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浴衣の君と編 3 世界は便利になっている

 ほんと、最近の暑さはやばいよね。  そのうち秋だけじゃなくて冬もなくなるんじゃない? って思うんだけど。  そんな暑さだから、建築の設計をする上でも色々数年前とは違ってるところがあるらしい。ほら、基本的に南向きの部屋って好まれるでしょ? けど、最近は真夏に南向きの部屋ってかなり日差しがきついから、ちょっと工夫が必要だったりして。  二重窓構造を希望するところが増えたりとか。  日々、建築業界も変化してるわけで。 「あのー、すいませーん」  もちろん、建築だけじゃなくて。  車は自動運転になるし、ネットで買い物が普通だし、スマホが財布になる時代。 「あのー」  そんな中、この職人さんの自宅兼作業場は時間が止まってるみたいだ。  車も古い軽トラだし、買い物は……ネットかどうか知らないけど、スマホに電話をかけてもほとんど出てもらえない。  ――スマホ嫌いな方なんだ。  そう伊倉さんは言ってたけど、いやいや、それでも持ってるなら活用しないとでしょ。 「すいませーん」  そして、呼んでも出てきてくれないし。チャイムも壊れてるし。こうして玄関先で呼んでも出ないなら、何か改良をですね、していただけると効率的っていうか。そうそう、効率的なんです。どんなものもより効率良くなるように、便利になるように変化し続けてる。  その中で、欄間障子が俺的には……なんというか。  いらない、とまでは言わないけど、効率化が求められる昨今で必要なのかなぁ、なんて。  伊倉さんにそんなこと言うつもりないんだけどさ。  俺よりずっと優れてる建築士が激推しするくらいなんだし。  けど、電話にも出てくれない。呼んでも一向に出てこない。って、そんなんじゃ、やってけなくない? やる気あんのかなぁというか。それに加えて、欄間障子って、別にそんなに――。 「おぅ、待たせたな」 「! うわぁぁっ」  びっくりした。中の、仕事場にいると思ってた職人さんが俺の背後から声をかけたもんだから。飛び上がっちゃった。 「あー、伊倉さんとこのか」 「あ、はい」  ザ、職人って感じの人。しわくちゃな目元はいつも難しそうにしかめてて。手拭いを頭に巻いて。手は岩みたいにゴツゴツとしていて。指は関節がやたらと太く、指先はガサガサになってる。 「また図面か?」 「あ、はい。ファックス、ないので」 「……」  あ、すんません。ちくりと不便ですよーって伝えたら、ちょっと睨まれた。いや、けど、やっぱ不便でしょ。だって、今は、会議だって、全員リモートでもできる時代なのに、直に届けなくちゃいけないっていうのは。  やっぱ、非効率だ。 「これ、図面です」 「あぁ、ほら」 「?」 「アイス、暑いだろ」 「あ、ありがとうございます」 「溶けちまうから食ってけ」  あ、はい。って返事をして、職人さんに案内されると、建物の脇を通って、広い庭先に出た。初めて、玄関から奥に来た。  軒先、あるんだ。  大昔の和建築。  軒先があって、全面枠の大きな窓。外と一体感があって、風が良く通る作り。って言っても、このご時世エアコン使わないのは危険でしょ。あ、けど、エアコンあるんだ。室外機もあるし。 「麦茶も飲むか」 「あ」 「暑かったろ」 「……はい」  素直に頷くと、仏頂面のまま軒先から上がって、奥にある台所でお茶を準備してくれている。キッチンじゃなくて、台所って感じだ。  職人さんの動きを追いかけるように見つめていたら、作業場になってる部屋をまた風が駆け抜けてく。 「……」  その時、フワリと木のいい香りがした。 「ほら、麦茶」 「あ、ありがとうございます」  手渡されたグラスは切子硝子で、九月だけど強い日差しがそのガラスの中でキラキラと輝いていて、綺麗だった。茶色の切子硝子に茶色の麦茶が色味を深くして、なんか高級茶みたいっていうか。  作業場は古いけど、整理されてた。あんなでかい欄間障子の細工なんて、でかい機械で削ったりする気がしてたけど。 「手彫りだ」  まるで俺の頭の中の声が聞こえたみたいに、けど、独り言みたいに呟いた。 「毎回違うように掘れるのが楽しいからな」 「……」 「苦労はするけどな」 「……」 「まぁ、実際、伊倉さんとこから来る仕事はいろんな場所に使うから、一つ一つ大きさやら置き場やら、同じじゃないことが多いから、手彫りの方が便利だけどな」  そう言いながら、ゴツゴツとした手で手拭いを巻き着けてる頭をぽんぽんと叩いた。 「ほら、溶けるから食っちまえ」 「あ、はい」  まだエアコン必須じゃん? ってくらいに暑い九月だけど、エアコンなしで窓全開。  ネットで買えばこの暑い中汗かいて買い物しに行かなくていいのに。暑いからアイス買いに行って汗だくって、さ。  エアコンだって適度に使った方がいいよ。熱中症とか侮れないから。  けど。  めちゃくちゃ非効率だけど。 「……」  エアコンガンガンだったら、この木のいい香りはしなくて。窓閉め切らずに軒先だったから、切子硝子が綺麗だって思えて。ちょっと角が溶けてきてるアイスは甘くて、冷たくて。  めちゃくちゃ美味しかった。

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