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浴衣の君と編 4 特別ボーナスですってよ
欄間障子は和建築にある特徴的な作りで、主に通気、換気、調光の役割を果たしてる。
だから、必要ではあるんだけど。
普通に格子の襖にすればコストも抑えられる。しかも機能的にはなんの問題もない。
なのに、伊倉さんはあの職人さんにどうしてもって頼むんだ。色々不便で大変なのに。電話より直接足を運んで伝えた方がよく伝わるって言うけど。足を運ぶにはお金がかかるわけで。顔見ながら話したいって言っても、今の時代リモートだってあるじゃん。わざわざ本当に会いにいく不要あるのかなって思う。しかも欄間障子の飾り彫り師さんに。
職人さんの方も「あぁ、伊倉さんのとこか。アシスタント雇ったのか」って言ってたくらいで、ちょくちょく仕事を依頼されてるっぽかった。
けど、必要なのかなぁって。
けど、そんな経費めちゃくちゃかけてまで必要なパーツなのかなぁって――。
「……」
それに、ほら、あそこを飾り彫りにしちゃうと掃除とか大変そうじゃない? 埃が溜まったりとかさ。だから、なんというか。
「和建築のことを調べてるのかな?」
「! あ、いえっ……はい」
休憩時間にちょっとパソコンを拝借して調べてた。
もともとたくさん喋る方じゃない伊倉さんは口元をわずかに緩ませながら食後のコーヒーを楽しそうに淹れてる。
「…………夏休み、ずっとうちのアトリエで仕事してくれてる」
「あ、いえ」
珍し……。普段は昼休憩のこの時間、食後のコーヒーをのんびり飲んでるのに。まるで、ただ過ぎていく時間そのもを堪能するみたいに、1秒ごとにカチコチって小さく聞こえる時計の音だけがアトリエに響いてる。なのに、今日は珍しく話し始めた。
「友達と旅行に行ったり、遊んでたりしないの?」
「あー……まぁ。けど、建築の勉強したいんで」
なんて、まるで勉強するのが当たり前みたいに言ってるけど、でも、去年の夏休みはそんな過ごし方しなかった。バイトはいつも通り居酒屋バイトだけして。ちょっとはシフト増やしたけど。遊ぶ資金欲しさに。それで、夏休みの間は遊んでばっかだった。夜更かしし放題で、昼過ぎに起きることなんてほぼ毎日だった。
「……なるほど」
「だから、全然」
そもそもはそんな真面目な学生じゃなかったんですって心の中で答えながら。
「……九月は何か予定ある?」
「あー、いえ、とくには」
高校生は夏休みってだいたい八月いっぱい。
でも、大学の夏休みって九月になってもまだ続いててさ。俺のところは中旬まで。けど、大学によっては下旬までだったりすることだって。
良いよね。夏休みが秋の入り口まで続くって。つまりは夏丸ごと遊びに費やせるんだ。
高校生だってそうは行かないし、社会人なんて全然。
だから、桜介さんはその社会人の中でも休みの少ない会社にいるから、もっと夏休みが短い。
「じゃあ、ここ、行ってみたらいいよ」
「え?」
「建築、とくに和建築の勉強を兼ねて」
「えぇ?」
「僕が手がけた旅館」
「えぇぇぇぇっ」
伊倉さんはいつも通り穏やかな顔をしながら。
「行っておいで」
そう軽やかに笑ってた。
ねぇ、そんなことあるんでしょうか。
ちょっと帰り道スキップしちゃいそうなんですけど。
だって、だって、ねぇ、ねぇ、そこのお散歩中のお尻フリフリしてる豆柴くん、聞いてくださいよ。
って、夕暮れ時、散歩ですれ違う犬たちに何度も、心の中で話しかけながら。ウキウキ浮かれながら、伊倉さんのアトリエから帰宅したんだ。
――海沿いの旅館なんだけど、電車でここから一時間半くらいかな。車なしでも行けるし、今はシーズンオフだから空いてる。勉強の一環だから。いつも頑張ってくれてることへのボーナス。そろそろ夏休みも終わりだろうからね。
そう言ったと同時、アトリエにあるコピー機が、ピーって電子音を発して動き出した。そのコピー機が出してくれたのは、伊倉さんが前に手がけたことのある旅館のパンフレットだった。
「えええええええっ!」
だよね。そのくらい驚くよね。
俺も驚いたもん。
一泊二日ですよ?
ボーナスなんだそうです。
「できたら、桜介さ、」
「行く! 行きます! 行きたいです! 行かせていただきたいです!」
桜介さんの頬が赤く染まった。
「行きたい!」
大興奮ってやつ。
はい! って左手を挙げて、正座のまま。
「って、僕も一緒に行っていいって、まだ言われてなかったですっ。ごめんなさい。留守番を頼みたいっていうことかもしれないのに。すみませんっ」
桜介さんは早とちりをしちゃったと大慌てで、今度は挙手してた左手をブンブンと振った。
「できたら、桜介さん」
「は、ひ」
ねぇ、ここで留守番頼むわけなくない? 誘うに決まってるじゃん。
しっかり自分の欲しいものに手を伸ばすとこ、けれどこうして慌てて、手を引っ込めちゃうところ、全部、その忙しないところも丸ごと全部ひっくるめて可愛いなぁって、口元が勝手に緩んでく。
「一緒に、一泊旅行、行かない?」
「! っ、はいっ!」
今日一番の大きな返事に思わず笑って。
「やった」
フワリと柔らかいその唇にキスをした。
キスをしたら、一緒に作った、ザ、夏野菜、トマトとナスの炒めたやつの味がした。
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