぐぐぐぐぐぐ」  逆に、ただドアノブに釣り上げられただけで、どうしてそんな重症の捻挫になるのか、そっちの方が謎なんだけど。  どうしてお風呂場で俺が服を着ているのか、それは貴方を襲っちゃうからです、今、襲ってはダメなので、足動かしたらダメだし、動かしたら痛いでしょ? さっき、片足ついただけで、痛い! って顔してたでしょ? 頭だって揺らせないんだから、セックスはできませんって淡々伝えると、言い返せなくて悔しそうにしてる。  俺は服を着たまま、本当にこの人の頭を洗ったりするためにだけ、風呂に一緒に入ってる。 「はーい、いきまーす」 「! っ」  目と口が連動してるらしく、一緒にぎゅっと閉じたのが可愛くて、笑いながら、桜介さんの髪を濡らしてく。  ふわふわな髪は濡れた瞬間、とろりとして指に絡みつくように柔らかくなった。 「桜介さんの髪ってさ、気持ちいいよね」 「?」  怪訝な顔。けど、まだ目を開けられないから、ぎゅっと、口も目も閉じてる。 「そのままにしてて」  桜介さんは椅子に腰かけて、天井を見るような格好。俺はその後ろに立って、膝上までルームパンツを捲り上げて、シャワーでこの人の髪を洗ってる。 「この辺は今日はお湯で流すだけね」  マジで大きなタンコブできてるからさ。ちょっとお湯をかけるだけでも、そのシャワーの水圧が当たるくらいでも痛そうなんだ。だからそっと、髪を濡らす程度にした。  シャンプーをすると、濡れて柔らかくなった髪がもっと柔らかく、泡だっていく。  それを流して、少し指通りがキツくなった髪にコンディショナーを満遍なく付けてから、またお湯で流す。 「はい。オッケー」 「はふ……」  またちょっと変わった返事をして、桜介さんが目を開けた。  真っ黒な瞳が濡れて、睫毛も濡れて、お湯に温まったのか、頬は蒸気して色づいてた。 「あとは身体洗って」 「僕……」 「?」 「自分の髪の毛、好きじゃなかった」  見つめられると、吸い込まれそうなんだ。真っ黒な瞳はいつだって真っ直ぐ俺を見つめてる。 「サラサラなスレートヘアにずっと憧れてて」 「そう? けど」 「うん。僕、今は自分の髪、好きだよ」  可愛いよね。なんなんだろう、この人。 「翠伊くんが気持ちいいって、ふわふわで、トイプードルみたいって言ってくれてから、僕は自分の髪が好きになった」 「……」 「ふふ」  あぁ、もぉ。 「ン……」  しちゃダメなのに。 「翠伊くん?」  今日はセックスできないのに。 「俺も、風呂、一緒に入ろっかな」 「! う、うんっ、そうしようよ。僕が髪を洗ってあげる。人に洗ってもらうの気持ちいいよね」  無邪気な小悪魔が嬉しそうに顔を綻ばせるから、俺のなけなしの理性はあっという間に溶けて、流れて、どっかに行っちゃったじゃん。 「あ、翠伊くんっ。これじゃ、僕、翠伊くんの髪、洗えないっ」 「でも俺も、桜介さんの身体、洗わないと」 「や、ぁ……」  泡だらけの指先で乳首を摘むと、半端じゃないくらい可愛い悲鳴がバスルームに響いた。 「あっ、ン」  タイルの上に二人で座り込んで。  桜介さんは両手を伸ばして、俺の頭を洗ってくれてる。俺は桜介さんの身体をスポンジで洗ってあげてる。手が滑るから、片手で桜介さんの身体を支えるように掴んでさ。その指が乳首を掠める度に感じてくれるのがたまらなくて。  何してんだろうね、俺たち。  時短、に全然なってないけど。二人でじゃれ合うように入るお風呂は楽しくて、気持ちよくて。 「あ、翠伊くん、流すよ?」 「うん。お願いします」 「目、に、入らないように……」  あ、その顔、可愛い。真剣な顔をして、俺の頭に手をいっぱいに伸ばしてくれる。 「ちゃ、ちゃんと目を瞑らないと、シャンプー目に入っちゃうよ」 「はーい」  あーあ、可愛い顔が見れなくなっちゃった。 「目、閉じててね」 「うん」 「ン、ひゃっ……あと、乳首触っちゃダメ」  邪魔しないでと、ちょっと怒った口調なのが可愛くて、つい、口元を緩ませながら、じっと洗ってくれるままになってる。 「はい。目開けていいよ」 「……」  素直に目を開けると、すぐそこに桜介さんがいて、俺をじっと見つめてた。 「桜介さん?」 「……かっこいい」  まるで、引き寄せられるみたい。 「……」  桜介さんが首を傾げて、目を閉じて。  キス、してくれた。 「水も滴る……ってことわざ、本当だね」 「……」 「ドキドキするくらいかっこよくて、思わず、キスしちゃった」  あぁ、もぉ。 「あ、翠伊くんっ」  セックスできないのに。ほら。 「桜介さんの手はこっち」 「っ」 「俺は桜介さんの」 「あっ、あっ、やぁっ」  したくてしたくて。 「早く、たんこぶ、治してね。桜介さん」  俺たちはセックスの代わりに、お風呂場で長い時間しばらく戯れあってた。

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