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第2話

高校教師としての第一日目は、慌ただしく過ぎていった。 歓迎会を兼ねた他の教師たちとの昼食後は職員会議、その後は教科ごとに分かれてそれぞれの業務に入る。 迅は英語担当だ。 一日が終わって家に帰ったときはもうへとへとで、文字通りベッドに倒れ込んだ。 それから数日後、講堂で全校生徒の前で自己紹介をさせられた。立っている足が震えるほど緊張した。迅の他にも新しく着任した教師がいて、彼女の堂々とした挨拶の後だったものだから、なおさらだ。 彼女の名前は白川麗奈(しらかわれいな)と言って、後から知ったがここの校長の娘だそうだ。校長の奥さんも教師で別の高校で校長をやっていると言うから、彼女はいわゆる教師のサラブレットというやつだ。だから、堂々としているのも納得だ。 電話の向こうからプシュッと聞こえて、宗方(むなかた)先生がビールを開けたのが分かった。 迅は一人暮らしの自分の部屋で、スマホを片手にベッドに寝転がっていた。 ――心海はイケメンだから、女生徒たちが色めき立っただろう。 ゴクリ、ゴクリと苦い炭酸が喉を通っていく音がする。 宗方先生は迅の高校時代の担任だ。迅が教師を目指すようになったのは、他でもない宗方先生の影響で、今の迅があるのはすべて宗方先生のおかげと言っても過言ではない。 当時、教師になって三年目という先生は、迅の兄のような存在でもあった。憧れ、尊敬し、自分も宗方先生のようになりたいと、高校生の迅は強く思った。 先生は今でも現役バリバリで、去年結婚して先月女の子が生まれた。 教育大学選びから受験対策、大学に入ってからも何かと相談にのってもらった。迅が国家試験に合格し、その日に盃を交わしたときは感無量だった。 ちなみに迅の学校の校長は宗方先生のかつての恩師だというから、迅は自分と宗方先生との縁を感じずにはいられない。 ――心海、いいか、よく聞け。女生徒へのスキンシップは自分の身を守るために最小限にしろ。教師と生徒の恋愛はドラマや小説の中だけの話で、現実はトラブルでしかないからな。 十八歳未満の者との性的な関係は昨今、ますます厳しくなってきている。従来の青少年保護育成条例に加え、児童生徒性暴力防止法というものが成立し、合意の上でも性暴力に当たるとされる考えが強化された。 「宗方先生、俺なら大丈夫だよ。俺は年上好きだから高校生なんてガキだって。とてもじゃないけどそんな気分にならないから」 迅はベッドから起き上がると1Kの狭いキッチンに立った。冷蔵庫を開けて中を覗き込む。 宗方先生の奥さんも同じ教師で、先生より三歳年上だった。以前家に招かれたとき、食卓で教育理論を交わす二人の姿は迅には新鮮で、ものすごく大人のカップルに見えた。宗方先生の最愛の女性(ひと)はそのまま迅の理想の女性となり、そして、いつしか宗方先生の人生そのものが迅の理想の人生となった。 自分もいつか教師として同じ志を持つ女性と出会い、その人と家庭を築きたい。宗方先生みたいに生徒の人生の指針となるような教師になりたい。 それが迅の夢であり、目標だった。 ――おまえにそのつもりがなくても、あっちがそうだとそれだけでこっちは爆弾抱えさせられたようなもんなんだよ。おまえみたいなイケメンはな、普通は人生イージーモードかもしれんが、教師の場合は超絶ハードモードだ。おまえはこれから地雷だらけの道を歩いていくことになるんだ。ちょっとでも間違ったらボンッ! 身の破滅だ。よく覚えとけ。 迅は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、腰を使って扉を閉めた。 「ちょっと先生、あんま脅すなよ」 ――脅しなんかじゃない、心海、俺はおまえのためを思って言ってるんだ。 宗方先生がどれほど親身になって迅のことを考えてくれているか、迅はよく分かっている。誰かのためと言いつつも、実際にはエゴを押し付けるだけのことも多い。しかし、宗方先生はその類ではない。 パチパチと弾けるような雨音が外からしてきた。どうりで帰ってくるとき空気が絞れそうなほど湿っていると思った。窓を開けると、ひんやりとした雨の匂いが部屋に入ってきた。 雨が降ると思い出さずにはいられない。あの日の宗方先生を……。
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