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浴衣の君と編 5 アートとトリック
――昔に流行った温泉街だったんだ。少し寂れた感じがあって。数年前に温泉街全体の再興が計画されてね。僕もそのうちのいくつかをデザインさせてもらったんだ。何を感じたか、一人の建築士として意見をレポートしてくれるなら、宿泊代、僕が出すよ。
そう言って、にっこりと笑ってた。
そんなのレポート百でも二百でも書きます。
――とてもいい旅館だから、大事な人も連れて行くといい。夏休み、毎日僕のところで手伝ってばかりじゃ、退屈だろうから。
レポート、百じゃなくて二百じゃなくて、三百書きます! って言った。
――あはは、そんなには、読む方も大変だから一つでいいよ。
そう笑ってた。
レポート嫌いだけど、これは本当にいくらでも書けそうな気がした。
「わっ、翠伊くん、翠伊くん! 花壇がある!」
だって、温泉旅館に一泊、行く? って聞いた日からずっと桜介さんの周りに花が咲いてる。話しかける度に、ポポポ、って花が弾けるように咲く音がする。
そんなに喜んでくれるなら、レポート、いくらでも書けちゃうでしょ。やる気がみなぎるでしょ。
この人とずっと一緒にいられるんなら、なんでも頑張るぞー、ってさ。
「綺麗!」
そう言って、多分、無意識なんだと思う。ぴょんって跳ねて駅改札の向こう側に広がっていた花壇の方へ近づいた。
急行に乗って一時間半。案外近かった温泉地。
到着した駅には、俺らが出発したマンション最寄駅の花壇に咲いていたのと同じオレンジ色と黄色のマリーゴールドが咲いてた。ただ駅前のロータリーにあるマリーゴールドにすら満開だって桜を見上げるみたいにキラキラした表情をしてる。
笑っちゃうくらいに、絵に描いたようにはしゃいでくれてる。
「わぁ」
この調子じゃ、ただの電柱見たって、ほら! 高いですね! なんて言いそうで。
可愛い。
「翠伊くん!」
「うん」
「楽しいね!」
言ってる桜介さんを見てるのが一番楽しいんだけど、って内心思いながら。
「うん」
頷いた。
「すごい」
さっきから桜介さんの語彙がすごいと、楽しいと、綺麗、ばっかなんだ。ほっぺたは興奮して赤いし、目もキラキラ。
「あ、桜介さん、あそこ、足湯だって」
「ええええっ!」
まるで世界遺産の絶景でも目の前にしたみたいに見つめてる。
「入る?」
「いいんですかっ?」
「多分、ご自由にって書いてあるし」
「ぼ、僕っ、タオル持ってきます!」
「あは、でか」
そう言って、一泊にしてはでかい鞄の中から大判サイズのバスタオルを取り出して、ぎゅっと胸に抱き締めてた。
駅はすごく開けていて、桜介さんが目を輝かせたマリーゴールドの花壇を中心にぐるりと円周になっている。観光サービスステーションがあって、その隣に地場野菜が買えるんだと思う。八百屋とお土産屋が合わさった大きなログハウスがあった。駅を出て反対側には交番に観光案内所。美味しそうなパン屋もあった。
お昼前には着いちゃうから駅弁とかは買わなかったんだ。お昼をあのパン屋で買って、海岸まで移動して砂浜でピクニックにしてもいいかもしれない。あーけど、まだ暑いかな。っていうか、海のほうに行けば、海鮮とかレストランがあるかもしれない。そっちのほうが桜介さん喜ぶかな。
今の時間が十一時になるとこ。足湯でゆっくりしてから、移動してランチして。
そのあとはお寺とか行きたいかな。桜介さん。
あ、レンタカー借りて水族館とか? ビーチラインをドライブとかもいいよね。
温泉街の方行ったらなんかあるかな。あ、確かトリックアートとかやってなかったっけ。伊倉さんに一泊の旅行のこと聞いてから、大急ぎで色々調べた時にチラッとトリックアート展が……とか見かけた気がする。桜介さん、そういうの好きかな。目輝かせそー。楽しそー。
「翠伊くん! 足湯っ、気持ちいいです!」
少し、まだ九月上旬じゃ、足湯のあったかさは、ちょっと……ってなるかなって思った。
けど、そんなことなかった。
「はぁ……いい湯ですね」
足はポカポカとあったかいのに、海で冷やされるのか、ここで感じる風は普段よりもずっと涼しく感じられた。
その心地良い涼しい風に、桜介さんの癖っ毛がひらりひらりって揺れてる。
「翠伊くんも気持ちいいですか?」
キレー……。
「日々の疲れが吹き飛んじゃいますね」
すごい。
「あ、そうだ。あとで、海岸の方に行ってみませんか? 美味しそうな海鮮丼が写真であったんです。こーんな山盛りにお刺身が乗っかってて。あれはどこから食べるんでしょうって思うくらい。あ、あと、アートトリックも展示されてるんだそうです! あ! 海岸じゃないんですけどっ。えっと、バスで行けるそうなのでっ」
「っぷ、あは」
「? あ、えと、アートトリックなんて子どもっぽいですかねっ」
「トリックアートだよ」
「あぁ!」
「それと」
綺麗。
すごい。
「楽しいね」
「! はいっ、すごく!」
楽しい。俺の語彙もその三つくらいしかなくて、桜介さんと一緒じゃんって笑った。
楽しくて、桜介さんが綺麗で。
「じゃあ、海鮮丼とアートトリック、行こっか」
「トリックアートですっ」
「あはは」
すごい、楽しいって笑った。
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