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浴衣の君と編 8 隠さねば!

 温泉、気持ちよかったけど、桜介さんの素肌になんか意識がいって、慌ただしく出てきちゃった。  露天だってそんなに長湯しなかったし。  もう何度も見ているはずの桜介さんの素肌なのに。  温泉でしっとり濡れたそれはどこもかしこも目に毒で、なんか――。 「のぼせてない? なんか、冷たい飲み物買ってくる? 冷蔵庫にミネラルウオーターならあったけど、他、」  部屋に戻ってきてからも落ち着かなくて、うろうろしてる。  お酒はレストランで一杯だけ頼んだんだ。俺も、桜介さんもお酒をたくさん飲む方じゃないから乾杯しただけ。  お風呂も入ってリラックスできたし、部屋で飲み直す? って思ったんだけど。 「平気……」  そう言って俺の手をぎゅっと握った桜介さんが酔っ払ってるみたいに耳まで真っ赤だった。 「桜介さん?」  それと、ぎゅっと握ってくれる桜介さんの手が温泉のせいかしっとりとしていた。 「あっ、でもっ、あのっ、翠伊くんが何か飲み物欲しいなら買ってくるっ、僕がっ、行ってきますっ」  あと、温泉効果? 黒くてくるくるとクセのある髪がしとやかに揺れてる。 「何飲みま、」  あ、あとさ、瞳がなんだか濡れてるみたいに艶めいていて。 「……」  綺麗だなぁって思った。  綺麗だなぁって思いながら、そっとキスをした。  桜介さんの正面に立って、背中を丸めて、ちょこんって唇が触れるキス。 「桜介さんは部屋の外に出ちゃダメ」  そのキスに、俺の発言に、パチパチと瞬きをしてる。  濡れて、艶のある黒い瞳が俺だけをじっと見つめてる。 「ぇ……あの」 「今日の桜介さんはやたらと色っぽいので、部屋の外に出ちゃダメ」 「……」 「なんて思った。でも、それとは関係なくなんか飲み物買ってくるよ。桜介さんの好きそうなジュースが、」 「そ、それならっ、翠伊くんの方が部屋の外に出ちゃダメっ、です」  そう言いながら握ってくれてた手にもっとギュッて力を込めてる。どこにも行ってはいけないって言うみたいに、手が。  ギュッて。 「やたらと色っぽいのは翠伊くんのほう、だからっ」 「俺?」  コクコク頷いて、耳まで真っ赤で。 「さっき、お風呂から出て、廊下歩いてたら、宿泊客の女性が二人、翠伊くんのこと見てた」 「……」 「かっこいいって、思って、振り返って見てた」 「……」  あの時。  ――す、翠伊くんっ。  お風呂から出て、気持ちよかったねって言ってたら、急に桜介さんが急かしたんだ。  俺は、あ、みんな夕食食べ終わって、もう一回お風呂に入りに来たんだって思いながらすれ違ってた。よかった、早めに入りに来てて、なんて思ってた。これから混雑してく大浴場で桜介さんのヌードを見られちゃうところだったから、早く入ってよかったぁ、とか思いながら、急に慌て出した桜介さんがちょっと不思議だった。  ――ほ、ほら、湯冷めしちゃうよっ、早く、部屋に戻ろうっ。  なんで急に急いでるんだろうって思ってた。 「女性がドキドキした顔してたっ、から、今も、部屋の外に出て、女性の宿泊客がいたら、声、かけてきちゃうかもしれないっ」 「……」 「そ、そしたらっ」  あぁ、もお。  ――翠伊くんっ。  あの時、めちゃくちゃ慌ててたっけ。  グイグイ俺のこと引っ張ってたっけ。 「女の子が俺に声をかけてきちゃったら?」 「!」 「桜介さん?」  ギュッて、離さない、行っちゃダメって強く握ってくれてるから、自分の手を自分の方に寄せると、釣られて桜介さんが俺の懐に飛び込むように来てくれる。  その黒髪の隙間から見える瞳を見つめて、瞼にも一つキスをしてから、おでこをコツンってくっつけた。 「そしたら?」 「っ、そ、そしたら、ヤ……なので」 「……」 「かっこよくて、色っぽい翠伊くんは、僕が」  うん。 「お付き合いしてるので」  うんうん。 「イヤ、ですって思って……」  小さく呟く桜介さんが愛おしすぎて笑っちゃった。 「あの……」 「俺もー」  コツンっておでこをくっつけたままだから、すぐそこでキラキラして綺麗な黒い瞳に焦点が合わない。  でも、真っ直ぐに俺だけを見つめてくれてる。 「桜介さんのヌードがエロすぎて」 「ヌッ!」 「他のお客さんがいなくてよかったぁって思った」 「エっ、ロっ」  同じ男なのにさ、なんか、違ってて、あっちこっちって、桜介さんの裸に吸い寄せられてく感じ。 「僕っ」 「だから、急いで出てきちゃった。せっかくの温泉なのにごめんね」 「っ、全然、僕の方こそ、お風呂上がりでリラックスしたいところを急かしたのでっ」  誰も彼の素肌を見ちゃダメです。  誰も彼のかっこいい浴衣姿を見ちゃダメです。  お互いにそんなことを思いながら、温泉つかってた。 「僕の方こそ、ごめんなさい」  桜介さんが強く握っていた手をパッと離したから、今度は俺が捕まえて、指をしっとりと絡ませ、引き寄せる。 「全然」 「……ぁ」  もう何度も彼のこの素肌に触れてるのに、もっとすごいことだって何度もしてるのに。  もう他の誰かに目移りなんてできないくらいに大好きなのに。  お互いに独り占めしまくってるのに。 「けど」 「?」 「俺、女の子、目に入ってなかったよ」  すれ違ったのは知ってたけど、向こうノリアクションなんて見てない。それどころじゃない。貴方に目を奪われる男どもから遠ざけることで頭の中はいっぱいだった。 「じゃあ、自販機はなし」 「ぁ」 「部屋から出ないで、一緒に」 「あっ……ン」 「いよっか」  温泉で艶めいた素肌は。 「ン」  口付けると柔らかくてしっとりとしていて、ゾクゾクするほど美味しそうだった。

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