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第89話 内心ヒヤヒヤだ
―― 桜介さんのこと、諦めてください。
そう言ったら、原さん、めちゃくちゃびっくりした顔してた。
俺は、自分の、あんなにはっきりと拒否って感じのことを言ったことにあんま驚かなかった。
生まれて初めてだったけど。どんなことに対してでも、あんな明確に「イヤだ」って言ったことなかったけど。
原さんに、どうぞって余裕もって言った方がカッコよかったかもしれないけど。
どんなに中学生の時に桜介さんが原さんのことをすっごい好き、だったとしても。俺との関係にはなんも影響ないから気にしないとは言えなかった。
桜介さんの俺への気持ちを信じてるって、どーんと構えてるほうがカッコいいと思うよ。
ダメ、なんて言ったのは、かっこ悪いけど。
それでも、ヤなものは、ヤだから。
「疲れたね、翠伊くん」
そのくらい俺はこの人のこと好きなんだ。
「お土産にもらったこれ、すごいね」
ただの丸太のスライスだけど。鍋敷きにするといいよって、今日の記念にもらったんだ。いつも小学生とか林業体験の時は、体験の締めくくりに、名前を彫るらしい。今日は大人だけだから名前は彫らなかった。だから本当にただの丸太のスライス。
でも、桜介さんは俺のと自分のを重ねて、にっこりと笑ってる。同じ形って呟いて。そりゃ、同じ形でしょ。同じ木からカットしたんだから。俺と、桜介さん、稲田さん、原さんの四人で引っ張って倒した木の端の部分をもらったんだ。
「ふふ」
それを重ねて、満足そうに笑ってる。
もうお風呂も入り終わった。夕飯は帰り際に稲田さんと一緒にラーメン屋で済ませたんだ。原さんは、自ら辞退してた。明日は地域の子どもたちが体験で大勢来るらしくて、その準備があるからって言ってたけど。
稲田さんは明日、筋肉痛になりそうって言ってたっけ。意外だったのは桜介さんかな。けっこうへっちゃらな顔しててさ。
日頃から、倉庫で荷物持ち運ぶのを仕事でしてるからねって、自慢してて可愛かった。
俺は……どうかな。筋肉痛になるかなぁ。うーん、なんて考えながらリビングで少しゆっくりしてる。
「鍋敷き……」
この人、わかってんのかな。多分、ちっとも気がついてないだろうな。原さんが自分に片想いをしてくれてたことも、その片想いを今だに引きずってることも。
「翠伊くんっ」
そして、好きだって言おうとしてることも。
「今日の夕飯、お鍋にしようかっ。一回でいいから使いたいっ」
「鍋にするの?」
「ダメ?」
次の冬にしたらいいと思うよ。もう今日とか汗だくになるくらいに暑かったし、鍋っていうか、逆に冷たいもの食べたいくらいなんだけど。
「いいよ、鍋にしよっか」
「わっ! やった!」
わかってないんだろうなぁ。
多分さ、俺が「イヤだ、ダメ」って言ったって、あの人、言うと思うんだ。俺のNOに驚いた顔はしてたけど、じゃあ仕方ないって諦めた時の寂しそうな顔はしてなかったから。
原さんの連絡先を桜介さんはもらったけど、桜介さんのは教えてない。
けど、同級生なんだから、どこからか繋がるでしょ。
きっと連絡が来る。
ねぇ、桜介さん。
きっと、言われるよ?
ずっと好きだったって。
ねぇ、ねぇ、そしたらさ。
「桜介さん」
「? っ…………びっくり、した」
ちゃんと断ってよ? そんな俺の考えてることを少しも知らないまま、名前を呼ばれて素直に振り返ったところでキスされて、ふふふ、って、へへへ、って、平和に笑ってる。
俺の胸の内のざわつきも気がつかずに。
桜介さんのことを知らなかったら、俺はきっと原さんにも憧れてた。一人で、瀕死の林業界を盛り立てていこうってしてるかっこよさに。そんな人のことをやっぱりかっこいいって選んだりしないでよ?
「翠伊くん?」
「……なんか、桜介さん、テンション高くない?」
なんか嬉しそうですけど。
「ひへ? そう?」
「うん」
ほら、面白い返事してる。大体こういう時はテンション高いから。
「楽しかった?」
「うん。楽しかったよ?」
「……そっか」
あの人が告って来ても、俺を選んでくれますように。
「僕ね、翠伊くん」
「?」
「また、こういうのあったら参加したい、です」
「林業?」
「あ、ううんっ、そういうのじゃなくてっ、その…………? あの、楽しかったのは、翠伊くんとだったから、だよ? あと、疲れた、でしょ? その……」
そっと、桜介さんが俺の足に手を置いた。
「マッサージしようか? 足」
そう言って、ふくらはぎのところを揉んでくれる。
「桜介さんだって疲れたでしょ?」
「僕は平気、仕事で慣れてるよ」
「ほんと? ここ、ダルくない?」
「大丈夫。じゃなくて、翠伊くんの、マッサージ。明日、アルバイトなんだから……気持ちいい?」
いつ、あの人が告るかわからないけど。
「ありがと、桜介さん」
「ぁ」
「交代、今度は俺が」
「あ、じゃあ、あの……じゃあ、僕」
原さんが好きって言って来ても、俺を選んでくれますように。
「僕、は、マッサージ……は」
こんな可愛い桜介さんは、俺以外の誰も見ないままになりますように。
そう、必死に心の中で願ってた。
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