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浴衣の君と編 7 オージョー的な彼
旅館に着いたのが遅かったから、夕食前に温泉に入ることができなかったんだ。
伊倉さんが宿を予約する時に夕食の時間も一緒に決めておいてくれたみたいで。その夕食の時間が十八時からだったからさ。
けど、ちょうどお腹も空いてたし。食べてから、あとでゆっくり入ろっかって。
けど――。
「翠伊くん、浴衣着れました……か」
ちょっと照れくさいからって桜介さんは茶室の方で着替えてた。
「着れたよー、桜介さんも、もう着れ……た」
最初に思ったのは、「わ」だった。
「ぁ、えと……じゃ、じゃじゃじゃ」
次に思ったのは、「やばいでしょ」だった。
「じゃじゃじゃ、じゃあ、温泉行きましょうかっ」
真っ赤に頬を染めて、ちょっと俯いている桜介さんの浴衣姿はドキッとする色気があって。
やばいでしょって、思った。
同じ男なのにさ。男女それぞれ、浴衣がいくつかロビーに並べられてて、好きな柄を選ぶことができた。俺も桜介さんも紺色の男性用の浴衣を選んだんだ。お揃い。
だから同じ浴衣を着てるはずなのにまるで違って見える。
「う、ん」
なぜか、桜介さんの浴衣は妙に艶やかに見える。
「行こっか」
なんか、やばかった。
大浴場は人が全然いなかった。
食事処もそんなに混雑していなかった。場所的に海水浴客がメインなんだろうから、今はそんなに繁忙期じゃないんだと思う。
それに、俺たちは早い時間の食事だったし、食べ終えてすぐに来たから。他の宿泊客はも少し食後ゆっくりしてからお風呂にまた来るのかもしれない。
けど、そのほうがよかった。
「す、翠伊くん、お風呂、に」
うん。そのほうがよかった。
「うん。ちょっと待って先に行ってて」
「ぅ、うん」
あっぶね。
こんな場所で勃つところだった。
浴衣姿にやられたのか、その浴衣を肩からするりと滑り落として裸になってくとこ、直視できないくらいに色っぽくて、腰に直撃っていうか。
ズクズクする。
「はぁ……」
一つ、大きく深呼吸をしてからじゃないとヤバい。ここ公共の場ってやつなんだけど。
なんなんだろ、あの色気。
同じ男、だよね。
あー、惚れたナントカなのかな。
わけわかんない。
「はぁぁ」
ゲイ、じゃないから、男の裸全部に興奮するわけじゃない。付いてるものも、付いてないものも一緒なのに、それでも桜介さんの裸は特別で。腰の細さとかさ、胸板の薄さとか、スラッと伸びた足とか、華奢な肩とか、目のやり場に困るくらい、なんて言うの?
こういうのって。
ほら。
その。
「翠伊くん」
「ごめん。待たせて」
「ううん」
あれ。ほら。
「人、いないね」
「そーだね」
けど、それでよかったです。
人がいないほうが。
桜介さんの裸を男共に見せなくて済んだから。
わかんない。
桜介さんのことを好きになる前に、まだ、ご近所で「おはようございます」ってすれ違うだけだった頃に、もしもこうして一緒に温泉入るようなシチュがあったら、いや、どんなシチュだよって感じだけど、そんなことがあったらドキドキしてたのかな。
首筋に、胸に、太腿に腹んとこがズキンって痛くなるくらいに煽られてたのかな。
「あ、翠伊くん、背中流そうか?」
「へーき。桜介さんは?」
「あ、もう、洗っちゃったから」
「そっか」
風呂の湯気に濡れた黒髪も。もうのぼせたみたいに真っ赤な頬も。泡をまとった素肌も。
全部にドキドキしてる。
「そ、外に、露天風呂が、二つあるみたい」
「うん」
そうそう、こういうの、こういう桜介さんの感じ。
オージョー的、って感じ。
「ぅ、うん」
好きな子のヌードだからかな。
「洗い終わったら、行ってみよっか」
マジで、心底、誰にもこの人の裸見せたくないなって思った。
なんとか。
「良い湯だったね」
「うん」
なんとかっ。
「湯冷めしないうちに部屋戻ろっか」
耐えた俺のムスコグッジョブ。
「うん」
露天風呂で隣にいる桜介さんに釘付けだった。しかも途中でおじいちゃんと孫? 小さな子が入って来ちゃって、余計にもう絶対に耐えてもらわないといけなかったし。その次に、腹いっぱーいって言いながら入って来た、若い男性客三人には桜介さんのオージョーヌードを見られないようにするのに忙しくてさ。
なんかちっともゆっくりできないお風呂タイムだった。
あ、ほら、続々と宿泊客さんたちがお風呂場に来始めた。女の子が数人のグループに、小さな子ども連れのママさん。それからそのパパさん。他にも家族や、友人同士のグループとか。海水浴がメインの温泉街は特に他に観光があるわけでもなさそうで、夕食を食べ終わった後は、みんなお風呂ざんまいで過ごすんだろう。
ほんと、早めに入っておいてよかった。
「す、翠伊くんっ」
「?」
「ほ、ほら、湯冷めしちゃうよっ、早く、部屋に戻ろうっ」
じゃないと、色気がすごくて、可愛くて、オージョー的な桜介さんがみんなに見られちゃうから。
見たら虜になっちゃうかもしれないじゃん。
「翠伊くんっ」
「うん」
今、俺がこの人の浴衣姿に釘付けみたいになっちゃったらイヤだから。
部屋戻ったら、独り占めしたくてたまらないこの人のことを、余所の誰かが見たい、触りたいってなっちゃったらイヤだから。
「部屋、戻ろっか」
温泉に浸かりに来た他の宿泊客からこの人を隠すように、急いで部屋に戻ることにした。
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