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第71話 なんかいいなぁって
「そろそろ寝よっか」
「あ、うん」
自分の部屋に入れないから着替えもなくて、だから、俺のルームウエアで、下着は、なし。替えの下着ももちろんないし、買いに行くのもコンビニ遠いから。
「遅くなっちゃったね」
スマホの画面をタップして時間を見るともう日付が変わりそうだった。
「う、ううんっ、全然僕がっ、その」
貴方に誘われてホイホイ捕まえられちゃった。意思が弱いよね。欲しいそうにされると、たまらなくて、我慢できなくなるなんて。
明日のためにって買ってきたおやつだけど、今食べたくて買ってきたから、少しならって言われると、明日食べるから大丈夫って断ることのできない子どもみたいだ。
明日になればたくさん食べられるのに。
治れば、たくさんできるのに。
食べたくて、我慢が効かない子ども。
無理はさせたくない。でも、触りたい。
どっちも欲しがる子ども。
せめて、この人の熱だけ宥めてあげるくらいにしておけたらいいのに。きっと余裕のある大人ならそれができるんだと思う。
けど、俺も食べたくて、口にしたくて、一緒に食べ始めちゃうんだ。
結局そのせいでもう日付が変わっちゃう頃まで――。
「嬉しい……から」
ほら、そうやってまた甘やかされて。
「明日の朝、何時に家出る感じ? それまでには洗濯物乾いてると思うから」
鍵ないのって、相当不便だなって思った。
とりあえず着てた服は乾燥機にかけてるから明日の朝には間に合うと思うけど、一つ一つ、何か進めようとする度に「あ」って止まる。お風呂入るのはうちでもできるけど、あ、着替えがない。寝る準備をしておこうってしたけれど、あ、歯ブラシがない。
「あ、と、いつも朝は……ぁ」
「? どうかした?」
「稲田から連絡来てた。車で迎えに来てくれるって。捻挫の足があるからって。稲田は車通勤なんだ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、よかった」
俺も、桜介さんも車を持ってなくてさ。
いいなぁ。車、かぁ。全然、今、そんなものを買う財力も、もちろん維持費も捻出できそうにないから、ずっと先の話だけど。
「いつかさ……」
「?」
お泊まりなら何度かしたことがある。ベッドは小さいけど、抱き合って眠るから特に不自由だと思ったことはない。
「車、買ったら、ドライブデートもしたいね」
「! う、うんっ」
「俺もドライブはしたことないんだ」
「!」
それなら尚更、しなくちゃだ! って顔をしたから、思わず笑った。
桜介さんは俺の「初めて」をもらえるととても嬉しそうにするから。きっとまた一つ見つけた俺の「初めて」がすごく嬉しかったんだと思う。
「ペーパーだけどね」
貴方が嬉しそうだと俺も嬉しくて。二人で狭いベッドの中に潜り込んでからも、しばらく、そのいつかしたいドライブデートの行き先の討論会が止まらなかった。
海岸線をドライブするのも楽しそうだよね。海鮮とかも美味しいし。
でも、山の中をドライブするのも空気が美味しそうだからいいよね。
どっちだろう?
桜介さんは魚介類苦手なのはないんだって。俺も海鮮好きだし。でも、山の中も捨てがたいよね。
なんて話を部屋を暗くしてからもしばらく続けてた。
おやすみなさいって言うのも忘れて、ずっと、海か山かっておしゃべりしてたら、いつの間にか二人とも眠ってた。俺の方が寝落ちたの早かったかな。
「! うわっ、桜介さんっ、朝!」
「んー……」
「桜介さんってば! 朝、稲田さんが迎えに来るんでしょ?」
目が覚めた瞬間、なんとなく寝過ぎてる感じがして、すぐに枕元のスマホを手に取った。時刻は昨日、桜介さんが言っていた、稲田さんがここへ迎えにくる時間の三十分前。
「桜介さんっ」
「……は、はひっ、って、イタタタタタ……」
「ちょ、大丈夫?」
突然起き上がると、あのたんこぶに響いたみたいで、片手で頭の、ちょうどたんこぶの辺りを押さえて、眉間にぎゅっと皺を寄せた。
「だ、大丈夫」
とりあえず、俺はベッドから飛び起りて、洗濯機へと向かう。蓋を開ければ、まだ熱の余韻が残ってる中にほかほかに乾いてる桜介さんの服が入ってた。
「桜介さん、これ、着替え」
「わ、ありがと」
「自分で着替えられる? 俺、朝飯作るよ」
「え、悪いよ。稲田に頼んで、どこかコンビニ寄ってもらうから」
「へーき。米炊いておいたし、お味噌汁はインスタントでいい? あと目玉焼きとか? は、作る時間ないか。納豆で」
振り返ると、桜介さんが裸で、ちょっとキスマとか昨日はつけなかったけど、一昨日のがまだ残ってて、ドキッとし――。
「てる場合じゃなくてっ、はい、桜介さん」
「はひっ…………はひ!」
急かされて、ベッドの中で小さく飛び上がってから、手渡した服を慌てて着替えてく。けど、頭を通すところだけは慎重に慎重に、そっと、そーっと。
俺はその間に桜介さんの朝飯をテーブルに並べてく。もちろん俺の分も。
「ごめっ、ありがとうっ」
で、二人で慌てて食べ終わって、身支度整えて。
「わ、すごい。三十分」
「本当だ。って、ここ、ちょい寝癖」
「ありゃ」
三十分で朝飯も食べて準備できるってけっこうすごくない? いい感じに連携取れた感じ? 階段を慎重に降りながら、空いてる方の手でその寝癖を手櫛で整える。
「すご、癖っ毛だから」
全然跳ねたまんまの意固地な寝癖にちょっと笑うと、桜介さんの照れ臭そうに笑った。
その顔が可愛くて。
「……」
胸のとこがキュッて、した。
「気をつけてね」
「うん。あの、何から何までありがとう」
「全然」
なんかいいな、って思った。お泊まりもすごい好き。ふと目覚めて桜介さんの寝顔があって、可愛くて、しばらくじっと見つめてから引き寄せて触れて。そうしてると目を覚ましてくれる桜介さんに俺も触ってもらってさ。そんなゆっくりと甘い朝もいいけど。
こんなふうに慌ただしくて、バタバタしてて、日常って感じの朝を一緒に過ごすのも。
なんかスゴクいいなって思った。
「じゃあ、気をつけて」
「うんっ」
「稲田さん、おはようございます」
「おー」
そして、稲田さんの車で仕事に向かうあの人を見送った。
なんか、いいなって。
「……ぁ、行ってらっしゃいのキス、し忘れた」
こういう朝、いいなって思ったんだ。
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