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第8話
なんとか時間が作れたのは、四月も後半になってからだった。
前日の夜にやっと電話が繋がり、母親と話をすることができた。
そこで初めて迅は、水瀬幻が入院していることを知った。
見舞い品は商店街の青果店で果物を買った。
しかし、その日、迅は病室の前で門前払いを食らうことになった。
「本人が会いたくないと言ってまして……」
若い看護師は申し訳なさそうに迅から果物の入った籠を受け取ると、ひとり病室の中に入って行った。
なんだか腑に落ちないまま病院を出て歩いていると、上から何かが落ちてきて頭に当たった。
足元に転がったのは、一粒のぶどうだった。病棟を仰ぐと、窓にさっと引っ込んだ人影が見えた。
一瞬だったのでよく見えなかったが、水瀬か? 窓から物を投げるなんて、しかもここは病院だぞ。
今から走って戻って説教してやりたくなったが、ぐっと堪えた。
そもそも会いたくないってなんだ、わざわざ見舞いに来てやったというのに。前担任は良い子だと言ったが、何かの間違いじゃないのか?
迅が新米だから軽くみているのかもしれない。
前担任の言ったことの真偽を確かめたいのもあって、迅は次の日も見舞いに行ってみた。面会は夜の八時までで、ラグビー部が終わるのは七時。車で飛ばせば七時半には病院に着く。
しかし、なんとこの日は受付で断られてしまった。
「城青高校の心海先生は通すな、と言われてまして」
ナースは申し訳なさそうにそう言うと、そそくさとナースステーションの中に入って行った。
ここまでくると迅も意地になってきて、何がなんでも水瀬に会わないと気がすまなくなってきた。この際、受付は通さずに強硬手段でいくしかない。
次の日、迅はナースステーションの前を床を這うようにして通過した。教師としてあるまじき行為だが、このまま水瀬に会わないわけにはいかない。
そうして病室の前までやって来て、迅はあることに気づいた。
水瀬の部屋は個室だった。個室=入院費が高いというイメージがあり、母子家庭と聞いていたので、てっきり大部屋だと思い込んでいた。
それとも、水瀬の容態はそんなに悪いのだろうか? これもまた個室=重病のイメージがあり、少し心配になる。
そうだ、ついムキになってしまっていたが、相手は病人だった。ぶどうをぶつけられ、門前払いされたことはひとまず忘れ、ここは教師らしく振る舞わねば。自分は宗方先生みたいな度量の広い教師になるのだ。
ついに病床の美少年(性格に問題あり)とご対面だ。
そっと引き戸を開け、病室に足を踏み入れた。
中は六畳ほどの広さがあり、部屋の真ん中にベッドが置かれていた。そこに、窓の方を向いて座っている華奢な背中があった。夜は室内を映す鏡のようになる窓に、迅の姿が映る。
水瀬が迅を振り向くのにかかった時間は数秒だったようにも、もっとゆっくりだったようにも思えた。
けど、これだけは言える。
水瀬の顔を見た瞬間、時間が止まった。
――桜の精。
去年の春、桜の木の下で会ったあの生徒だった。
青いほど白く透き通った肌に、大きな目にはめ込まれた瞳はガラス玉のように透明感があって……。
そして……、濡れていた。
――涙?
「看護師さん!」
水瀬は迅の後ろに目をやりながら叫んだ。
「俺、一人だよ」
迅が足を一歩踏み出すと、枕が飛んできた。
「帰れ! あんたの顔なんか見たくない!」
水瀬はさっと布団の中に潜り込んでしまった。
最初に会ったときの印象とずいぶん違う。あのときはもっとたおやかで、不思議な空気感をまとった少年だった。しかし、今、目の前にいる彼は見た目の美しさこそ同じだが、そこら辺にいるただの子どもだった。
十七歳にしては幼く見える。それにしても、どうしてこんなに嫌われてしまったのだろう? いったい自分が何をしたっていうのだ。
迅が話しかけても水瀬は布団から顔を出さないばかりか、一言も言葉を発しなかった。
「また、明日来るよ」
迅は最後にそう声をかけ、病室を後にした。
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