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第81話 ザ・ドラマチック

 桜介さんの誕生日、来年だけじゃなく、もっとずっと、ずっと先のあの人の誕生日も俺が祝いたいって思ったんだ。  そんなことを思ったのは初めてだった。  例えば、十年後の四月の四日も、あの人にちらし寿司を作ってさ。  けっこう、マジで。  断言できるかもしれない。  十年後も、もっとその先も、俺はあの人のことが好きって。  けど。  まだ、ね。  まだ昨日の誕生日では言わなかった。さすがにね。言わないでしょ。まだ付き合って一ヶ月とちょっとくらいだよ? それでずっと一緒にいたいとかさ。初めての交際に舞い上がってテンションおかしくなった中学生じゃないんだからさ。  だからもう少ししたら、かな。  それも向こうは社会人で、こっちは学生だしさ。収入全然違うから、ちょっとね。先に仕事就いてからでしょ。ちゃんと社会人になってからかなぁって。 「……くん、酒井くん?」 「は、はいっ!」  めちゃくちゃ考え事してて、話を聞いてなかった。パッと顔を上げると、伊倉さんがそんな俺に驚いた顔をした。 「すみませんっ、あの」 「いや、今日の打ち合わせ、夕方からの、あぁ、もうそろそろだね」  伊倉さんが、アトリエに入ってすぐ、右手の壁のところにかけられた時計に視線を向けた。そこに時計があれば、伊倉さんは打ち合わせでも、設計の仕事をしている時でも時計で時間が確認できる。でも、打ち合わせでいらっしゃったお客さんとか、職人さんには時刻を気にすることなく打ち合わせに集中できて、伊倉さんが休憩にとコーヒーを淹れてる時も背を向けるから、時間を気にせず、ゆっくり落ち着けるようになってる。そんな時計を見て、腕時計でも確認してる。 「打ち合わせ、酒井くんもよかったら見学するといいよ」  今日は午後から打ち合わせが入ってた。なんとなく伊倉さんが今日の打ち合わせを楽しみにしてそうな感じがしてた。朝から時計をよく見てるし、資料も念入りに何度も目を通してたから。  今度手がける建築が木材を活用したいとかで、職人さんとの打ち合わせ。 「すごく若いんだけど、もしかしたら酒井くんと十も離れてないかもしれない。でも、すごくしっかりした人でね。意欲的で、僕の方が刺激をもらうくらいだから。もしも、酒井くんが建築士になった時には、付き合いがあるといいと思うよ」 「! は、はいっ」  すごく元気に返事をすると、また少し眉をあげて驚いたような顔をして、元気だねって笑ってた。  建築士は職人とも打ち合わせをよくやる。施工を頼む側としては、いい職人さんとのコネクションは大事にしておかないといけない。特に、丁寧に、そしてオリジナリティのある建築をする一級建築士にはすごく大事な仕事仲間だ。 「そろそろだね」 「は、はいっ」  俺も慌てて、事前に用意したし、しっかり目も通しておいた資料を手に取った。  ――ビー。  ちょうどそのタイミングで呼び鈴がなった。駆け足で扉を開けると。 「こんにちは。お久しぶりで、て……あ、アシスタントさん?」  すご。本当に若い。俺よりは年上だってわかるけど、全然、本当に歳が近いと思う。短めに刈り上げた髪に日焼けした感じ。背は俺とほぼ同じくらい。 「久しぶり、原くん」 「あ、伊倉さん、お久しぶりです。アシスタント雇ったんですか?」 「あ、いや、今、大学生は春休みだから。インターンじゃないけど、将来の建築士育成に貢献をしようと思ってね」 「なるほどです」  林業の、職人って言ってた。今、本当に林業は危機的状況で、冗談じゃなく、不足している林業。きつくて、危険も伴う割に、賃金で言ったら決して高くない。けれど、とても大事な仕事で、この林業者不足のせいでも森や山そのものが危ない状況になってるって教えてもらった。 「よろしく、えっと」 「あ、酒井です」 「酒井くん」  なんか、思ってたのと違う人だった。職人って言ってたから、ほら、昔気質みたいな、そんなイメージを持ってたけど。 「あ、中へどうぞ」 「ありがとう」  もっと洗練されてて、日焼けはしてるけど爽やかで、スポーツ選手って感じ。今っぽくて、全然、かっこいい人だった。 「じゃあ、またお願いできるかな」 「もちろんです。こちらこそ、伊倉さんとまた仕事できるのは嬉しいんで」  打ち合わせには勉強のために毎回参加させてもらってる。けど、今日はすごかった。ぽんぽん出てくるアイデアと知識の量にメモを取るだけなのにヘトヘトになった。 「酒井くん、遅くまでご苦労様。時間。大丈夫かな」 「ぇ、あ! はいっ」  時計を見ると七時を過ぎてた。ちょっと大丈夫だけど、ちょっと大丈夫じゃないかも。これから急いで帰っても九時は多分すぎるでしょ。桜介さんも今日は残業だろうけど、だからこそ早めに帰って夕飯作ってあげたかった。昨日も、負担かけちゃったし。 「あ、じゃあ、俺が送りますよ」 「お願いしてもいいかな。僕はまだもう少しアトリエで片付けたいことがあって」 「全然、構いませんよー」  でも、あの、そんなふうに戸惑っていると、原さんが太陽みたいに笑って、大丈夫だよって身支度をあっという間に終えて、車のキーを手に持っていた。 「じゃあ、行こうか」 「あ、はい」  伊倉さんがニコッと笑って送り出してくれる。テキパキと無駄なく動く二人の間で俺はとりあえずぺこぺこと頭を下げていた。 「けっこう遠くから通ってるんだ」 「あ、はい。春休みだけなんで」 「二時間かぁ、大変だ」  その二時間を車で行かせてしまうのが申し訳ないって謝ると、あははって、元気に笑ってる。 「なんか、すごいですね」 「?」 「伊倉さんも、原さんも、一人でちゃんとなんか仕事してて」  アトリエを持ってるのはもちろんすごいけど、今、とても貧弱化してる林業に俺と幾つも違わないだろうこの人は一人挑んでる。打ち合わせを聞いてて、驚くことばっかだった。しっかりした考え方も、その凛とした姿勢も、自立していて、本当にかっこよかった。 「あはは、俺は全然、まだまだだよ。酒井くんは学生なんだし、これからでしょ」 「……はい。ありがとうございます」 「この辺り、かな」 「あ、はい……すみません。あそこのマンションなんで」 「おー、あそこね」  あっという間だった。知らなかったけど、車だと電車よりも三十分以上短い時間で辿り着けるんだ。林業のこれからとか、建築士の伊倉さんがどれだけすごいかとか、そんな話しをしてたら、もうマンションに到着してた。 「はーい、お疲れ様」 「あの、本当にすみません。めちゃくちゃ助かりました」 「どういたしましてー」  車を降りて、ぺこりと頭を下げると、また爽やかに太陽みたいに笑ってる。 「それじゃあ、」 「翠伊くん?」  お疲れ様でした。そう言って、原さんの車を見送ろうとしたところだった。 「あ……」  桜介さんだ。ちょうど帰ってきたんだ。お帰りなさい、そう言おうとしたところだった。 「……林、田?」 「…………ぇ……え、あ、原、くん?」  桜介さんは俺におかえりなさいと微笑んだ後、俺をここまで送ってくれた車の運転手へお辞儀をした。  原さんは送ってあげた俺を呼ぶ誰かへ視線を向けて、目を丸くした。 「え」  そして、二人がとても驚いた顔をしながら、互いを見つめあってた。

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