106 / 117

浴衣の君と編 1 日々邁進

 夏が来た!  けど――。 「あ、お疲れ様です! 追加図面、今からお届けに行きますんでっ、はい……はいっ、よろしくお願いします!」  俺は伊倉さんのところで日々、こき使われております。  日差しがビーム光線のように暑い灼熱の中を。  もう、本当に、こき使われまくってます。建築士って高給取りで、なんだかデザイナーのような仕事に、憧れてる人が多いみたいだけど、実際のところ、高級取りな分、色々大変なんだよ、と伊倉さんが優しく微笑んでさ。  その建築士の実情っていうやつを俺に教えてくれてる貴重な夏休みを、ただいま、満喫しています。  ――じゃあ、これ届けてもらえるかな。  そう軽やかに、まるでお隣のお家に回覧板届けてもらえるかな? みたいなノリで言われて、今、汗だくになって走ってます。 「……はぁぁ……」  駆け込み乗車、しちゃったじゃん。  桜介さんがいたら怒られそー。  ちょっと口をへの字にしてさ、駆け込み乗車はダメって、ほら、言ってます、とか言いながら顰めっ面をしてみたりして。そんで、ちょうど流れてきた車内アナウンスの「駆け込み乗車は……」を指差したりして。 「はぁ」  まぁ、怒った顔も可愛いんだけど。  なんて、惚気たことを考えながら、電車の車内の冷風に一つ深呼吸をして、天井を見上げた。  交際は、順調。  お隣さんの桜介さんとは毎日のように会って、一緒に飯食って、イチャイチャしてる。  長く続いてるなぁって、自分でも思う。大学の友達で最近、夏だからって言って、忙しそうにしてる大沢にも同じことを言われたくらい、交際は順調。  夏だから、を呪文のように唱えながら、飲み会、海水浴、飲み会、海水浴を繰り返してる大沢を見ると、俺も、今までならああしてたのかなぁなんて考えたり。  落ち着きないし、もう少し有意義に貴重な夏休みを勉学と、自己の成長のために使いなさい、と思ってみたり。  俺は飲み会も、海水浴も、今はなんかどうでもよくて。  夏休みがたったの三日しかない桜介さんをフォローできる男になりたくて、日々、勉学と自己の成長のために使ってる。  今、伊倉さんは地方の旅館再建のデザインを任されてる。  すごいよね。もうほぼ完成してるんだけど、古くを新しく、をテーマにしてるらしくてさ。  古い旅館を新しくリニューアルするんじゃなくて、古き良きを大事に。だそうで。飾りたい隙間障子があるんだって。  その隙間障子を作れる職人さんが、伊倉さんの激推しらしく。  んで、そのための追加図面を激推し職人さんに届けるのが今日の午後の俺に課せられたミッション。  その職人さんに図面を届けて、逆に職人さんから要望がないか確認する。  いわゆる伝書鳩です。  すっごい職人さんなんだって。ただ、インターネット不使用。全てアナログのみ。流石に連絡のやりとりはメールはなし。さすがに手紙はないけど。でも、スマホも持ってるだけで、ほぼ電話出てくれないって。  どんだけぇ、だよ。  ようやく猛烈な暑さの中、裸足で歩いたら足の裏が大火傷しそうなアスファルトを駆け抜けた汗が電車内の空調に落ち着いてきた頃だった。 「はぁ、暑いっすねぇ」 「あぁ」  二人のリーマンがハンカチで汗を拭きながら入ってきた。  営業、の人、かな。 「明日から、また出張っす」 「だな」 「まさか、夏季休暇で行ったとこに出張で行くなんてなぁ」 「あはは」  夏季休暇、そっか、ですよね。 「すっごい激混みだったんですよ」 「だろうな」  桜介さんの会社はちょっと働き者が多いみたいで夏休みが三日しかなかった。この前テレビで最大九連休になるって言ってたけど、そんなところの三分の一しか休みがなかった。  で、その三日間の休み前は色々入荷があったみたいで、ヘトヘトで。ノー残業デーも全然、イエス残業デーで。夏季休暇で会社が指定した休みなのに、その三日を休むためだけに三日以上を費やすことになった。 「二時間くらいで行ける海水浴場まで五時間ですよ? 海岸線だから脇道とかないし」  二時間のところが五時間、それは……大変です。御愁傷様です。 「んで、ようやく辿り着いたって、海の中は人がわんさかいて泳ぐとか言ってられないし。ビーチボールがうざったいくらいに飛んでくるし。半日どころか数時間海入っただけで背中丸焦げになるし」  ……なんか。なんというか。 「あはは、ドンマイだな」  そうそう、マジでそんな感じ。ドンマイ。  多分先輩なんだろうリーマンに軽く返事をされて、はぁって重たい溜め息を吐くと、電車の手すりにまるでぶら下がるように脱力してる。  そっか。  まぁ、そうだよね。  大体の会社がほとんどそこで最大九連休もの休みを取るのなら、そこでみーんな旅行に出かけるわけで。だから片道二時間が五時間になるし、ビーチボールは海岸で行き交うわけだ。だから、桜介さんもさ。  ――どこも混んでるし、ちょうどよかったよ。最近、部屋の掃除もあまりちゃんとできてなかったから。  そう言って、三日間、のんびりしてたし。  疲れるでしょ。毎日残業だったし、毎週土曜日出勤だったし。 「でも、どんだけ混んでても楽しかったっす」  そう言って、脱力しながら吊り革にぶら下がってたサラリーマンが、シャキッと背筋を伸ばした。 「渋滞半端なかったし。海水浴場も芋洗い状態でしたけど。  そんなことを言って。 「けど、やっぱ楽しかったっすよ」  車内に差し込む強烈な日差しみたいに明るく燦々と笑ってた。

ともだちにシェアしよう!